04地帯

小谷野敦*1「『滝山コミューン』の衝撃」http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110717


小谷野氏、原武史『滝山コミューン』について語る。
これを読んで、小谷野氏と原氏と俺には或る共通点があることに気づく。1年くらいの時差を伴った略同時期に東京郊外、つまり市外局番が04の地域で育っていることだ。ただ小谷野氏と原氏は武蔵国であり、俺は下総国ではあるが。
さて、小谷野氏は「愕然としたのは、原が私と同い年で、その小学校時代のことを描いているのに、全然共感したり同時代性を感じたりすることがないからである」という。『滝山コミューン』という本を読んでいないので、論評は避ける。
「中学受験などということもまったく話題にならなかった」という。俺の場合はどうだったろう。小学生の俺はそもそも「四谷大塚」という塾の存在を知らなかったわけだが、「中学受験」というのは他人事でしかなかった。けっこうよくつるんでいた医者の息子が開成に入ったこと、また小六のときに隣の席だったKEさんという女の子がお茶の水女子大附属の受験に失敗したこと。そのくらいの記憶しかない。というか、小学校時代の俺は「中学受験」どころか将来大学に行くということも想像できなかったということはある。この文章を読んでいる方では18歳くらいになると大学に行くということを12歳か13歳になると陰毛が生えてきたり生理が始まったりすることと同様の自然的な事実だと思って育った方も少なくないのかも知れないが、両親を始めとして親戚に大学を出た人というのは殆どいなかったので、大学に行くということを具体的に想像することはできなかったのだ。
また、「日教組」について。当時は教師が日教組だというのは、夏は暑く冬は寒いというのと同様の自然な事実だった。校長と教頭以外の教師は殆ど日教組だったと思う。ときどきblogなのでも、小中学校時代の日教組教師の左翼教育(偏向教育)のトラウマでウヨになったとか、逆に感化されて左翼になったとかいったことを読むことがあるけれど、そういう経験はない。(特に中学時代だと)日教組であっても、多くの教師が自然な感じで生徒を殴ったり、長髪を弾圧していたわけで、こっちの方が今に至る教育制度、特に義務教育に関する俺の偏見を基礎づけてはいるとはいえるだろう。目が反抗的だ、何か文句があるのかと俺に絡んできて、俺が理由なき反抗だと言ったら、俺を殴った某国語教師もたしか日教組だった筈。無教養は人を暴虐にするものだ(これは後から考えたことで、中学生の俺にはそういう理屈は思い浮かばなかった)。

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