やはり矢野顕子はいい

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060214/1139930798で、ChieftainsTears of Stone(1996)にふれて、


このアルバムには、矢野顕子のほかに、Bonnie Raitt、Nathalie Merchant、Joni Mitchell、Sinead O’connor、Joan Osborne、さらにはDiana Krallといった女性シンガーがゲスト・ヴォーカリストとしてフィーチャーされているわけですが、この面々と並列されてしまうと、さすがに矢野さんも相対化されざるを得ないというか、もっといってしまえば、聴いてて居たたまれなくなる。だから、このアルバムは矢野さんのファンにとっては辛いアルバムなのではないかと思ってしまう。だからといって、矢野さんをリスペクトする気持ちに変わりはないわけだが。
と書いた。
ここに収録されている”Sake in the Jar”という曲、単体として考えると、決して悪い曲ではない。ただ、〈矢野顕子らしさ〉が少し稀薄なのもたしか。何でそんなに緊張してるの?という感じではある。
さて、mika_kobayashiさん*1

はじめてのやのあきこというCDが来月発売されるらしい。この中に収録されている「自転車でおいで」という曲をGRANOLAというアルバムのLPで聴いたのはもうかれこれ20年近く前のことか。今も好きな曲で、時折口ずさむ。日記のような形で始まる少年の独り言のような呟き。

「僕は誰かを 好きと書く それが 誰かはわからない」と言った後で、その誰かに、「知らない あなたに あいたいな 自転車でおいでよ 僕の家は すぐそこだよ 豆腐屋の角から四軒目」と呼びかける。

二番目の歌詞では「僕は誰かが 誰かを知る そして 名前を書いてみる」と言って、「いつかは あなたに あいたいな 自転車でおいでよ 僕の家は まだあるのさ 朝日と夕日があたる家」と呼びかける。

豆腐屋の角から四軒目で、朝日と夕日が当たり、自転車でいけるところにある」僕の家は、20年間変わらずにあるのだな、と思う。

と書いている。それにつられて、1996年に出たベスト・アルバムを久々にかけてみた。やっぱりこれが矢野顕子が歌うということなんだよ。そして、勿論「自転車でおいで」も聴く。デュエットしている佐野元春の歌い方もいい。糸井重里という人も他のことは全て忘れ去られたとしても、矢野顕子に歌詞を提供した人として永く歴史にその名を刻まれるだろう。
ところで、「「豆腐屋の角から四軒目で、朝日と夕日が当たり、自転車でいけるところにある」僕の家は、20年間変わらずにあるのだな、と思う」ということだが、私は悲しいけれど、もうないと思う。この曲が作られた1987年はバブル経済が始まってしばらくした頃で、東京の古い街並みが地上げされて更地になっていた。歌詞の中の「僕の家は まだあるのさ」の「まだ」というマーカーに背中がぴりぴりしたことを覚えている。もうないと思っているのかも知れないけれど、「まだある」。この幸福な「まだ」という時は既になく、〈もう〉に取って代わられてしまっているのだろう。