中島隆博『『荘子』――鶏となって時を告げよ』(その2)

承前*1

『荘子』―鶏となって時を告げよ (書物誕生―あたらしい古典入門)

『荘子』―鶏となって時を告げよ (書物誕生―あたらしい古典入門)

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)

荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)

荘子 第3冊 外篇・雑篇 (岩波文庫 青 206-3)

荘子 第3冊 外篇・雑篇 (岩波文庫 青 206-3)

荘子 第4冊 雑篇 (岩波文庫 青 206-4)

荘子 第4冊 雑篇 (岩波文庫 青 206-4)

中島隆博『『荘子』――鶏となって時を告げよ』 第II部「作品世界を読む 物化の核心をめぐって」について。


プロローグ


第I部 書物の旅路 『荘子古今東西
第一章 『荘子』の系譜学
第二章 中国思想史における『荘子』読解――近代以前
第三章 近代中国哲学と『荘子』――胡適と馮友蘭
第四章 欧米における『荘子』読解


第II部 作品世界を読む 物化の核心をめぐって
第一章 『荘子』の言語思想――共鳴するオラリテ
第二章 道の聞き方――道は屎尿にあり
第三章 物化と斉同――世界そのものの変容
第四章 『荘子』と他者論――魚の楽しみの構造
第五章 鶏となって時を告げよ――束縛からの解放


エピローグ
参考文献
荘子』篇名一覧

第II部では「『荘子』の新たな読解の可能性」が「提示」されるが、先ずその際の鑰言葉は


言語

物化と斉同
他者
自由


になることが告げられる(p.111)。
第一章では先ずYouru Wang(王又如)が言及していた(pp.104-105)「蹄筌の故事」が採り上げられる(pp.111-112);


筌は魚をとらえる手段で、魚を手に入れれば筌を忘れる。蹄は兎をとらえる手段で、兎を手に入れれば蹄を忘れる。言は意をとらえる手段で、意を手に入れれば言を忘れる。わたしはそのような忘言の人と出会って言葉をかわすことができようか。〔それは非常に困難だ。〕
著者が問うのは、はたして「忘言の人」とのコミュニケーションは「肯定」されているのかどうかということである;

だが、『荘子』のこの箇所は、はたして「忘言の人」と語る可能性を積極的に肯定しているのだろうか。この箇所の前で論じられているのは「言(言葉)」と「意(意図、意味)」であり、その関係である。そうである以上、「忘言の人」と語る可能性が単純に前提されているとは考えにくい。問われているのは、伝達可能性のアポリア(難題)である。つまり、「意」を伝達するのに「言」は必要であるが、しかし「言」は同時に「意」を損なってしまうというアポリアが問われているのだ。そうであれば、「忘言」を「無言の言」という高次の言語活動に簡単に帰着させるべきではない。そうではなく、「意」の伝達の後に「言」を捨て去らねばならないが、すでに「言」を捨て去った「忘言の人」とはコミュニケートできないというアイロニーとして読解する方が、このアポリア的な場面を際立たせるだろう。(p.113)

他者とのコミュニケーションの可能性が「忘言」を不可能にするというアイロニー。もしこうしたアイロニーを『荘子』の 蹄筌の故事に読むことができるとするならば、『荘子』が言語を忘却しようとした意味を、より慎重に考えることができるだろう。つまり、『荘子』にとって言語は、意図やコミュニケーションを妨げるものでありながらも、それはやはり意図やコミュニケーションの可能性の条件を成していて、忘却にまかせることはできないものである。それは、『荘子』のなかで、他者という次元を捨て去ることができないということでもある。(p.115)
「忘言の人」とのコミュニケーションを「肯定」する解釈が生まれたのは、この箇所が「形而上学的に」、つまり「より高次の「無」という審級を立てて、言語を階層化」する仕方で読解されてきたからだという(ibid.)。それは魏の王弼に始まる(pp.115-121、see also 第I部第二章)。また曰く、

(前略)蹄筌の故事を、王弼的な「忘象得意」という転倒によって理解する必要はないし、しかもそれは適切ではない。『荘子』が述べていることは、「意」をとらえる手段である「言」は、忘却可能なものであるし、あるいは忘却した方がよいものでもあるが、それでも「言」をなくすことはできないということである。それは、言語の持つ否定的な働き(他の「意」を表現して、その「意」の純粋さを損なう)に気づきながらも。言語は都合よく還元できない何かだということを意味している。(pp.121-122)
次いで、『荘子』における「書き言葉」に対する「懸念」が「表明」されているパッセージが3つ引用されている(pp.122-123)。その中でも、著者の論にとっていちばん重要なのは、「天道篇」の車大工の扁さんと(読書中の)桓公との問答だろう;

(前略)
――「公のお読みになっているのはどのような言葉ですか」。
――「聖人の言葉だ」。
――「聖人は生きていますか」。
――「もうとうに死んでいる」。
――「ではあなた様のお読みになっているものは、古人のしぼり糟にすぎませんね」。
桓公は言った。「わたしが書物を読んでいるときに車大工ごときが大きな口をたたけるのか! 申し開きができればよし、できなければ命はないぞ」。
扁が答えた。「わたしはわたしの車づくりの仕事で考えているのです。輪を削るとき、ゆっくりだと緩くなって締まらず、速く削ると窮屈で入りません。遅すぎず速すぎず削ることは、手で覚えこころに感じるものなのです。口で言うことはできませんが、コツはそこのところにあります。それは自分の子供にも教えることができませんし、子供もわたしから受け取ることはできません。だから七〇のこの年になっても輪を削っているのです。〔これと同様に〕古人は自分の伝えることのできないものとともに死んでしまったのです。だからあなた様のお読みになっているものは、古人のしぼり糟にすぎないのです。
著者によれば、この「議論の中心は、意→言(語)→書というヒエラルキーが存在し、その中で「書かれたもの」「書き言葉」は最も派生的で最も劣っているのに対し、「意」は最も根源的であって、言語によって伝達が困難なほど素晴らしいということである」(p.124)。何故「書き言葉」は貶価されなければならないのか。「車大工の扁の物語によれば、書物が巧みな技術の伝達を妨げるからであ」り、「書き言葉は、純粋な「意」とその伝達を妨げるという理由で批判されていたのである」(ibid.)。されに、

逆から考えると、意→言→書というヒエラルキーの頂点にある「意」は、伝達できない何かであるというよりは、むしろ言語による伝達を持ち出せば容易に損なわれてしまうものである。しかし、なぜなのか。その答えは、車大工の扁の物語に現れている。つまり、「聖人は生きていますか」、「もうとうに死んでいる」、「ではあなた様のお読みになっているものは、古人のしぼり糟にすぎませんね」、「古人は自分の伝えることのできないものとともに死んでしまった」と述べられているように、「意」は、生きている人、今現存している人と切り離すことができない。ところが、言語、とりわけ書き言葉は、「意」の不在においても機能するもの、生との対比で言えば死に属しているものである。要するに、言語は「意」に不在と死をもたらすことによって、「意」を根本から損なうのである。
ただし、ここには決定的なアポリアがある。現前と生の次元にある「意」は伝達されなければならないが、それは不在と死をもたらす言語によるしかないというアポリアである。車大工の扁は自分の息子に技術を伝えられないことを嘆いていた。扁も息子も現前しているのに「意」は伝達できない。それは彼の「意」があまりに純粋であるからかもしれないが、伝達できない以上、「意」は不在であり、死に行くものでしかない。そうであれば、言語によって損なわれる前に、「意」は不在と死の影に覆われていることになる。(中略)「忘言の人」が理想であるにしても、その人とは言葉を交わすことができない。それでも、「意」を理解しようとすれば、やはり言語を用いるほかはない。たとえ言語によって損なわれようとも、「意」は言語なしでは何ものでもないからである*2。(pp.124-125)
そして、「意」の伝達を媒介するとともに妨げるものとしてではない、言語が開く「別の次元」、「この世界にさんざめく音もしくはノイズと同様に、いわば原‐話し言葉として、意味作用から無関係に響き渡るもの」(pp.126-127)としての「根源的オラリテ」、「バックグラウンド・ノイズ」(p.127)としての言語。ここで論は「斉物論篇」の「人籟」「地籟」「天籟」の話を踏まえる。曰く、

「意」の伝達を目指すコミュニケーションにとって、耳障りでもあるのは言語であった。だからこそ、言語を支配し、そこから「意」の伝達を妨げるものを排除しようとしたのである。そこで排除される第一のものが「書き言葉」であったわけだが、オラリテもまた「バックグラウンド・ノイズ」として脇に追いやられていたのである。(pp.127-128)
しかし、著者はアルフォンソ・リンギス*3の『何も共有していない者たちの共同体』を援用して、

(前略)「意」の伝達を目指すコミュニケーションにとっても、「バックグラウンド・ノイズ」は不可欠である。なぜなら、それなしには、人は決して個別の経験に触れることができないからである。「バックグラウンド・ノイズ」は、その人の、そしてその人が向かい合う存在者の特異性を「命の雑音」として構成している。(p.128)

「バックグラウンド・ノイズ」こそが、コミュニケーションの可能性の条件であった。ただし、それは、透明なコミュニケーションにとっては不可能性の条件でもあるだろう。その「バックグラウンド・ノイズ」は「私たちの体内で捉えられ、凝縮され、広げられ、つぎに私たちの体内から解放され」る*4循環にある。『荘子』の表現によって言い直せば、「地籟」において風が穴という穴を鳴らすように、それらの音は単独では存在していない。音は一種の「信号」として他の音と谺しあい、孤独ではないこと、見捨てられてはいないことを告げている。
そうであれば、『荘子』においても、風の音や雛の鳴き声にも似て、あるいは木々のざわめきや穴という穴がはき出す音にも似て、「道」や「言」という、ある根源的で共鳴しあうオラリテ(音)が想定され、それに対する信が表明されていると言うことができるだろう。(後略)(p.130)
と述べる。さらに、

そして、こうした響き渡る〈運動〉としての音*5を聞き取ることのできる人を『荘子』は聖人や真人と呼び、理想化していった。とはいえ、たとえ聖人や真人であっても、こうした音を聞くことは決して容易ではない。(p.131)

オラリテの次元に達し、「道」を聞くためには、何か大いなる努力が必要である。それは、わたしに根底的な変容を迫るような努力である。他者を通じて、わたしが他なるものにならなければならないのだ。(p.132)
こうして、議論は後半へと繋げられるのだが、第二章では「道」が問題にされる。『荘子』では「二種類」の「道」が語られている(p.139)。ひとつは「人の手が容易に届かない彼方にある超越としての「道」」。この意味における「道」を得ることは「身体的な配置が努力によって根本的に変容する事態」(p.137)を指す。第二に「人の手近にあり物の中に内在する「道」」(p.139)。つまり、「超越論的な原理」(p.141)としての「道」。第二の意味での「道」を巡って焦点が当てられるのは「知北遊篇」における荘子と東郭子の問答である(pp.139-140);

東郭子が荘子に尋ねる。「いわゆる道はどこにあるのか」。
荘子が答える。「あらざるところなし」。
東郭子が言う。「もっと限定してもらえるとよいのだが」。
荘子が言う。「ケラやアリにもある」。
――「なんとも下等なものだな」。
――「ノビエやヒエにもある」。
――「なんとさらに下等なものだな」。
――「瓦にもある」。
――「なんと、ますますひどい」。
――「屎溺(尿)にもある」。
東郭子は答えなかった。
これについて、著者は福永光司(例えば『荘子 古代中国の実存主義』)を代表とする「あらゆる物における道の遍在性を称揚」(p.140)、「道」を論ずるのに「屎尿」を持ち出すことを「諧謔であり、ユーモアである」(p.142)とする解釈*6を、上の問答の続きの

荘子が言う。「あなたの質問は的外れだ。こんな話がある。市場の官が市場の監督者に、豚を踏んで太り具合を調べる方法を尋ねたとき、豚の体の下のほうに行けば行くほど、正確な結果が分かるという答えであった。道もそれと同様で、限定してはならない。道はどんな物も逃れることはない。「至道」はこのようであり、「大言」も同様である。道があまねく存在することを示す言葉に、「周」、「徧」、「咸」という三つの言葉があるが、それらは名は異にしてはいても実は同じであって、その指示する内容は同一である」。
という部分を示しながら(pp.142-143)、斥ける――「「屎尿に道あり」という表現は、ユーモアとは反対に、屎尿にまで、「道」が意味を構成する機制が働いているという透徹した認識を示しているのではないだろうか」(p.143)。そして、

だが、振り返って考えると、そもそも超越としての「道」を通じて荘子が考えようとしたのは、この世界における意味構成の機制を逃れる境地であった。荘子は、意味があまねく(「周」、「徧」、「咸」)貫徹する世界をよしとしていたわけではない。「道」が「物」に固有の意味を与えることで、この世界を安定化するのとは逆に、「道」が「物」を動かし変容させ、それによって相互の関係を別のものにし、この世界の面目が一新することを目指していたはずである。(ibid.)
と述べられ、「どうすれば超越論的原理としての「道」から逃れることができるのか」(ibid.)という課題が示される。
荘子―古代中国の実存主義 (中公新書 (36))

荘子―古代中国の実存主義 (中公新書 (36))

第II部 第三章以降が哲学書としてのこの本のクライマックスになるのかも知れない。「物化と斉同――世界そのものの変容」では『荘子』における「物が他の物になるという生成変化の側から世界を見る見方」(p.149)が、「逍遥遊」の「胡蝶の夢」を中心として論じられる。ここで著者が対決するのは、「あらゆる差異や区別は相対的であるとして、そうした差異や区別を超えた超越的な立場から「物化」を読解する解釈」(p.150)。そこでは、胡蝶と荘周の間に区別はなく、「万物は同一である」ということになってしまう。だが、著者によれば、『荘子』の最も古い注釈をした郭象はそのような解釈をしていないという(p.153ff.)。郭象によれば、胡蝶と荘周の間に「「その区分が定まっているから」、その区別された世界において、胡蝶としてあるいは荘周として「自ら楽しみ」、「心ゆく」ことができる」(p.154)。また曰く、

郭象は、一つの区別された世界において他の世界を摑まえることはできない、と主張する。「まさにこれである時には、あれは知らない」からである。この原則は、荘周と胡蝶、夢と目覚め、そして死と生においても貫徹される。この主張は、一つの世界に二つ(あるいは複数)の立場があり、それらが交換しあう様子を高みから眺めて、無差別だということではない。そうではなく、ここで構想されているのは、一方で、荘周が荘周として、蝶が蝶として、それぞれの区分された世界とその現在において、絶対的に自己充足的に存在し、他の立場に無関心でありながら、他方で、その性が変化し、他なるものに化し、その世界そのものが変容するという事態である。ここでは、「物化」は、一つの世界の中での事物の変化にとどまらず、この世界そのものもまた変化することでもある。
それを念頭に置くと、胡蝶の夢は、荘周が胡蝶という他なる物に変化したということ以上に、それまで予想だにしなかった、胡蝶としてわたしが存在する世界が現出し、その新たな世界をまるごと享受するという意味になる。それは、何か「真実在」なる「道」の高みに上り、万物の区別を無みする意味での「物化」という変化を楽しむということではない。(pp.154-155)
「斉同」について。著者は「至楽篇」の「髑髏問答」とそれに対する郭象の注釈を踏まえて、荘子にとっての「斉同」とは例えば「生は死とはまったく別の仕方で成立しているが、それぞれが一つの世界を構成している点では同じである」というようなものだと述べる(p.157)。また、荘周の友人であり論敵でもあった恵子の「斉同」は「視点を変更することで、時間的な区別さらには空間的な区別をなくしていこうとする論理」(p.160)である。著者によれば、荘子の「斉同」と恵子の「斉同」の違いは以下のように纏められる;

要するに、荘子の「斉同」とは、「これ」と「あれ」が絶対的に区別された上で、「これ」が「あれ」に変容する事態(「物化」)を記述するための概念なのだ。恵子の「斉同」が、「これ」と「あれ」を超越する視点を取り、空間的・時間的な区別を無みしていくのだとすれば、荘子はあくまでも「これ」に内在し、「これ」を変容させて、「あれ」としていく「物化」の議論の延長である。(p.161)
第四章では、「秋水篇」の「魚の楽しみ」を巡っての荘子と恵子の問答を中心に『荘子』における「他者論」が問われる。また、これは「物化」が生起する契機にも関係している。

荘子と恵子が濠水のほとりに遊んでいた。
荘子が言う。「鯈魚〔はや〕が出でて遊び従容としているが、これは魚の楽しみである」。
恵子が言う。「きみは魚ではないのに、どうして魚の楽しみがわかるのか」。
荘子が言う。「きみはわたしではないのに、どうしてわたしが魚の楽しみがわからないとわかるのか」。
恵子が言う。「わたしはきみではないから、もとよりきみのことはわからない。きみももとより魚ではないのだから、君が魚の楽しみがわからないというのも、その通りである」。
荘子が言う。「もとに戻ってみよう。きみが「おまえは魚の楽しみがわからない」と言うのは、すでにわたしがわかっていることをわかっているから、問うたのである。わたしはそれを濠水の橋の上でわかったのだ」。(pp.164-165)
ここにあるのは、恵子の「自己の経験は他者から隔絶した固有性を有しており、他者からはうかがい知ることができない」という意味での「トートロジー(タウトス・ロゴス=同じ自己の論理」(p.165)とそれに対する荘子の反論である。著者は荘子の最後の科白に「自己の経験の固有性を領有してしまうトートロジーの罠を何とか抜け出そうとする試み」(pp.167-168)として注目し、以下のように論を進める;

ここで荘子が行ったのは、自己の経験の固有性は、他人からうかがい知れない私秘性にあるのではなく、他者との近さから生じるという転回である。強く言えば、私秘性でさえ、「わたし」と他者の近さなしには成立しない。
まず荘子は、自己の経験の構造それ自体を問題にする。経験が経験として成立するためには、それは自分ではないものに開かれていなければならない。自己の経験がどれほど他者から隔絶されたところで構成されていようが、経験である以上、原理的に、自己ではない他者に晒されたものであるはずだ。しかも、この場面では、荘子と恵子の間に対話らしきものが成立しており、恵子もまた荘子の経験が他者に開かれたものであることを形式的には了解しているはずである。たとえその他者経験の内容に関して、恵子の理解が届かないにしても、である。
その上で、荘子は、他者経験の内容について、「わたしはそれを濠水の橋の上でわかった」と述べて補強する。つまり、「わたし」が濠上という具体的な場所において、魚とb何らかの近さの関係に入ったことで「魚の楽しみ」を知覚したのだが、それは「わたし」にとっては十分具体的であり直接的であり、疑いえないということである。
(略)
なるほど、今・ここに現前している自己が何かを知覚しているその瞬間、その知の明証性は知覚の同時性に裏打ちされており、ほとんど反論の余地のないものであろう。たとえ知覚が誤っていたにせよ、誤って知覚したことそれ自体は明証的だし、誤りだというためにも別の知覚によるしかないとさえ言うこともできる。では、「魚の楽しみ」はこのような知覚の明証性の体制、つまり知覚の現在性を特権化する体制によって説明されることなのだろうか。
いや、そうではない。もし「魚の楽しみ」が〈今・ここ〉の変容としての〈あのとき・あそこ〉の「濠上」での知覚と、その明証性であるのならば、それは時間を貫いて同一である自己によって、疑いなく明証的に保証されてしまう経験でしかない。それは、トートロジーをかえって補完してしまうことだろう。そうではなく、「魚の楽しみ」が告げていることは、このような知覚の明証性を揺さぶるようなあり方なのだ。(pp.168-169)
さらに、著者は桑子敏雄「魚の楽しみを知ること――荘子分析哲学」(『比較思想研究』22)というテクストを援用する(p.170ff.)。桑子の議論の要諦は「「泳ぐことの快さ」いおいて生起するものであって、孤立した心的現象ではない」こと、「魚の楽しみ」は「荘周の身体配置のうちで他者の身体と環境と身体のうちで生じる全体性」であることである(p.172);

(前略)知覚の明証性は、「主観的な」明証性にすぎず、荘子が「魚の楽しみ」を特定の時空の中で生き生きと知覚したことによって。その経験の切実さを証明するものである。ところが、ここで問われているのは、荘子という「主観」もしくは「自己」が前提される以前の事態である。「自己」があらかじめ存在し、それが魚との間に特定の身体配置を構成し、その上で「魚の楽しみ」を明証的に知ったということではない。そうではなく、「魚の楽しみ」というまったく特異な経験が、「わたし」が魚と濠水において出会う状況で成立したのである。この経験は、「わたし」の経験(しかも身体に深く根ざした経験)でありながら、同時に「わたし」をはみ出す経験でもある(なぜなら「わたし」にとってはまったく受動的な経験であるからである)。(pp.172-173)

(前略)「魚の楽しみ」を経験するというのはまったく特異な事態なのだ。それは「自己」の経験の固有性を確認するのではなく、ある特定の状況において、「他者の楽しみ」としての「魚の楽しみ」に出会ってしまい、出会うことで、「わたし」が特異な「わたし」として成立したということである。ここにあるのは根源的な受動性の経験である。「わたし」自体が、「他者の楽しみ」に受動的に触発されて成立したのである。
別の言い方をすれば、「魚の楽しみ」の経験が示しているのは、「わたし」と魚が濠水において、ある近さ(近傍)の関係に入ったということである。それは、〈今・ここ〉で現前する知覚の能動的な明証性ではなく、その手前で生じる一種の「秘密」である。それは、「わたし」が、泳ぐ魚とともに、「魚の楽しみ」を感じてしまう一つのこの世界に属してしまったという「秘密」である。知覚の明証性は、受動性が垣間見せるこの世界が成立した後にのみ可能となる。(pp.173-174)
「他者の経験」の生起の機序は「物化」生起の機序とパラレルであることがわかるが、これは社会学(社会科学)にとっても重要な論点を提起している;

(前略)「魚の楽しみ」であれ「死の楽しみ」*7であれ、「わたし」が他者と深く関係し、一つのこの世界に没入し享受することではじめて、垣間見られる経験なのだ。それは、あらゆる社会性の手前にある原‐社会性であると同時に、あらゆる社会性を変更しうる可能性の条件でもある。それは主体が知覚することで能動的に獲得するような体験ではない。先行するのは他者であるが、その他者は影のなかにある。影のなかの他者に気づくかどうかは、あらかじめ決められてはいない。しかし、いったん気づくと、近さが作動し、「わたし」が析出され、受動性の経験としての「魚の楽しみ」や「死の楽しみ」が現れるのである。(pp.179-180)
最後の第五章では、著者の論は「「物化」の究極」(p.183)へと進められる。採り上げられるのは「大宗師篇」にある子輿の話。子輿は病気になって、その身体は「背中が曲がり、五臓が上に上がり、あごがへその下に隠れ、肩が頭のてっぺんより高くなり、髪のもとどりが天を指している」というふうに変形してしまった。子輿は自らの身体のこのような変化を断乎として肯定する。最後の科白から引用する;

(前略)だんだんとわたしの左腕を化して鶏にするならば、わたしは時を告げることにしよう。だんだんとわたしの右腕を化して弾とするならば、フクロウでも撃って炙りものにしよう。だんだんとわたしの尻を化して車輪にし、心を馬とするならば、それに乗っていこう。馬車に乗らなくても済むようになる。(後略)(p.182)
著者曰く、

ここで表現された「物化」は、通常であれば、奇形や異常として片づけられるものだ。ところが、『荘子』の想像力は、それを奇形や異常として片づけようとするのではなく、左腕が左腕のままでありながら、それを「化」の運動の中に置き直し、定められた構成を自由に変更することによって、時を告げる鶏になることを見て取ろうとするのである。
この想像力は、(中略)名人や真人あるいは聖人の行う、他なるものになろうとする努力*8と同じものである。自らが他なるものになることで、その他の物もまたその〈運動〉に巻き込まれて変容していく。そして、それに応じて、「この世界」それ自体が変容していくのである。(p.184)

では、変容なったこの世界(ドゥルーズはそれを「革命」とも表象している)はどのような世界なのだろうか。それは一言で言えば、別の時を生きる世界である。その時とは、クロノロジックに(時系列的に)計測される時間とは別の時であって、「まさにこれである時」であることだろう。ドゥルーズの言葉を借りるなら、それは「クロノス」とは異なる、「アイオーン」という時である。
(略)
「アイオーン」とはギリシア語で永劫や永遠という意味であるが、この別の時は、過ぎ去った現在としての過去や来るべき現在としての未来を、現在の前後に順序立てるクロノロジックな時間とは異なる。それは、近さにおいて成立する「このあるもの」としての「このわたし」が要求する「まさにこれである時」である。それは、決して現前する現在に還元されるものではない。それは、「生成変化の時間」にほかならないからだ。(pp.190-191)

(前略)「物化」の究極において、鶏は時を告げようとする。そこで告げられる時とは、計測可能な時間ではない。なぜなら、鶏となった時点で、世界もまた、別の時からなる世界に変容しているからである。その世界には、天籟・地籟・人籟が響き渡っている。それを貫くように一閃発せられる鶏の声は、生成変化の声として、新しい時の到来を告げる。その「まさにこれである時」とは何であるか。それは、天から解放された時にほかならない。(後略)(p.191)
但し、「物化」の思想、『荘子』的(ドゥルーズ的)自由にも思想としての限界がある。それはこの思想が「過去の時である「あの時」を扱うことができない」ということである(p.195);

ここにあるのは意味付けからの解放としての自由である。しかしながら、これは他方で、道徳を欠いた自由である。というのも、未聞の未来へ開かれているとはいえ、過去において生じてしまった、その限りではもはや消すことのできない出来事の過去性を切り捨てることで、過去への責任という契機がまったくないからである。『荘子』においては、暴力(連れ去られた麗姫や、死)に対してそれを反問する道徳的な場面はない。(p.194)
それにしても、ドゥルーズに捧げられた最後の一節は美しすぎる;

(前略)一九九五年一一月四日。生を肯定し尽くす哲学者が窓から身を躍らせた「この時」、その人はすでにヒラヒラと飛ぶ蝶であった。そして、死はもはや悪ではなくなっていたはずである。その限界と高貴さの両方を噛みしめながら、最後に闇を切り裂く言葉を書き記すことにしたい。


鶏となって時を告げよ。(p.195)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110122/1295645093

*2:デリダ的な原‐エクリチュールの問題。ベタではあるが、『声と現象』をマークしておく。

声と現象―フッサール現象学における記号の問題への序論

声と現象―フッサール現象学における記号の問題への序論

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070226/1172457557 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070316/1174048999 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081203/1228327059

*4:『何も共有していない者たちの共同体』からの引用。

*5:これは武満徹の表現。

*6:私も魅力を感じているこの解釈には、禅、特に『臨済録』の影響が強いのでは?

臨済録 (岩波文庫)

臨済録 (岩波文庫)

*7:「至楽篇」。See pp.174-177

*8:功夫? See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101223/1293136913 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101231/1293784063