岡崎京子或いは現在形

家に帰って、何回か岡崎京子『恋とはどういうものかしら?』(マガジンハウス、2003)

恋とはどういうものかしら? (Mag comics)

恋とはどういうものかしら? (Mag comics)

を読み返した。そこで注意を引いたのは現在形によるナラティヴ。この印象があまりに強かったので、岡崎京子のマンガは全て現在形で語られていると思い込んでしまったが、また読み返してみると、数としては過去形で語られている作品の方が多い。しかし、現在形による語りというのが強い印象を残したことは間違いない。通常、小説は過去形で書かれる。何故小説では過去形が使われるのかというのは、専門家が色々と論じているだろうし、私も(的外れであるかも知れないけれど)幾つか意見は持っている。しかし、それはここでは言及しない。小説ではなくて、マンガの語りの時制は一般にどうなのか。今まで、そんなことは考えもしなかったが、岡崎京子の現在形の迫力によって、突然謎になってしまった。マンガにおける現在形の語り、それは画面に引き込むと同時に画面から意識を引き剥がす。