Living, Loving, Thinking

2006-03-17

所有と私

鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい」*1だけれども、kmizusawaさん*2やchidarinnさん*3の分析はちょっとずれているような気がする。何故なら、件の女性は専業主婦ではなく、「共稼ぎ」。家事も分担して行っていたカップル。

勿論、2人の間に何があったのかなんて詳細には分からないので、ごく大雑把な一般論だけ述べると、その女性は近代的な心の持ち主だと思う。私とその所有物との関係について、私たちは普段、所有物と私との関係は外在的なものであり、それ故に私は常に所有物を自由に処分(売ったり・買ったり、或いは破壊したり)することができると考えている。これは当たり前の話であって、資本制経済はこの前提なしには存立し得ない。しかし、それはそんなに自明なことなのだろうか。

私たちは仮令資本主義経済を生きていようとも、24時間365日市場に於けるプレイヤーでいるわけではない。

愛着(attachment)という仕方でモノに関わるとき、私たちはその所有物を自由に処分することが可能なもの、disposableなものだとは考えていない。もう少し大袈裟に言ってみると、そのとき、モノは私自身を構成するものとなっている。モノが私の一部となっているという言い方には不都合があるが、とにかく私にはモノの刻印が刻まれ、モノの方にも私という人格の刻印が刻まれているということは言えそうである。そもそも、私の存在というのは脆弱であり、様々なモノたち、そして他の人間たちに支えられてやっとこさ存在できているともいえる。そのようなモノたちを私から切り離すということは私の一部を毀損することである。また、その切り離しが社会的行為として行われる場合、それは譲渡や売買ではなく、贈与や略奪という仕方で行われることになる。その場合、受け取った側はたんなるモノではなく、以前の所有者の人格(の一部)を込みで引き受けるということになる。このことが顕著なのは、〈家宝〉とか三種の神器とかいった場合だろう。これを引き取ることによって、私はご先祖様とか皇祖皇霊といった集合的人格と結びつけられてしまうことになる*4。こうなると、私がモノを所有しているというよりもモノが私を所有していると言った方がいいのかもしれない。ただ、それを人間主義者のように〈疎外〉といって切り捨てることはできない。

さて、近代社会というか資本主義社会(社会主義社会も?)というのは、そのようなモノの在り方がミニマムになった時代であると一応いえよう。全ては自由に売買可能なモノたちが溢れかえる世界*5。しかし、こうしたモノの在り方は現代社会でも、贈与という領域では生き残っている。例えば、ヴァレンタイン・デイの〈義理チョコ〉に対するホワイト・デイの返礼といった、親しくない人に対するプレゼントの場合、後腐れをなくすためには、食べ物のような直ぐに消えてしまうものがいいといわれる。そうしないと、自分の人格の刻まれたものが相手に渡ってしまい、それによって相手の人格を束縛し、同時に自分の人格(の一部)が他人に握られることによって、自分もまた束縛されてしまうからだ。逆に、親しい人の間では、プレゼントを通した相互的な束縛によって社会関係が確認され・強化されることになる。

モノに2つの種類があるように、人間にも2つの種類がある。自由に処分が可能な人間とそうではない人間。これは飽くまでも近代的なロマンティック・ラヴというイデオロギーの下に限ってだが、結婚、或いはその前提としての恋愛*6には、相互に自由に処分することが不可能な存在として承認し合うということが含まれる。そのことによって、それはたんなる性欲の充足や子作りの手段と区別されることになるといえるだろう。近代社会は、本来は別物だった恋愛と結婚を結びつけ、商品世界の直中で家族だけをぽつりと贈与の世界として純化し、さらに社会全体の下支えをさせるというある意味パラドクシカルなことを達成したともいえる。

話を戻すと、件の女性は夫の鉄道模型を捨てたのではなく、業者に売った。また、売って得た代金は模型の所有者たる夫に渡そうとしたことが伺える。近代的な心の持ち主である所以である。その後の彼女の凄まじい後悔は、たんなる罪悪感というよりも、その所作が夫を自由に処分することが可能な存在にしてしまうことに通じていることに気付いてしまったが故の戦きなのではないだろうか。

誰でも(私を含めて)、本来自由に処分することが不可能な存在を否定してしまうという振る舞いを、知らず知らずに、悪気もなく、或いは善意さえもって、しているのかも知れない。それに気づき、悩んでいるということは、彼女が倫理的な人であるということだ。なので、軽々に彼女を論うということはできない。

*1http://www.nyasoku.com/archives/50395674.html

*2http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060317/p1

*3http://d.hatena.ne.jp/chidarinn/20060317/p3

*4:これと関係して、『指輪物語』などのファンタジー、或いはその他のジャンルの文学に於けるモノの役割については再勉強する必要があるな。

*5:しかし、生産ではなく消費を中心に経済を見た場合、実は消費の欲望はモノのこの不合理な力によって稼動されるということがわかる。

*6:これはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060315/1142441815で言及したのよりは、もっと後の段階の話である。

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