〈映画〉への侮辱

承前*1

芦田宏直THIS IS IT を絶賛する連中はマイケルジャクソンのファンではない― このビデオ映像のどこがいいというのか。」http://www.ashida.info/blog/2010/01/this_is_it.html


Kenny Ortegaの『THIS IS IT』を巡って、「一番悲しかったのは、マイケルが観客のいないコンサート会場で歌い続けることだ」。それは少なからぬ人が感じたことだと思う。私も同感。しかし、こいつの文章を読んでいてむかついたのはKenny Ortegaという映画作家に対する敬意が全然感じられないことだ。こいつの口振りだと、彼はマイケル・ジャクソンの死に便乗して金儲けを企んだたんなる俗物だということになってしまうではないか。さらに、1人の映画作家への侮辱だけではなく、〈映画〉というものに対する侮辱も感じ取ってしまった。不敬罪懲役18年!
「マイケルが観客のいないコンサート会場で歌い続けること」、これは映像作品としての『THIS IS IT』の眼目であるともいえる。以前も書いたことだが、観ている者誰もがこのリハーサルには本番は存在しないということを知っている。そのことが映像の中でのMJの姿をより哀しく・感動的なものにしている。Kenny Ortegaはその〈究極のオチ〉を一切言及していない。もし、もっともらしいMJ追悼のコメントがナレーションで、或いは字幕で挿入されていたとしたら、『THIS IS IT』は安っぽい便乗商品に成り下がっていたことだろう。「実際の映画館での上映では、その場自体がコンサート会場のようになって盛り上がった」ということなのだが、観衆がこの映像に、もしかしたら存在していたかも知れない〈本番〉、(最近の流行語に便乗すれば)非実在未来を幻視していたのだろうなということは想像できる。
「マイケルが生きていればこんな作品は存在しなかったに違いない」。たしかに、単体の作品として映画館で公開されたり、DVDが発売されるということはなかったろう。これは所謂メイキング物というジャンルに属すべき作品で、本来ならDVDの〈特典映像〉として収録されるべきものだっただろう。しかし、あの歴史的事件がこれを〈特典映像〉からメイン・フィーチャーへと押し上げてしまった(あくまでも想像)。
さて、試行錯誤を重ねながら〈音楽〉がつくられていくプロセスというのはそれ自体がドラマを含んでおり、フィクション・ドキュメンタリーを問わず、映画作品に対しては恰好の主題を提供してきたといっていい。映画のジャンルとして、音楽リハーサル(メイキング)物というのを考えてもいいとさえ思っている。最近フェリーニの『オーケストラ・リハーサル』に言及したが*2、ほかにもゴダールの『ワン・プラス・ワン』におけるローリング・ストーンズ、『右側に気をつけろ』におけるリタ・ミツコ。ゴダールの作品だと、『カルメンという名の女』において所々に挿入されるベートーヴェン弦楽四重奏曲をリハーサルするシーンが重要な役割を与えられている*3。また、中江裕司の『40歳問題』*4も挙げておこう。さらに、矢口史靖の『スウィングガールズ』、山下敦弘の『リンダリンダリンダ』も音楽リハーサル(メイキング)物に入れることができるだろう。それから、勿論魏徳聖の『海角七号*5も!

オーケストラ・リハーサル [DVD]

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ワン・プラス・ワン [DVD]

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右側に気をつけろ [DVD]

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カルメンという名の女 [DVD]

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40歳問題 [DVD]

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スウィングガールズ スペシャル・エディション [DVD]

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リンダリンダリンダ [DVD]

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海角七号 2枚組特別版(台湾盤) [DVD]

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