「制服」についてメモ

「制服」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060312/1142190612 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070319/1174316107 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070515/1179237549 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070924/1190656902 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071112/1194798889 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090724/1248409057 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090806/1249531817 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100213/1266069745 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100219/1266560714とかで言及している。
さて、http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/784に曰く、


個人的には、中学高校のどこかの時期は、やはり制服があったほうがいいんじゃないかと思っている。

若いある時期に、制服という制約を押しつけられることで、初めてたぶん、ドレスコードの地続きと、断絶と、そんな感情を体験できて、そのことにはたぶん、意味がある。

徒手帳の音読を毎日強制したところで、面倒くさいなと反発されこそすれ、学生の行動は変わらない。ところがとりあえず制服というものを押しつけられた学生は、その瞬間から「彼は学生だ」という、社会での役割みたいなものから逃げられなる(sic.)。「学生の振るまい」を周囲から強制されて、振る舞ってみて、それから初めて、それに反抗しようとか、これは良くないとか、そういう感情が生まれるんだと思う。

押しつけという体験がないと、「これはよくない」の、「これ」という原点が得られない。原点なんてないほうが自由だけれど、そういうものを押しつけられないと、反抗しようにも、どう反抗していいのか分からなくなるんだと思う。原点なしで反抗するのは、無重力空間に放り出された状態で歩こうとするようなものだから、管理するほうは、そのほうが楽かもしれないんだけれど。

制服が生み出す効果というものがあって、外観は、否応なしにその人の行動を制約するし、上手に使えればお互いの関係が上手くいく。

自由を知るために、自由にやるために、いろんな不自由を体験しておくことには、きっと大きな意味があると思う。

ここには、「制服」を起点とした(社会学用語としての)役割*1についての興味深い洞察がある。「制服」によって〈役〉が可視化されて、他者が〈役〉に対して働きかけ、それに対して私は〈役〉として反作用する。そのようにして、役割が構成されていく。勿論、そのような「不自由」と「自由」を架橋するためには舞台と楽屋の区別がなされていること、「制服」が時間的にも・空間的にも私の全世界を占めていないことが必要だろう。それによって、「制服」を着た私の振る舞いは演戯(play)として相対化されうる。
「制服」を巡って、少し抜き書き。鷲田清一『ちぐはぐな身体』から;

(前略)精神の緊張・集中が必要なとき、ぼくらは決まったように制服を着用する。
さてこれが制服の表の顔だとしたら、制服にはもう一つ、裏の顔とでもいうべきものがある。それは、制服へのいわば裏返されたまなざしであり、つまりは、規律への従順さを表す制服が、まさにその従順さを凌辱するようなまなざしを呼びよせるという側面だ。コスチューム・プレイや着せ替え、異性装、そしてセーラー服願望など、制服への執拗なフェティシズム。制服でもとくに規律性の高いものが、欲望の震えとでもいうべきものを誘いだすようだ。
さて、これだけでももう、制服というものが、外見の演出をつうじて精神に関与するもの、精神を拘束する、あるいは弄ぶものであることが、うかがえる。そしてさらに、制服をもう少し拡大解釈して、サラリーマンの背広やOLのスーツのようにほぼ同じ形、同じ色目で、かつ既定の性差のイメージ、それに特定集団ないし特定の職種への帰属を指示する、いわゆる「らしい」服まで含めると、逆に、制服でない衣服を探すほうがむずかしくなる。
ぼくらをがんじがらめに拘束するとおもえば、ときにひとをディープに誘惑する装置でもあり、また「じぶん」というものについてのガチガチになった固定観念を緩めてくれるかとおもえば、散らばった気持ちをぐっと引き締めてくれもする装置である制服、そのあやしい秘密はいったいどこにあるのだろう。
制服はひとの〈存在〉を〈属性〉に還元する。(略)たぶんそこに鍵がある。(pp.63-64)

制服は、だれもがはやく脱ぎたいとおもっている。夕方になるとはやく終業時間にならないかとおもい、最上学年になるとはやく卒業したいなとおもう。が、制服には意外に心地いい面があることも、ひそかに体験してもいる。
(略)じぶんの全身はイメージとして想像するしかないものなので、とても心もとない。そんななかで、ぼくらはもらった贈り物の箱をがらがら揺さぶって中身を推測するように、じぶんの外見をさまざまに加工することで、そのイメージを揺さぶり、じぶんがだれか、じぶんには何ができ、何ができないかを、身をもっておぼえてゆくのであった。そういうときに、一義的な社会的意味と行動の規範が明示された制服は、社会のなかの個人としてのじぶんに確定したイメージを与えてくれる。服が自由すぎて、選択の幅がすこぶる大きくなると、じぶんを確定する枠組がゆるくなりすぎて、かえって落ちつかない。制服のほうが選択に迷わなくてかえって楽なのだ。おとなになって、じぶんはこのブランド、この会社の服というふうに決めてしまうと、毎シーズン、買い物が楽なのと同じだ(もちろん、自由な服だと、毎日どんな服を着ていくか、それを決めるためにいろいろなことを考えるので、ファッション感覚はきたえられる。この点、制服だと、服装についての訓練がおざなりになって、卒業してから苦労する)。(pp.74-75)

(前略)じぶんの固有性にこだわるというより、むしろじぶんを適度にゆるめておくことのできる服。そういう服をぼくらは制服というものにひそかに求めだしているのかもしれない。制服を着ると、ひとの存在がその(社会的な)《属性》に還元されてしまう。そうすることで、ひとは「だれ」として現われなくてもすむ。人格としての固有性をゆるめることのできる服とは、そのなかに隠れることができる服である。そう考えると、現在の制服も、人びとによって、人格の拘束とか画一化といった視点からではなく、むしろ制服こそが“自然体”という感覚で受けとめられだしているのかもしれない。これは注目しておいていいことだ。(p.79)

ぼくらは制服を着ることでも、いかがわしい存在になることができる。制服のなかに隠れることができるからだ。これまでみてきたことからもあきらかなように、制服はぼくらを閉じ込める、とは単純にいえない。制服という拘束服に反発する気分はよくわかる。けれども、ひとがふつうに着ている服が、おかあさんらしい服であったり、サラリーマンらしい服であったり、老人らしい服であったりするのをみていると、ぼくにはどんな服も制服であるようにみえてくる。だいいち、変形の学生服にしたって、一目でわかるくらい明確な特徴があるのだから、それも抵抗の制服だといえるのだ。(略)
同じように、個人を匿名の《属性》に還元するという意味で、制服は一種の「疎外」のマークでもあるが、同時にそのようにして個人を、つねに同じ存在でいなければならないという《同一性》の枠から外してくれるという意味で、ひとをつかのま解放してくれる(あるいは緩めてくれる)装置でもあるのだ。(pp.79-80)
ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

また、『モードの迷宮』から;

身体は〈わたし〉という見えないものに浸透されてはじめて〈わたしの身体〉として可視化する。ところが逆に、この〈わたし〉という見えないものは、衣服と身体、さらにはそのヴァリアントとしての言語といった可感的な物質の配置のなかで、〈意味〉を通して紡ぎだされるものでもある。要するに、衣服=身体は、意味を湧出させる装置でありながら同時に意味を吹きこまれるもの、つまりは意味の生成そのものなのだ。
だから、衣服の向こう側に裸体という実質を想定してはならない。衣服を剥いでも、現われてくるのはもうひとつの別の衣服なのである。衣服は身体という実体の外皮でもなければ、皮膜でもない。衣服が身体の第二の皮膚なのではなくて、身体こそが第二の衣服なのだ。これを取り違えるところに、衣服は身体を被うもの、身体を保護するものである(あるいは、でしかない)という誤った観念が生まれる。(pp.27-28)
モードの迷宮 (ちくま学芸文庫)

モードの迷宮 (ちくま学芸文庫)

また、「制服」に関して、種村季弘『ぺてん師列伝―あるいは制服の研究』もマークしておく。それから、言語的「制服」としての「文体」を巡って、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100420/1271785873を。
ぺてん師列伝―あるいは制服の研究 (河出文庫)

ぺてん師列伝―あるいは制服の研究 (河出文庫)

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050727 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20051214 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060217/1140138853 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060319/1142788647 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060329/1143631524 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060331/1143821284 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060501/1146502155 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060509/1147137862 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060727/1154012155 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060909/1157773946 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061030/1162173046 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061109/1163080989 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061226/1167151875 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061227/1167215966 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070301/1172726884 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070318/1174233233 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070323/1174628115 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070324/1174757531 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070712/1184218363 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070807/1186490802 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071024/1193204480 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080125/1201289239 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080624/1214278073 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080718/1216359742 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080817/1218939934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090210/1234250786 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090226/1235674700 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090531/1243749688 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091116/1258370011 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100208/1265560773