『かもめのジョナサン』(メモ)

北島「開車記」(in『藍房子』*1、pp.159-162)


曰く、


我想我和很多来自中国大陸的男同胞一様、都有一種対速度的熱愛。那是来自一個農業帝国童年的夢想。上世紀七十年代初、美国的暢銷書《海鴎喬那森・利文斯頓》訳成中文、譲不少人着迷、我弟弟甚至把它全部手抄下来。作者是退役的飛行員。他借一只海鴎飛行的故事、大談速度的美。在空曠的高速公路上開車会譲我想起這故事、特別在日落時分、譲人賞心悦目、如果再能有我這様的音響的話。(p.160)
1970年代前半にリチャード・バックの『かもめのジョナサン』が中国語に訳されたということなのだが、これは公刊されたものなのか。文革中に広く(こっそりと)出回っていたという手書き本としてなのか。ここでも、北島の弟が全部自らの手で写したことが書かれている。
Jonathan Livingston Seagull: A Story

Jonathan Livingston Seagull: A Story

実は『かもめのジョナサン』というかJonathan Livingston Seagullは私が生涯で初めて読んだ英語の小説。
ところで、この小説は(実際に彼が訳したのかどうかは怪しいものだが)五木寛之の訳で日本語版が出て、大ベストセラーになった。そして、売れただけでなく、多くの駄洒落も生み出し、その影響は『トラック野郎』の「やもめのジョナサン」(愛川欽也)にまで及んでいる。当時ベストセラーの『かもめのジョナサン』に手を出した人々も多分ストーリーを忘れていたり、さらには読んだこと自体の記憶も失っているかも知れないが、1970年代中頃の日本の社会意識を探る上で、『かもめのジョナサン』が売れたということはそれなりに重要な意味を持っているのではないかとも思う。その後、『かもめのジョナサン』の存在をずっと忘れていたのだが、1995年にオウム真理教地下鉄サリン事件を起こした数か月後、『ニュースステーション』を視ていたら、オウムの某幹部の愛読書が『かもめのジョナサン』であったことが紹介されていた。そこでは、名前は失念したが、コメンテーターかなんかが*2〈飛ぶこと〉を極めようとするジョナサンが鴎の群で疎外感を感じて群を離脱するストーリーを取り上げて、オウム真理教のような世俗社会と世俗社会で暮らす人々を蔑視する独りよがりな発想の原点は『かもめのジョナサン』にあった! と糾弾していた。とはいっても、1970年代の日本では『かもめのジョナサン』を100万単位の人たちが読んでいたのだ。