水楽/紙楽

譚盾の『絶対有機2007(Organic Concerto)』*1を上海大劇院に聴きにいく。「水楽」と「紙楽」の2部構成。先ず、Haruka Fujii、Yuri Yamashita*2、Rika Fujiiという3人のパーカッショニストのパフォーマンスは凄かったの一語に尽きる。曲として、期待以上に面白かったのは「紙楽」の方。というよりも、以前観たクロノス・カルテットによる『鬼戯』*3で、「水」は目立っていたものの、「紙」はあまり目立っていなかったので、いったい「紙」によってどんな音楽が構成されるのかと思っていたのだ。「紙楽」では、紙を煽る、紙をくちゃくちゃにする、紙を引きちぎる、紙を顔に密着させて息を吹きかける、マリンバのスティックで打つという動作のほか、紙の傘、チア・ガールが使うボンボンのようなもの、また日本のでんでん太鼓のような雲南省の民俗楽器も登場する。また、譚盾の指揮によって、オーケストラが譜面を捲る音を立てたときには、会場は大爆笑。紙を煽る、紙をくちゃくちゃにする、紙を引きちぎるというのは、日常的に誰でもが行っている行為であり、子どもの水遊びにしても音を立てるというのが重要な側面であることはいうまでもない。近代的なクラシック音楽はそもそも音楽的な音と非音楽的な音、そして後者の排除によって存立している。そこに、紙や水という非楽器の音を闖入させるというのは、音楽そのものを問うというメタ音楽的な実践なのだが、そのような理屈を捏ねなくても端的に楽しい。というか、暇にまかせて、身の回りの色々なもの(非楽器)を叩いたりして、音による差異を創ってしまうというのは、やはり(実は)音楽というもののはじまりにより近く位置しているといえるのだろう。