マジな話

大阪府職員研修はhttp://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_dad1.htmlで紹介されている一晩ホームレス体験の方がいいんじゃないか。
ところで、今度は宮崎県。


東国原・宮崎県知事:「体罰は愛のムチ。条例できぬか」と肯定発言

 宮崎県の東国原英夫知事は18日の県議会本会議の終了後、記者団に「体罰は愛のムチ。昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」と、体罰を肯定する発言をした。この日の一般質問で、印象に残った質問を問われ、突然「愛のムチ条例」に言及。議会では、自民党議員が教育問題を取り上げたが、体罰の是非には触れなかった。

 知事は昨年11月、若手建設業者との懇談会で「徴兵制はあってしかるべきだ」と発言。「不適切だった」と謝罪している。【種市房子】

毎日新聞 2008年6月19日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2008/06/19/20080619ddm041010168000c.html

これに対して、マジに反応するのもどうかと思う。「愛のムチ」が「愛のムチ」であることはどのように証明されるのかという哲学的問題は必然的に出てくるだろう。もし「愛のムチ」によって教師とかの権威を恢復しようというなら、それは不可能だと思う。http://blog.livedoor.jp/gegenga/archives/51432608.htmlのコメント欄で、

5. Posted by 南郷力丸 2008年06月19日 22:29
 愛のムチとか愛のローソクとか愛のさるぐつわとか愛の革手錠とかいろいろありますけどねぇ。
 ただ、条例なんか作らなくても、受ける方が同意というか望んでいれば、違法性棄却事由になって、傷害罪にならないと思うのですが。
という意見あり。最初にいった「愛のムチ」証明問題はより根源的な準位の問題であるが、それを棚上げにすると、「愛のムチ」を与える側と受ける側の間に権威という関係が成立しているからこそ、「愛のムチ」は「愛のムチ」として存立するといえる。もしそのような権威(受ける側の視点においては信頼と言い換えることもできるだろう)が不在であれば、「愛のムチ」は「傷害罪」であるばかりか、(例えば)教師‐生徒という役割関係の機能不全を示すことになるだろう。権威という事態は何らの強制も介在しないで服従が行われているということである。
取敢えず、権威問題については、アレントの”What is Authority?”と”On Violence”をマークしておく。
Between Past and Future (Penguin Classics)

Between Past and Future (Penguin Classics)

Crises of the Republic: Lying in Politics; Civil Disobedience; On Violence; Thoughts on Politics and Revolution

Crises of the Republic: Lying in Politics; Civil Disobedience; On Violence; Thoughts on Politics and Revolution

勿論、そのまんま東氏が幹部職員の謝罪の際にハリセンで殴られる儀礼を行うことを制度化し、そのためにちゃんばらトリオを顧問として迎え入れるということであれば、支持する。

ところで、そのまんま東の場合も橋下徹の場合も、その批判者たちも、軍隊というと鉄砲を担いでそこらを駆け回るというイメージを持っているんじゃないか。音楽がやりたいので自衛隊に入ったという人を知っていますけれど。それはともかくとして、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071007/1191693732http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071013/1192292817で取り上げたような軍への動員の仕方の方がより深刻なのだと思う。