「キャーッ」など

ライオンは寝ている

ライオンは寝ている

大貫妙子『ライオンは寝ている』*1から抜書き;


虫を見たりしてキャーッとかコワーイとかって、女の子は昔っからそんな風だったのでしょうか。そばでキャーッなんて叫ばれると、私はその声のほうによほどびっくりしてしまいます。そもそもキャーッなんて奇声は、すぐに出るものではありません。いつもキャーキャー発していない限りは。世の中が騒々しいのは、このトーンの高さにも原因はあります。TVのバラエティー番組などつけると、私には人の叫び声しか聞こえてきません。どこか静かな所へ行きたくなってしまいます。
ついでに、私のようなわがまま人間は他人に顔色をうかがわれるのも、苦手です。いえ、苦手をとおりこして嫌いです。少々浮かない顔をしている時だって、自分がどうしてそんな気分なのかを説明出来ません。逆に明るいと「いやに元気だね、どうしたの?」と、くるわけです。それは、その時の調子だから、そうなっているとしか答えられません。
顔色だけではなく、人が何か行動を起こすと、その全てに理由がくっついていないと、他人は安心しません。そうした人社会のものの見方や、他者との関係性で野生動物を見たり語ったりすることは、とても危険です。野生動物だって行動のいちいちに理由があるわけではないのです。さらに野生動物の本などには「〜は〜をしない。」と書かれているにもかかわらず、したりすることもあるのです。
ディズニーをはじめ、自然を語る映像の多くが、人のものの見方や行動を野生動物にあてはめるという過ちを犯してきたと思っています。そもそも動物に、いい奴も悪い奴もいないのだし、アフリカの平原を見渡しながら思うことはただひとつ。ここには善も悪も無い。そのうえで非常にたくさんのドラマが起こっているということなのです。(「はじめに」、pp.8-9)