「ただの石」?

『読売』の記事なり;


石仏に「罰当たり」行為が多発…壊す、盗むで地面に固定も


破壊された頭部が復元された役行者の石仏(埼玉県越生町で) 地域住民の心のよりどころとなってきた石仏が、各地で破壊されたり、大量に盗まれたりしている。

 埼玉県越生(おごせ)町では、住民が壊された石仏を半年以上かけて修復したほか、盗難防止のため地面に石仏を固定するところもある。日本石仏協会は「地域に根ざした信仰が衰えているのではないか」と背景を分析している。

 「とにかく元の姿に戻ってくれてうれしい」。越生町の大平山(標高532メートル)の頂上近くに鎮座する「役行者(えんのぎょうじゃ)」の石仏の前で、造林業柴崎富平さん(66)は感慨深げに手を合わせる。

 江戸時代末期の建立とされる高さ約1・6メートルの石仏は一昨年12月、前のめりに倒され、重さ約40キロの頭部がなくなっていた。かけつけた柴崎さんは「しばらく声が出なかった」。10人以上の住民が山中を2日間かけて探したが、頭部は見つからなかった。

 役行者奈良時代の伝説の修行僧で、大平山は関東の修験道の拠点の一つとして知られる。地域住民は先祖代々、この石仏を大切にしており、柴崎さんたちは何とか修復しようと、寄付金を集め、資材を山に運ぶ山道も整備する一方、川越市の彫刻家新谷一郎さん(51)に依頼し、頭部を作り直してもらった。石仏の胴体は山頂から動かせないため、新谷さんと柴崎さんらは10回以上、山に登った。昨年8月には、住民一人ひとりが復元された石仏の顔にパテを塗り、最後の仕上げをしたという。

 「最近、石仏が粗末に扱われる傾向が目立つようになった」。25年ほど前から石仏の写真を撮り続けている横浜市の長岡武虎さん(61)はそう語る。埼玉県や千葉県などで、車がぶつかった傷跡があったり、10体近くが倒されたりした石仏を目にした。

 大分市では昨夏、JR久大線の線路の上に地蔵が置かれ、電車にひかれてめちゃくちゃに壊された。近くの円寿寺の秦順道住職(55)は「誰がこんな悪質ないたずらをするのか」と首をかしげる

 日本石仏協会によると、昨年秋ごろ、徳島県岩手県で石仏の大量盗難が相次いだ。美術的な価値がある石仏は、古道具屋に売られることがあるらしい。盗難を防ぐため、石仏の管理者である自治体や寺などが、敷地内にある石仏の土台部分をコンクリートで固めたり、文化財に指定した石仏を木製のほこらで覆って管理したりするケースが全国的に増えているという。

 同協会の田中英雄副会長は、「かつては地域の結びつきが強く、住民たちが日常的な活動を共にしていたが、最近ではこうしたつながりが希薄になった」と指摘。「信仰のために住民が石仏を建てることもなくなり、石仏はただの石としてしか見られなくなっている」と顔を曇らせる。

 また、国学院大学井上順孝教授(宗教社会学)も、「人々はインターネットなどからの情報に頼るようになり、地域内で情報が伝わらなくなった。そのため、石仏の持つ本来の意味や価値が受け継がれず、これまで『バチがあたる』『恐れ多い』などの気持ちで律されてきたものが崩れてきている」と話している。(朝来野祥子)

(2008年3月7日14時58分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080307-OYT1T00389.htm

取敢えずクリップしておく。
「最近」というのは何年前からのことなのか。「徳島県岩手県」というのはもしかして、過疎化の進展(限界集落問題)*1というのと関係があるのだろうか。よくわからない。「石仏はただの石としてしか見られなくなっている」というコメントはどうか。「ただの石」をわざわざ破壊するだろうか。タリバンによるバーミヤンの大仏の爆破は記憶に新しいが、宗教的オブジェの破壊というヴァンダリズムは度々生起している。ヨーロッパで言えば、宗教改革期におけるプロテスタントたちによる教会の破壊があったし、日本では明治維新の時の廃仏毀釈によって多くの寺が破壊されたし、中国の文化大革命の時の宗教施設の破壊もある。しかし、これらの「破壊」においては(否定的ではあれ)〈宗教性〉が作用していたわけだ。つまり、「ただの石」とか建物ではないからこそ「破壊」された。では、「石仏」を「破壊」する人のパッションは何処に由来するのか。
また、面識もあり、多少の学恩もある井上先生だが、このコメントについては疑問符を付させていただく。