「特異な天誅」?

承前*1

田野陽子「【もう一つの京都】三条河原で起こった足利将軍像さらし首事件の背景」http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090308/acd0903080801003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090308/acd0903080801003-n2.htm



霊山歴史館(京都市東山区)が所蔵する「幕末天誅絵巻」(江戸時代、作者不詳)には、事件の概要と、長く続く幕府政権を倒して朝廷に権力を戻すことを求める捨文(すてぶみ)の記述が残る。また実際のさらし首のように、木像の頭部が3つ並ぶ絵なども詳細に描かれている。

 「興味深いのは、天誅といっても、木像の首が取られただけで誰も殺されていないこと」と同館の学芸課長、木村幸比古さん(60)。そのころ、京都では公武合体を進める幕府に対し、下級武士を中心とする尊皇攘夷派の倒幕運動が活発化、幕府にくみする者を斬り捨てる天誅が頻発していた。テロの相次ぐ物騒な世の中で、この事件は、誰も殺されない“特異な天誅”だった。

木村さんは「混沌とした世情だからこそ、人の命を大切にしようという風潮も出始めていたんです。彼らは、木像を相手に形だけのパロディーをやって、社会風刺しようとしたのではないか」と分析する。人を殺さないデモンストレーションで、庶民にアピールしようという計画だったことが推測できるという。

そういう解釈もあるのね。同時代の京都人(公家とか町衆)の日記とかにはどう書かれているのか。足利将軍梟首事件に関しては、そこまでやるかよ(死者に鞭打つのか)と思うのではないかと思うけれど。
この記事には、等持院から「足利尊氏や義晴の木像の左手首」が盗まれた事件も言及されている。もしかして、『産経』(或いは捜査当局)は犯人の政治思想的背景について何か掴んでいるのか。


さて、『産経』の「【週刊韓(カラ)から】茶道の心を伝える 裏千家ソウル出張所」という記事。韓国で茶道が受容されているというのはめでたきこと。しかし、


村松さんによると、韓国人の茶道に対する考えは、日本人とは随分違うという。韓国の茶道は煎茶(せんちゃ)を使った手前(てまえ)が主流で、半年もあれば技術的にマスターでき、2、3年修行を積めば師範になれるらしい。

 一方、日本の茶道の場合、技術の修得だけでも3〜5年かかる。何とか1人前になるのには最低でも10年はかかる。さらに日本の茶道には茶の心といった精神的な部分も多いため、生涯かけて学ぶのが一般的だ。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090308/kor0903081301001-n2.htm

という一節。
自文化の他文化に対する優位を仄めかす文脈で、自文化についての無知を露呈しているというのは如何にも3Kクオリティ。日本にも煎茶道というのは伝わっている*2。なお、私の祖父は煎茶道の師匠であったのだ。