Living, Loving, Thinking

2006-08-03

Element Fresh

朝の8時半から、PCに向かって、中国語のファイルと日本語のファイルを交互交互ににらめっこしながら、お仕事。終わったのは5時前。それまで、何も食べず、珈琲を飲んで、向日葵の種を囓っただけ。なので、今時点では日本語を読むよりも英語を読んでいた方が精神衛生上よい。物を書く労働というのは際限なく、もし長引いていたら、夜まで何も食わずということになっていたかも。

仕事が終わり、シャワーを浴びて、外出。バスに乗って、淮海路へ。今まで行こう行こうと思いつつも、行くことのなかったレストランで食べることにする。「新元素(Element Fresh)」なり。米国系のオーガニック・フードの店。ほどよい明るさと広さ。チキンのサンドウィッチと雲南省の有機珈琲。実は雲南省珈琲は初めて飲んだが、亜細亜珈琲としては苦みが利いているように思った。この珈琲はマグ・カップに入って、12元。これは上海珈琲相場としては安い方である。淮海路で珈琲を飲むときは、スターバックスでということが多いのだが、今後はElement Freshは候補のかなり上位に位置することになる。ただ、場所は淮海路の中心から少し外れた嘉華中心(KWah Centre)。

Element Freshは、ボストン生まれの米国人Scott Minoieが2002年に開いた店。今日行った淮海路の店は2号店で、1号店は南京西路の上海商城にある。Scott Minoie氏は”already a talent cook and running a catering business at the tender age of 15”*1ということであるが、2000年に初めて上海に来たのはほんの偶然であるという。

夕食は、芦蒿という野菜をベーコンと一緒に炒め、別に小海老を卵に溶いて焼く。西洋芹を買ってきたのだが、おひたしを作る気力なし。

DVDで『トップ・キャスター』。フジなのに、舞台となるTV局は何故か六本木の方にありそう。

モラル崩壊?

海外にいるので、『クローズアップ現代』など視られないわけだが、〈日本人のモラル崩壊〉について、2つの意見。

先ずは、http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1310380191/E20060801202336/index.html

散人は、長く生きてきて、世の中を見てきたから断言できる。昔の日本人の公共道徳は、まさに最低だった。地下鉄などの公共交通機関では、車両の扉が開くや否や、乗る乗客が争って中に乗り込む。降りる人はそのおかげで降りることすら出来ない。毎朝のラッシュアワーは、まさに格闘技の場だった。道路では皆われこそはとクラクションを鳴らすので、主要道路ではすさまじい騒音が鳴り響いていた。少年犯罪数は、現代よりもはるかに多く、はるかに凶悪だった。商店街での買い物は、まるで喧嘩。喫茶店の従業員はまるで教育が出来ていなかった。日本はこと「道徳」という点では、まったくの開発途上国だったのである。昭和60年代以降、徐々によくなってようやく「文明国」が出来上がったのだが、「昔の日本はよかった」というNHKバイアスには、うんざり。

たしかに、「クラクション」については憶えがある。

そして、http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060802/1154514971

例の『クローズアップ現代』にこんなシーンがあったそうな。http://eiji.txt-nifty.com/diary/2006/08/post_a473.htmlを引いて、

 図書館で借りた本に、棒線入れる程度ならまだしも、楽譜部分を切り取る。表紙のアイドル写真を切り取る。巻末に延々と著者への批判を赤字で書き入れる等の輩がいるんだそうで。

また、ご本人曰く、

私も番組を見て図書館の本の惨状には驚きました。

 切り抜きや落書きなどの蔵書に対する破損行為はここ数年で急増しているのだそうです。

 次に借りる人に対する配慮が全くないふるまいの数々・・・

「ここ数年で急増している」んですか。前に書いたかもしれないけれど、図書館ユーザーとしての感想だと、図書館の本への書き込みとかは、昔の方がひどかったと思う。それはたんに昔はコピーが高かったから。

ところで、大石さんという方の、

 番組見てて思ったけれど、あれ、社会の匿名化がこのモラル破壊を加速しているように思えましたね。バレなきゃ多少のことは構わないだろう、という人々が増えている。会社に行って、ひとたび名刺を持って外へ出れば、社名を背負ってしまう重圧下の個人が、ひとたび近郊駅を降りた瞬間に、匿名の個人に戻ってやりたい放題し始める。放置自転車がそうですよね。

 丸の内や東京駅、はたまた新宿駅では、誰も放置自転車なんかしないのに、会社から遠く離れると、それが出来てしまう。

という考察は面白いと思った。だけど、そうかな。「丸の内や東京駅、はたまた新宿駅では、誰も放置自転車なんかしない」というのは、ふつうそんな場所でちゃりんこに乗る人はあまりいないということでしょう。また、「放置自転車」の問題は駅から遠くに住んでいる人が増えたということなのでは?それに対して、路線バスは少ない。たしかに、〈所属〉というかwhatの束縛を「重圧」だと感じている人は多い。しかしながら、都市というのは昔から〈悪所〉とか〈盛り場〉ということで、人をwhatから解放する機能を有していた。都市社会学で言えば、磯村英一の〈第三の空間〉論以来の論点の筈。因みに、「近郊駅」というのは、そろそろ家族という所属に束縛され始める場所でもある。

それはともかくとして、ここで言われていることというのは、数十年或いは数百年のスケールの問題である筈。それとここ数年のトレンドとはどうしても釣り合わない。それは、「木走」さんのいう、

社会性が希薄になり公共心が薄くなっているとしか考えられません。

 自分と一部の密な関係の人間以外は全て他人であり、その他人に対しては一切の思いやりも配慮も示すことはない大人達が増えてきているのではないでしょうか。

 他人に対しあたかも無機物のように無視し社会モラルを平気で破る輩が増えてきているのかも知れません。

 電車の中の風景を考えても、平気で化粧を直したり飲食をする若い女性、ところ構わず携帯電話相手に怒鳴り散らす中年男、彼等にはあたかも他の乗客は存在していないような傍若無人な振る舞いです。

 彼等は彼等の子供に公共道徳をどのようにしつけるのでしょうか。

というのも同断。時間的なスケールの釣り合いが取れていないし、また図書館の本を毀損するという乱暴狼藉と「平気で化粧を直したり飲食をする若い女性」というのはどう見ても、釣り合わない。

*1:WONG Yee Fong “Element Fresh still fresh as ever” Shanghai Daily24-25 June 2006