オスマン帝国、多文化主義、或いは「ムハマンド主義の退廃的な特性」(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080109/1199847126で、オスマン帝国についてちょこっと触れたので、それに関連して、スラヴォイ・ジジェク「人権の概念とその変遷」(in 『人権と国家』岡崎玲子訳、集英社新書)というテクストから少しメモ。
ジジェク曰く、


早くも十六世紀に、フランスの自然科学者ピエール・ブロンは、「トルコ人はトルコ風の生き方を誰にも強制しない」点を指摘していた。フェルナンドとイザベラが一四九二年にスペインからユダヤ人を追放した際、多くの者が亡命先と信教の自由をイスラーム諸国で得たのも無理はない。非常に皮肉なことに、トルコの大都市において公然と生活を送るユダヤ人の存在に不快感を覚える西洋の旅行者は少なくなかった。(p.134)
ここで、ジジェクは「一七八八年にイスタンブールを訪れたイタリア人N・ビサーニの報告」*1を引く;

パリやロンドンの不寛容を見てきた異邦人は、モスクやシナゴーグに挟まれた教会、カプチン会の托鉢僧と隣り合わせの熱狂的なイスラーム修行僧を目にして驚くことだろう。どのようにして政府がこれほど異質な宗教を懐に受け入れたのかは、理解し難い。この愉快な対比は、恐らくムハマンド主義の退廃的な特性によって生まれたのではなかろうか。さらに仰天することに、寛容の精神は民衆の間に広く普及している。トルコ人ユダヤ人、カトリック教徒、アルメニア人、ギリシア人、プロテスタント教徒が、仕事や娯楽について、あたかも国や宗教を共有しているかのように平和的かつ友好的に会話しているのだから。
ジジェクのコメント――「今日、ヨーロッパ諸国が自らの文化的優越性の表れとして賛美している多文化主義的寛容の精神が「ムハマンド主義の退廃的な特性」の結果として退けられていることに注目したい」(pp.134-135)。また、「二十世紀における重大な民族的犯罪としてトルコ人が責任を負わされているアルメニア人へのジェノサイド*2クルド人への弾圧を実行したのは、伝統主義的なイスラーム政治勢力ではなく、トルコを伝統の足枷から解放し、ヨーロッパ風の国民国家に変革させることを願っていた軍事的近代化の推進者であったことを忘れてはならない」(p.135)。
ところで、ジジェクの次の言もメモしておこう;

偶然に生じた特徴の自然化に関していえば、性生活の詳細な情報まで至る最もプライベートな私事がメディア上で暴露されうる今日、私生活が脅かされるどころか消えてしまうのではないかと嘆くことが、時流に乗っているようだ。それは確かに、ひっくり返せば真実である。心の奥が公開されることによって事実上消えつつあるのは、世間そのものである。なぜなら、世間とは、私的な性質や欲望、トラウマや特異性の寄せ集めである特定の個人に還元しえない象徴的な主体としての人が機能する、厳密な意味での公的な領域だからである。(p.136)

*1:Bozidar Jezernik Wild Europe: The Balkans in the Gaze of Western Travellersという本からの孫引き。

*2:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070930/1191125598