「正直、代表が誰になるかは問題ではない」

ポスト菅直人海江田万里ということなのかしら*1海江田万里*2については色々なことが言われているのだろうけど、推薦人にあの藤田幸久*3が名を連ねていることは記しておかなければならない*4海江田万里って経済評論家としてバブルの時代は財テク財テク財テク! と煽っていたのに、バブルが崩壊すると、やっぱ手堅く郵便貯金しかないでしょとか言っていたのを聞いて、脱力したという記憶はある。
さて、「小沢信者」観察では定評のある『薔薇、または陽だまりの猫』。「可哀そうな政局大好き「信者」も引いた「小沢一郎教祖様」の「海江田」支持・・・」というエントリーでは小沢一郎の海江田支持に対する「小沢信者」たちの苦渋を記録している*5。これを読んで、かつてOh, Henryが鳩山内閣に疑念を抱いた天木直人に「決別宣言」を出したときに、「「敵(アメリカ)を欺くために味方(国民)を欺くこともあるかもしれません」と述べたこと*6に対して、


あの、「敵(アメリカ)を欺くために味方(国民)を欺くこともあるかもしれません」だよ。これは太字で強調しておかなければならない。Oh, Henryがいいたいのはどういうことかと推測すると、「国民」は〈白紙委任〉しろということだ。欺かれたと思っても、それは「敵(アメリカ)を欺くために味方(国民)を欺」いているだけなのだから、その〈大御心〉を推察して、その疑念を封殺しなければならない。そうしないものは敵の手先であるということになる。

さて、政治というのは妥協の別名であるいっていいだろう。だからこそ、妥協における節操、また妥協を巡る説明責任が問題になる。しかし、Oh, Henry的なロジックにおいては、どのような無節操も正当化されるし、説明責任を問うこと自体が敵の手先となってしまう。でも、例えばスターリンヒトラーと不可侵条約を結んだときとか、多くの左翼がこうやって認知的不協和を解消し、自らを〈党〉に隷属させることによって、自我崩壊から自己を守ってきたんだよな。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100322/1269200009

とコメントしたことを思い出した。「かっち」は気をつけた方がいいよ。将来「小沢信者」内部で内ゲバ(粛清)が起こった場合、これは仮令一瞬であっても〈大御心〉に疑いを抱いたという第一級の〈反革命〉容疑の証拠として引用されるよ。「小沢信者」の模範といえば、『晴耕雨読』に引かれた*7極楽とんぼ」だろうね;

小沢さんが海江田というクソを支持するという話で、動揺が広がっているが、正直、代表が誰になるかは問題ではない。
民主党乗っ取り組から、小沢・鳩山グループがいかにして権力を引っ剥がして取り戻すかが重要なポイントだからな。
只管〈大御心〉を察し奉り続けるという「信者」の鏡!