José Saramago

FERNANDA EBERSTADT “José Saramago, Nobel Prize-Winning Writer, Dies” http://www.nytimes.com/2010/06/19/books/19saramago.html


葡萄牙の小説家で、葡萄牙語で書く作家としては最初で(今のところ)唯一のノーベル文学賞受賞者であるJosé Saramago氏が亡くなる。享年87歳。記事の最後にあるハロルド・ブルームのコメントを引用しておく;


“Saramago for the last 25 years stood his own with any novelist of the Western world,” the critic Harold Bloom said in 2008. “He was the equal of Philip Roth, Günther Grass, Thomas Pynchon, and Don DeLillo. His genius was remarkably versatile — he was at once a great comic and a writer of shocking earnestness and grim poignancy. It is hard to believe he will not survive.”
また、彼は非妥協的共産主義者としても知られるが、上の記事では”To many Americans, Mr. Saramago’s name is associated with a statement he made while touring the West Bank in 2002, when he compared Israel’s treatment of Palestinians to the Holocaust.”とも述べられている。

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070720/1184897369 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080430/1209575387

「ヒップホップ世代」とか

PATRICIA COHEN “Long Road to Adulthood Is Growing Even Longer” http://www.nytimes.com/2010/06/13/us/13generations.html


長らく所謂「ベビー・ブーマー」は「成長したくない世代」であると考えられてきた。しかし、「真のピーター・パン」は「ブーマー」の次の世代だという話。或いは、(エリクソン小此木啓吾*1の言葉を使えば)米国人の「モラトリアム」は長期化し続けているという話。


National surveys reveal that an overwhelming majority of Americans, including younger adults, agree that between 20 and 22, people should be finished with school, working and living on their own. But in practice many people in their 20s and early 30s have not yet reached these traditional milestones.
少しネタを拾っておくと、1980年に初婚年齢の中間値は23歳だったが、現在では男が27歳、女が26歳である。初婚年齢の上昇は35歳以降に第一子を出産する女性の増加を導いている。また、この傾向は米国におけるあらゆるエスニック集団、収入集団で認められるという。18〜34歳の男女は平均で親の収入の10%を受け取っている。また、親と同居する人の増加。2007年には25歳の白人男性の4分の1が親と暮らしているが、2000年には5分の1、1970年には8分の1だった。
その主な原因は、1970年代以降の米国経済の脱工業化に伴う高学歴化である。最終的に学校を卒業する年齢が高くなるので、従来〈成熟〉の指標とされてきた就職、結婚等々は繰り延べされる。しかしその一方で、従来の〈成熟〉の指標が指標として機能しなくなったということもある。かつては結婚や出産は「大人であることの定義(definition of traditional adulthood)」の一部をなしていたが、今や「ライフスタイルの選択」の問題となっている。現在米国における出産の40%は「未婚の母」によるものであり*2、その一方で40代の女性の20%には子どもがいない。


ところで、「ベビー・ブーマー」というのは(日本の団塊の世代とは違って)分厚い層をなしている。大まかに言って、1946年(戦争中の1943年という説もあり)から1965年頃までに生まれた米国人はbaby boomerと呼ばれる。「ブーマー」に続く世代はふつう「X世代」と呼ばれている(ダグラス・クープランドの小説『ジェネレーションX』とか)。また、「ヒップホップ世代(hip-hop generation)」ともいうらしい。Matt Masonは「ヒップホップ世代」を大まかに”those who grew up or are growing up after the boomers”と定義している(The Pirate’s Dilemma*3, p.175)。「ベビー・ブーマー」は「ロック」をその対抗文化的コアとした世代であり、「ヒップホップ世代」は「ヒップホップ」をその対抗文化的コアとしているということになる――”the baby boom generation remembers themselves using rock ‘n’ roll to shake up in the sixties and end the Vietnam War, as we are now reminded in TV ads for retirement plans.”(p.190)。また、Matt Mason曰く、


Many baby boomers consider this generation[hip-hop generation] apathetic compared to themselves. But before the war in Iraq even started, the hip-hop generation had organized the largest protests in history against the decision to go to war. Between January 3 and April 12, 2003, a total of thirty-six million people across the globe took part in almost three thousand protests. (p.191)
これは米国を超えた射程を持つ発言だけど、はたして米国以外で「ヒップホップ世代」という言い方が可能なのかどうか。
ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち (角川文庫)

ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち (角川文庫)

The Pirate's Dilemma: How Youth Culture Is Reinventing Capitalism

The Pirate's Dilemma: How Youth Culture Is Reinventing Capitalism

*1:例えば『モラトリアム人間の時代』とか。

モラトリアム人間の時代 (中公叢書)

モラトリアム人間の時代 (中公叢書)

*2:1990年から28%増加している。

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090822/1250886412

「能力主義」から「年功序列」へ?

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100613/1276414494に関連するか。

先月末の『朝日』の記事;


強まる年功序列志向 新社会人、勤務先に満足7割強

2010年5月30日9時17分


 今年4月に働き始めた新社会人の3割近くは第4希望以下に就職したが、全体の7割強が勤務先に満足し、能力主義より年功序列の賃金体系を望む人が多い――。インターネット調査会社マクロミルの調査でこんな結果が出た。

 今月7〜9日、1987〜88年生まれの新社会人(公務員も含む)を対象に、男女258人ずつ計516人から有効回答を得た。調査は2008年から毎年実施している。

 現在の勤務先の志望順位は「第1希望」が42%で09年より7ポイント減り、「第4希望以下」は29%と9ポイント増えた。勤務先に「満足」「どちらかと言えば満足」は計74%で、過去2年より満足度は高い。

 どの賃金体系を望むかは「年功序列型」が41%、「能力主義型」が35%。「年功序列型」は08年が32%、09年が37%と増加傾向にある。

 マクロミルの担当者は「厳しい就職活動の経験から、不安な気持ちが根底にあることが見て取れ、結果として安定志向も強まっている」と分析している。(江口悟)
http://www.asahi.com/business/update/0529/TKY201005290350.html

そもそも「能力主義」と「年功序列」というのが対立するものなのかどうかわからない。また、たしか熊沢誠氏(『能力主義と企業社会』)が指摘していたように、ホワイトカラー労働の場合、組織(部門)のパフォーマンスを個人の能力に還元できるかという問題がある。さて、「年功序列」を巡って、岩井克人氏は

年功賃金制度とは、勤続年数によって賃金が上がっていく制度ですが、たんに従業員の賃金がそれぞれの生産性(正確には限界生産性)の上昇に比例して上がっていくというのではありません。ここで言う年功賃金制とは、従業員が若いときにはその賃金は生産性以下に抑えられ、従業員の年齢が高くなるとその賃金は生産性以上になるという賃金システムです。当然、賃金の伸び率は生産性の伸び率を上回ることになるのです。
これがどういう意味をもっているのかというと、若いうちは、会社に与えるもののほうが会社から受け取るものより大きいので、その分、会社に一種の預金をしていることになります。それは、若いうちに辞めてしまうと会社に取られてしまうので、一種の身代金、英語でいうとHOSTAGEの役割をすることになるのです。会社に身柄を預けて、長年働き続けるうちに、この身代金がだんだん戻ってくる。定年まで勤めあげると、そのすべてを取り戻すことができるという仕掛けになっているわけです。同じ会社で長く働けば働くほど有利ですから、従業員には、会社に長く居続けるインセンティブが生まれます。(『会社はこれからどうなるのか』、pp.189-190)
と述べている。「年功序列」を希望するというのは会社に対するより長期的なコミットメントを表明しているということになる。ここからは色々な社会学的帰結が予想されるだろうけど、ここではいちいち述べない。まあ、入社して数か月ということはまだ「能力主義」にしても「年功序列」もあまり切実な意味を有していないということでもある。何しろ「能力」もまだ未開発で、「年功」も積んでいないわけだから。寧ろ「年功序列」についての損得の感覚が切実なのは或る程度熟練もし、同時に将来の出世についても見えてくる30代の人なのでは?
能力主義と企業社会 (岩波新書)

能力主義と企業社会 (岩波新書)

会社はこれからどうなるのか

会社はこれからどうなるのか

柵封体制の変容(メモ)

韓昇「論魏晋南北朝高句麗倭国冊封」in徐洪興、小島毅、陶徳民、呉震(主編)『東亜的王権與政治思想――儒学文化研究的回顧與展望』*1復旦大学出版社、2009、pp.16-26


先ず「中国古代王朝処理対外関係的一個重要方法」としての「柵封」について;


在以徳撫遠的思路下、招撫周辺国家、構建以中国古代王朝為中心的国際体系、就是対外政策的中心目標。在這個目標下、通過対周辺国家君主乃至臣下進行柵封、同中国皇帝結成君臣関係、成為外臣。所謂的“外臣”、是同皇帝直属的朝廷百官的“内臣”相対而言、分布在境外、或者辺遠偏僻之地、定期朝貢却“不知朝事”*2。這是中国古代王朝処理対外関係時経常採用的形式、用以構建以中国古代王朝為中心的国際体系。(p.16)
さて、「五胡」が中原に侵入し、西晋王朝が崩壊し、五胡十六国時代に突入すると、「東亜国際権力真空」が生まれ、それに伴って「柵封」にも変化が生じる(p.18)。先ず、「授予外臣軍職」、つまり「封号軍事化」(p.19)。東漢後漢)の「漢委奴国王」、曹巍の「親巍倭王」。南北朝に入って、宋の文帝による「倭王」の封号は「安東将軍、倭国王」。順帝は「使持節、都督倭、新羅任那加羅、秦韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王」と「加封」している。封号のうち「倭王」の前は全て「軍職称号」である。

西晋滅亡以後、中国全境陥入戦争状態、軍事最以重要、各地紛紛以軍統政。故地方官以軍人出任、或者帯将軍号。重要的州刺史開幕府、中央政府亦令其持節以提昇品級、加重権威。没有帯将軍号的刺史受軽視、称作“単車刺史”、位卑権軽。因此、以軍統民、地方官帯将軍号是戦争時期普遍的現象。這種情況也反映到対外関係上、南北政権柵封外国君長多加将軍号、以示隆重、否則地位顕軽。把将軍号封給外国君長、就是在這種背景下出現的。(ibid.)
次いで、「授予国内地方官職」(p.20)。東晋安帝義煕9年(413年)の「高句麗王」柵封。その封号は「使持節、都督営州諸軍事、征東将軍、高麗王、楽浪公」(『南史』「夷貊伝」下)。「営州」は「国内的州」で、現在の河北省遷西県。勿論、この地を高句麗がコントロールしていたということはなかった。ここは北朝支配下にあり、(南朝の)東晋の支配も及んでいないので、「不具有実質意義」の「虚封」であった(p.21)。東晋を初めとする南朝政権は失地回復を試みて、常に「北伐」を行っていたが、常に「無功而返」であった(p.18)。なお、「地方官職虚封」は北朝政権でも行われていた(p.21)。
それから、日本列島の「倭王」に対する封号は、漢魏においては「漢委奴国王」、「親巍倭王」というように中国の王朝名が冠せられていた(「藩国王号」)。これは中国内地(雲南)に対する封号とは形式を異にする。1956年に雲南省「晋寧石寨山滇王墓」から発掘された「滇王之印」には「漢」という王朝名はない。この差異の理由について、韓昇氏は「史料不足」のため結論は下せないとしている(pp.22-23)。


「柵封」体制については、近代におけるその終結を論じた金鳳珍「近代における東アジア地域秩序の再構築」(in 加藤祐三編『近代日本と東アジア』、pp.33-59)を取り敢えずマークしておく。

近代日本と東アジア―国際交流再考

近代日本と東アジア―国際交流再考

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090919/1253330016

*2:漢書』「李尋伝」からの引用。

90歳

Peter Bradshaw “The heart-wrenching performance of Setsuko Hara, Ozu's quiet musehttp://www.guardian.co.uk/film/filmblog/2010/jun/16/setsuko-hara-birthday-tokyo-story


木曜日、女優・原節子さんが90歳の誕生日を迎えられた。原さんのことを”one of the greatest stars in cinema history”というBradshaw氏は小津安二郎の『晩春(Late Spring)』、『麦秋(Early Summer)』、『東京物語(Tokyo Story)』の所謂「紀子三部作」、特に『東京物語』における原さんの演技に言及する;


She had a recurring role as Noriko in a trilogy of Ozu films: Late Spring (1949), Early Summer (1951) and Tokyo Story (1954), the first of which was reworked as Late Autumn (1960). Of these, it is Tokyo Story – routinely hailed as one of the best films ever made – that can never be forgotten once seen, and Setsuko Hara's exquisite performance is surely a vital part of what makes this film Ozu's masterpiece. It is about an elderly married couple who make the tough journey to the big city to visit their busy grown-up children, only to find that they have no time for their parents, and the only person who does is their daughter-in-law Noriko, played by Hara. She is the widow of the son who is still listed missing presumed killed in the second world war. This vulnerable old couple are the only link she has to her husband: they are the only people it makes sense for her to love, and she appears to be the only person who loves them. Her desperately polite smile, her dignity and the quiver of heartbreak in her voice are absolutely captivating. I defy anyone to watch this film and not feel simply overwhelmed with a kind of love for Hara – however absurd that may sound. 
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さらに(『晩春』の変奏であるともいえる)『秋日和*1に言及して、

Again, it is her politeness which is so heart-wrenching, a submissive politeness in many ways, but a politeness which crucially gives her dignity, bearing and status in excess of the men. Ozu had his Hara in a way that, perhaps, Almodóvar has his Cruz. She distilled a certain essence of his films.
と述べる。
Bradshaw氏も述べているように、原節子といえば小津ということになるのだが、勿論他の映画作家とも仕事をしており、黒澤明の『わが青春に悔いなし』*2、『白痴』に主演していることは言及しておきたいし、それから今井正の『青い山脈』か。原節子にとって成瀬巳喜男は小津に次いで重要な監督ということになるのだろうけど、恥を晒すと、成瀬=原の作品としては『めし』くらいしか観ていない(汗)。
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さて、Bradshaw氏が提唱するように、『東京物語』のヴィデオを観て木曜日を過ごした日本人はいかほどありや。

小津安二郎については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070811/1186817046http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071115/1195100485で言及している。

*1:これはまだ観ていない。Orz

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091123/1258950633