嘘と真のあわいなど

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110206/1297019853に対して、


osaan 2011/02/07 17:02
前々から知ってたし、知りつつも見てたと言うのは確かにそうなんですが、みっともない話ではありますね。
しかし、勝者があらかじめ決まっている競技というのは別に日本だけじゃありません。
古代の競争は「皆が強いと思うものが強い」という「真理」をあらためて確認するための儀式だったので、誰が勝つか最初から決まっていたそうです。
フーコーのイリアッドについての講義にそうありました。
とはいえ、理由が「生活のため」とかね、歴史や伝統とはすでに切断されているのかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110206/1297019853#c1297065773
ええおっしゃるとおりですね。過去メイルを押さえられてしまった段階で駄目でしょう。左翼用語を使えば、お前ら革命的警戒心がなさすぎ! 儀礼的な相撲ということだと、最近読んだ山口昌男先生の『学問の春』に滋賀県日野町の「野神祭」の「子供相撲」の話が出てきますが(pp.158-159)、この場合勝ち負けは行司の「そのときの気分」によって決まるということです。
新書479学問の春 (平凡社新書)

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また、

dohenkutsu "重要なのは「星の貸し借り」をするためには演技力が必要だということ" → 最近のプロレスの退潮を見るにつけても、行為者の演技と本気のバランスを楽しむ文化(余裕?)が失われつつあるようで、何とも寂しい限り 2011/02/0
http://b.hatena.ne.jp/dohenkutsu/20110207#bookmark-29291965
そうですね。「行為者の演技と本気のバランスを楽しむ文化」の衰退、これは昔のロマンポルノとAVの差異に対応するでしょうか。ちょっと強引か。
そういえば、『夕刊フジ』の以下のような記事があります;

春日錦が逆襲予告「八百長他に何十人もいる」

夕刊フジ 2月8日(火)16時57分配信


★解雇力士で“相撲レスラー協会”設立?

 八百長問題で本場所の無期限中止を決めるなど大揺れの日本相撲協会。“疑惑の14人”のうち、親方、力士計4人が八百長に関与したと断定し、今後「解雇」という永久追放処分を下すことが濃厚だ。そんな状況下、4人の中に含まれている元幕内春日錦(35)=竹縄親方=は親族に対し、「このままでは引き下がらねぇ。八百長をしている奴は何十人もいる」と不気味な反攻宣言。八百長組の中から反撃に転じる動きに、相撲協会、潔白を訴えるその他の力士も戦々恐々だ。さらに解雇された力士による互助会「相撲レスラー協会」設立の動きまで出てきた。

かつてない国技の大ピンチ。その出口は一向に見えてこない。

 日本相撲協会の放駒理事長(元大関魁傑)は7日に文部科学省を訪れ、八百長メールに名前があるなどの理由で特別調査委員会が聴取対象とした14人に提出を求めた携帯電話について「機種変更や壊してしまった事例がある」などと報告。調査が長引く背景を説明した。全容解明まで、どれくらいかかるかは不明。無期限中止の本場所再開のめども立っていない。

 1場所中止で約15億円の損失を被るほか、ファンの信頼失墜、そして公益財団法人認可への悪影響と日本相撲協会は計り知れないダメージを受けた。八百長に関与した親方、力士に対し、協会内では最も重い「解雇」処分を下し、角界から永久追放する方針だ。

 すでに相撲協会は、元幕内春日錦十両千代白鵬(27)、十両清瀬海(26)、西三段目恵那司(31)の4人を八百長に関与したと断定。今後、この4人に続き何人の力士が関与したかが注目されている。

 “犯人捜し”に懸命な相撲協会側に対し、反撃する動きも出てきた。八百長への関与を認めた元幕内春日錦が親族に対し、こう語ったという。

 「俺はとことん悪者にされている。だけども言いたいことがある。このままでは引き下がらねぇ。俺も悪いけど八百長をしている奴はいっぱいいる。何十人もいる」

 自分たち一部が、八百長問題解決のための“トカゲの尻尾切り”にされたら、たまらないということだ。確かに大麻所持や野球賭博とは違い、八百長は対戦力士との合意があってできること。八百長の仲介役を務めたとされる恵那司は、その詳細を書き留めた「八百長ノート」を所持しているという情報もある。

 大麻所持で2008年に解雇されたロシア人元力士の若ノ鵬も「75%以上が八百長をしている」と激白。解雇された力士が、次々と同じ穴のムジナを暴露すれば、八百長力士が続出し、大相撲崩壊の危機にもつながりかねない。相撲協会だけでなく、潔白を主張し続ける力士も眠れぬ日々となりそうだ。

 さらに解雇される力士を集め、「相撲レスラー協会」を作ろうという動きまで出てきた。

 大麻問題、野球賭博などで多くの力士や親方が解雇されたが、その末路は悲惨だ。廃業や引退した力士でも次の仕事がなかなか見つからないのが現状。その力士たちの再就職先として格闘技が脚光を浴びることになる。

 昨年大みそかの格闘技イベントが低調だったように、「格闘技界も今や右肩下がり」(関係者)で話題作りに奔走する日々。相撲とたもとを分かつ“相撲レスラー協会”が発足すれば、話題となることは間違いない。

 八百長全容の暴露、レスラー転向…。クロと断定された力士の動きからも目が離せない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110208-00000006-ykf-spo

さて、「行為者の演技と本気のバランス」ということで思い出したのは、Darren Aronofskyの『レスラー』。前にもちょこっと書いたのだが*1、この映画はフィクション/リアリティというか役割(role)/個人の関係についての映画でもある。この映画をラム(ミッキー・ローク)とストリッパーでシングル・マザーのキャシディ(マリサ・トメイ)との関係を中心に観ること*2。プロレスラーとストリッパーはどちらも


舞台或いはリングの上で或るキャラクターを演ずる
公衆に裸を晒す商売である


という共通点があるのだが、キャシディはラムにオンとオフの峻別、或いはオフにおいて必要な(例えば娘に対する父親としての)役割演技について教え込む。しかし、その教育にも拘わらず、というか彼女には制御できない力に導かれて、ラムの人生はリング上の役割に殉ずる方向に暴走してしまう*3

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*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110127/1296107547

*2:私が最初にこの映画について知った深町秋生氏のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090614)ではこの関係はあまり重視されていない。

*3:といっても、ラスト・シーンは文字通り〈空白〉なのだが。

禁煙時代の愛!

小谷野敦「歴史に学ぶ禁煙ファシズム その1」http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_80.html


このテクストには以前言及している*1。そのとき、「このテクストに引っ掛けて、煙草をネタにして何か書きたいとは思っている」と書いたのだが、ずっとほったらかしにしていた。以下、下らないことを書き連ねる。


七〇年代の映画やテレビ番組を見ると、病室へ見舞いに来た人でも平気で喫煙していたりするが、九〇年代になると、さすがにそれはなくなったものの、それでもまだ登場人物はしかるべく喫煙していた。

先ごろ終了したらしい、NHKの朝の連続テレビ小説ゲゲゲの女房』という、水木しげるの妻を主人公にしたドラマは、ずいぶん人気があったようだが、登場人物が誰も喫煙しない、と聞いて、私はいっぺんも観なかった。

まあそれだったら、『ごくせん』*2はどうよ。登場人物はヤンキー高校生なのに、煙草も吸わないし、酒も飲まない。これはどういうことだ。もっと凄いこと。梁文道「不再抽煙的007」(in 『噪音太多』*3、pp.167-169)を読んで、あの1日60本吸っていたジェームズ・ボンドが『カジノ・ロワイヤル』以降禁煙してしまったことに気がついた。やれやれ。
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さて、映画やTVドラマからの煙草の追放は映像表現に深刻な影響を及ぼすだろう*4。昔のハリウッド映画は性的表現の規制が厳しかった。今だって、プライム・タイムのドラマで全裸のセックス・シーンはご法度だろう。そこで、煙草は性の暗喩として用いられてきた。例えば、女性が男性の顔に煙草の煙を軽く吹きかければ、それはセックスしようよという誘惑の表現になる。或いは、男が先ず煙草を銜えて火を点けて改めて女性に銜えさせるというシーン。これが接吻や愛撫のメタファーになっていることは言うまでもない*5。煙草という小道具が使えないとすると、演出家たちはどのようにして〈性〉を間接的に表現するのか。
そういえば、彭浩翔(Pang Ho-Cheung)監督の『志明與春嬌(Love in a Puff)』という香港映画がある*6。香港では2007年以来オフィスやレストランなどのあらゆる室内スペースが禁煙になっている。そのため、喫煙者はビルの谷間にある喫煙所に行かなければならない。しかし、そこでは所属企業とか社会階層とかジェンダーとかを超えた新たなコミュニケーションが生まれる。『志明與春嬌』はそのようにして喫煙所で出会ってしまった 志明(余文楽)と春嬌(楊千〓*7)という男女を描くスタイリッシュな映画*8。この映画が日本で公開されているのかどうかはわからないけれど、公開されるとしたらタイトルはどうなるのか。《志明と春嬌》だと何だか落語家の物語みたいだ。やはりタイトルは『コレラの時代の愛』ならぬ《禁煙時代の愛》しかないだろう。
コレラの時代の愛 [DVD]

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*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101119/1290135716

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080819/1219122017

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090511/1242021167

*4:See 梁文道「只要做愛 不要抽煙」(in 『噪音太多』、pp.218-219)。

*5:『挽歌』で秋吉久美子仲代達矢の唇から煙草を奪って吸うシーンについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091021/1256098110で言及した。

*6:http://www.mediaasia.com/loveinapuff/en_main.html Also http://d.hatena.ne.jp/chichikin/20100504/p

*7:おんなへん+華

*8:因みに、このふたりが夜の公園で煙草を吸っていて、警官に絡まれ、広東語がわからない日本人と韓国人のカップルのふりをするシーンには大爆笑。

『蘇州河』など

DVDをやたらと買ってしまう。

婁菀(Lou Ye)『蘇州河(Suzhou River)』

ふたりの人魚 [DVD]

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婁菀(Lou Ye) Nuits d'ivress printaniere(『春風沈酔的夜晩』)*1
Florian Henckel von Donnersmarck『善き人のためのソナタ
善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

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Peter Greenaway『コックと泥棒、その妻と愛人』Hany Abu-Assad『パラダイス・ナウ
パラダイス・ナウ [DVD]

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それからCD。

She & Him Volume One

Volume One

Volume One

She & Him Volume Two
Volume Two (Dig)

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Eiji Oue(大植英次)/Minnesota Orchestra Pictures at an Exhibition
Pictures at an Exhibition

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保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』*2を読了する。

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

*1:See DENNIS LIM “Parting Twin Curtains of Repression” http://www.nytimes.com/2010/08/01/movies/01spring.html STEPHEN HOLDEN “Revolving-Door Romances for Modern-Day Chinese” http://movies.nytimes.com/2010/08/06/movies/06spring.html

*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110131/1296441629

上野からバーガーへ

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110205/1296875307に対して、


osaan 2011/02/05 17:37
昔、上野千鶴子浅田彰の対談で
上野「私たちのようなニュー・ライトは…」
浅田「僕は古いタイプの左翼ですから」
上野「え、そう?」
というようなやり取りがあったと記憶しています。
まだ上野氏が教授になる前だったと思いますが、それ以来私は「フェミニズムで保守の人」と認識しています。
なんといいますか、IQ五割増の佐藤愛子といった感じで。
保守を自認してる方々はフェミニズムはお嫌いのようですけどね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110205/1296875307#c1296895071
1980年代の或るシンポジウムで浅田彰氏は、菅孝行や粉川哲夫のことを愚鈍でマルビな左翼というふうに決め付けていましたが(まあ、粉川氏はともかくとしてそもそも菅孝行はその程度の人間でしょう)。それはさておき、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110202/1296628031で引用した『at』のインタヴューでも、上野氏は自分は「非原理主義者」だと言っています(p.33)。「保守」の特性のひとつには「プラグマティック」ということがあるわけですが*1、翼の右左を問わず、〈節操〉とかを重んじる人にはそうした「保守」の「プラグマティズム」は如何わしく映るのでしょう。保守主義ということだと、上野氏のピーター・バーガーへの評価ということも重要なのではないか。『構造主義の冒険』という本に収録されている短めのバーガー論*2では、バーガーを賞賛して、現代社会において「正気」を保つには保守主義しかないだろうといったことを述べています。1980年代において、バーガー=新保守主義者ということは日本の思想界の一部にはかなりショックを与えたようで、山之内靖がThe Social Construction of Realityを読んで感激したその直後にバーガーが米国の代表的な保守主義者だということを知って愕然としたということもあったわけです。『構造主義の冒険』が刊行された時点では、バーガーの〈家族〉を巡るフェミニストたちとの論戦の書であるThe War Over the Family: Capturing the Middle Ground*3も既に刊行されていたわけですが。それはともかくとして、(私の文章を読んでいる方はとっくに気づいているとは思いますが)私の考えていることの基本となっているものも(自分の思考全体の30%くらいか)、バーガー先生が『社会学への招待』や『現実の社会的構成』や『聖なる天蓋』などで論じた枠を出てはいないですが。
クォータリー あっと 0号

クォータリー あっと 0号

構造主義の冒険

構造主義の冒険

Social Construction Of Reality (Penguin Social Sciences)

Social Construction Of Reality (Penguin Social Sciences)

The War Over the Family: Capturing the Middle Ground (Pelican)

The War Over the Family: Capturing the Middle Ground (Pelican)

Invitation to Sociology (Penguin social sciences)

Invitation to Sociology (Penguin social sciences)

The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion

The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090826/1251225298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070116/1168966875

*2:私は『現代思想』誌に掲載されたのを最初に読んだ。

*3:これは夫婦の共著で、ファースト・オーサーはブリジット夫人になっている。

Uzawa/Chicago

関良基*1「米国はなぜ「悪魔」が支配する国になってしまったのか?」http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/c94842ca11c6914d4a2ace3bd9ff3ce1


何故か、かなり長いこと、ブラウザの片隅で開きっぱなしになっている。
経済学者の宇沢弘文*2シカゴ大学を辞めた経緯に関してというか、ミルトン・フリードマン*3一派との確執について、ちょっとメモ;


宇沢先生がシカゴ大学を辞したのは、以下のような理由によります。当時、アメリカの徴兵局は、学生運動をしていたり、成績が悪かったりする学生から順番に徴兵するという方針でした。学生たちは「成績表を徴兵局に送るな」という要求をし学部棟を占拠します。
 宇沢先生たちは、「教授全員が学生の成績をつけない(=つまり徴兵局に送るべき成績表そのものが存在しなくなる)」という提案をし、教授会で通すことに成功したのです。のちに市場原理主義帝国主義的拡張の牙城として知られるようになるシカゴ大学経済学部なのですが(私のブログだとこの記事参照*4 )、その当時はまだそのようなリベラルな雰囲気があったのです。
 
 そのときもちろん、ベトナム戦争を熱烈に支持し、後にシカゴ学派の指導者になるミルトン・フリードマン一派は宇沢先生たちの提案に反対しました。
 フリードマンの子分の一人にハロルド・デムセッツという経済学者がいるのですが、宇沢先生が、学生達とのあいだで「成績をつけない」という調停案をまとめて壇から降りてきたときに、「Are you a commie?(おまえは共産主義者か?)」と聞いたそうです。そのとき、宇沢先生は頭がカーッとなっていたので、つい売り言葉に買い言葉で、「そうだ。何が悪いんだ」と答えてしまったそうなのです。
 早速デムセッツは、よろこびいさんでFBIに「うちの大学にアカ教授がいます」と通報したようで、その直後からFBIが宇沢先生の身辺を嗅ぎまわるようになりました。
 ついに「アメリカにはもういられない」と判断し、帰国を決意されたのでした。宇沢先生は、フリードマン一派に体よく追い払われたといえるでしょう。

 フリードマンは、日本に帰国した宇沢先生の動向にまで探りをいれ、パシリの日本人研究者に、宇沢先生が日本語で書いたフリードマン批判の記事などいちいち英語に翻訳させて報告させていたのだそうです・・・・。フリードマンのネチネチした粘着質的な性格をよく物語るエピソードといえるでしょう。

 宇沢先生が日本に帰ってから、アメリカの大衆紙の『ボストン・グローブ』紙には、「宇沢は日本における共産主義運動のリーダーだ」という捏造記事まで書かれたそうです。何で日本の社会党にも共産党にも、他の新左翼党派にも一度も所属したことのない宇沢先生が「日本の共産主義運動のリーダー」になれるのか、全くもって不思議なはなしです。

 業績的には文句のつけようのない宇沢先生が何度もノーベル経済学賞の候補にりながら、これまで受賞できないでいるのは、フリードマン一派の裏工作によるものではないかというのが、心ある経済学者のあいだでのもっぱらのウワサです。「アカ(commie)」というレッテルを貼られた時点で、アメリカでの社会的評価は絶望的になってしまいますから。

最後の「ウワサ」の真偽については勿論知らず。「パシリの日本人研究者」って誰? 立教大学にいたSとか?
さて、宇沢先生の経済学における業績や道徳的な高潔さは勿論否定することができないけれど、なされるべき批判はなされるべきだと思う。『日本の教育を考える』の中で展開されている寄宿学校マンセーの議論とか。或いは、文化大革命礼賛であるとか*5
日本の教育を考える (岩波新書)

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