漢字と平仮名

槇原敬之「Appreciation」の歌詞が問いかけるもの」http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20110814/1313336061


槇原敬之の新曲が原発賛美かどうかを巡って論争があるらしい。
さて、所謂J-Popについてはそもそも疎いのだが、J-Popのアーティストとかを評価するに当たって重要視している基準がある。それは矢野顕子が認めている、さらには彼女とコラボレーションしたことがあるアーティストはまっとうで聴くべき価値のあるアーティストだと判断するということである。槇原敬之はこの〈矢野基準〉の何れにも合格している。『Home Girl Journey』で矢野さんはマッキーの「雷が鳴る前に」をカヴァーしており、『はじめてのやのあきこ』では彼とデュエットしている(「自転車でおいで」)。従って、槇原敬之はまっとうなミュージシャンだと取り敢えず言うことができるだろう。彼の粘っこい歌い方はちょっと苦手だけれど。因みに、〈反原発ソング〉の先駆者たる忌野清志郎*1について言えば、『Home Girl Journey』ではRCサクセションの「海辺のワインディング・ロード」がカヴァーされ、『はじめてのやのあきこ』には彼をゲスト・ヴォーカルに迎えた「ひとつだけ」が収録されている。

さて、「Appreciation」という曲の問題視された部分を上掲のエントリーから引いてみる;

壊れた原子炉よりも
手に負えないのはきっと
当たり前という気持ちに
汚染された僕らの心
ほら「有り難う」も言えない
先ず「有り難う」という漢字表記は原文のままなんですよね。感謝の意を表すありがとうは、語源に遡れば有り‐難し、difficult to existを意味する。しかし、通常の日本語使用者は誰かに感謝するために〈ありがとう〉を使う際に語源のことなど意識せず、それと関連して、thank youに対応する日本語は「有り難う」ではなく〈ありがとう〉と仮名書きされるのが普通であろう。つまり、「有り難う」という漢字を使った書き方は間違いではないが、ちょっと奇異な書き方なのだ。わざわざ漢字を使うことによってどういう効果があるのだろうか。特に「難」という漢字によって読み手は語源、difficult to existということを意識せざるを得ない。「有り難う」の少し前に「当たり前」という言葉があるが、それとの対立関係が焦点化され、「当たり前」が実は「当たり前」ではないということを察知するに至るだろう。つまり、ここで用いられている「有り難う」というのは、何も原発に感謝しろという意味では全然なくて、「当たり前」を異化するための、「当たり前」が「当たり前」であること(ordinariness/taken-for-granted-ness of ordinariness/taken-for-granted-ness)をぐらつかせるための仕掛けだということに気づくのはそう難しくはないだろう。
というわけで、sionsuzukaze氏の解釈は妥当なものだということができる。