「第二のデジタル・デバイド」?

酒井泰斗氏経由で知る。


 http://facta.co.jp/article/200703060.html


曰く、


パソコン(PC)が使えない団塊世代以上の高年齢層の断層を「デジタル・デバイド」と呼ぶが、第二のデバイドが出現したのだ。20代の若年層である。まさか、と思うなかれ。高額のパソコンを持たない彼らは、インターネット利用を安価な携帯電話で済ませてしまう。PC族と携帯族の「デバイド」――それはネットにも「下流社会」が出現したことを意味する。

PCが操作性や安定性からみて未熟な製品であることは事実だが、ホワイトカラーは当分、PCインフラに依存しなければ仕事ができない。しかしブルーカラー、あるいはフリーターは必ずしもPCを必要としない。ノートブックで十数万、デスクトップで最低7〜8万円するPCを買うカネも時間も置く場所もないのだ。彼らが20代の「PC音痴ネットユーザー」である親指族の正体なのである。
この記事の根拠になっているのが、「ネットレイティングス」の「データクロニクル2006・ファクトシート」。グラフを見てみると、たしかに2000年から2006年の間に20代でPCからウェブにアクセスする人の全年齢層に占める割合は半分以下に減少し、50代と殆どタメをはっている。ただ、10代は2000年4月の17.3%から20.9%へと微増しており、平均としてはほぼ変化なしと解していいだろう。これをどう解釈するのか。
この記事を書いた人の懸念はコンピュータ・リテラシーの一般的低下と(90年代半ばに壮んに語られた)万人が情報の発信者、表現者になりうるという「ネット文化」の「衰退」である;

親指入力でどんなに速く入力できても、10本指のキーボードにはかなわない。万人が情報を発信することで成立するネット文化が衰退し、発信力が弱いケータイ文化はひたすら大量に流される情報を消費するだけの受け身になってしまうのではないか。
勿論、そのような「ネット文化」の理想は支持するし、特にインターネットに関わる企業とか政府関係者はそのような「ネット文化」を規範としつつ振る舞う責任があると思う。しかし、理想は理想。(ビジネス文書も含めて)仕事*1として〈書くこと〉をしない人、インターネットを通して公に曝すような自己表現の欲求を持たない人にとっては、ケータイで十分じゃんということも理解できる。
ただ、このような傾向(上にも書いたように、10代の動向を見る限りでは一概にそうもいえないのだが)が、公共性の衰退に繋がるとしたら、その傾向を肯定したくはないとはいえる。ウェブやblogという仕方で「情報を発信する」ということは、仮令その動機が私的なものであっても、またその内実が玉であろうが石であろうが、誰のものでもなく誰のものでもある〈知〉を累積させるということなのだから。

*1:ここでいう仕事は賃労働に限らない。