大熊夫妻

3月に池田信夫曰く、


1980年代には、石油危機のあと「脱・石油」の旗印のもと、原発が推進されました。民放のローカルニュースにはたいてい電力会社がスポンサーになっていたため、反原発の番組はほとんどなく、新聞も同じでした。特に朝日新聞は、科学部の木村繁部長と大熊由紀子記者が激しい原発推進キャンペーンを繰り広げていました。社会部の記者はみんな反対派でしたが。
(「「豊かな日本」の終わり」http://agora-web.jp/archives/1287220.html [Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110331/1301545326])
最近上に言うところの大熊由紀子が再び注目されているようだ*1
さて、朝日には大熊一夫という記者がいて*2、自らアルコール中毒患者を装って精神病院を潜入・取材して、『ルポ・精神病棟』を書くなど、精神医療批判で知られていた。また、その後関心を老人福祉に移したようだが、老人保健施設での利用者虐待を批判した『母をくくらないで下さい』など、医療施設や福祉施設における患者・利用者虐待の批判という視点は一貫している。朝日の2人の大熊という記者、この関係は夫婦なのかきょうだいなのかとずっと訝っていた。後に、大熊由紀子の方も福祉に関心を転じたので、あの原発の大熊がどうして福祉へ? と不思議に思ったことことがある。(私は読んでいないけれど)W大熊の共著本も出ている。やはり夫婦だったのね*3。また、その証拠として、

1970年の寒い冬の日、私は酔った相棒と東京の平均的な精神病院を訪れました。あっという間に診断がつき、院長は「入院、保護室!」
 と屈強な男性に命じました。追いかけようとした私に職員は叫びました。「ここから先は家族の方はご遠慮ください!」
 有名大学出身の精神科医が院長や顧問をつとめ、格式ある看護学校の実習病院、けっして「一部の悪徳病院」ではないのに、
 そこはひとことでいえば「人間捨て場」でした。
 貧しい治療内容、いつ退院できるの教えてもらえない恐怖については、『ルポ・精神病棟』(朝日新聞社)をお読みいただくとして、ここでは法改正にからんで2つのことを指摘しておきたいと思います。

 ひとつは当時の同意入院、現在の医療保護入院の恐ろしさです。この「入院」は家族である私の同意によるものでした。私が心変わりして退院を申し出なかったら、大熊一夫はいまも病院の鉄格子の中かもしれません。

 もうひとつは、精神病質という病名のいいかげんさです。彼には、慢性アルコール中毒・精神病質という診断名がつけられていました。
 病棟には、「家族のやっかいもの」が、精神病質という病名で何人も長期入院させられていました。人格障害と名を変えても事情は同じです。
 病院とは治療をする場です。病気でもない人を「収容」したりすれば、スタッフの精神的堕落が始まります。
(大熊由紀子「次回精神保健福祉法改正、これだけはぜひ!」http://www.yuki-enishi.com/psychiatry/psychiatry-01.html

これは『ルポ・精神病棟』の発端となった場面についての証言。原発の大熊から福祉の大熊になって以降も彼女は原発について何か書いたりしているのだろうか。それはわからない。また、1970年代から80年代にかけての彼女の原発報道はたんに一記者の〈熱血〉によるものではなく、〈社の方針〉に従ったものだったのでは? たしか、原発についてはYes butでいくという朝日の内部文書が流出して問題になったことがあったと思う。
ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)

ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)

母をくくらないで下さい―軽税国の老後・重税国の老後 (朝日文庫)

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