『コペンハーゲンの猫』問題

Alison Flood “James Joyce children's story The Cats of Copenhagen gets first publication” http://www.guardian.co.uk/books/2012/feb/09/james-joyce-childrens-story-cats-copenhagen *1


ジェイムズ・ジョイスの未発表の子ども向け物語The Cats of CopenhagenアイルランドのIthys Press*2という出版社から刊行された*3


(…) The Cats of Copenhagen was written in a letter to Joyce's grandchild, Stephen James Joyce, while the author was in Denmark and the four-year-old Stephen was in France. The new tale is "exquisite, surprising, and with a keen, almost anarchic subtext", said Ithys, which has printed a limited run of 200 illustrated copies, ranging in price from €300 (£250) to €1,200.

"In early August 1936, Joyce had sent his grandson 'a little cat filled with sweets' – a kind of Trojan cat to outwit the grown-ups. A few weeks later, while in Copenhagen and probably after hunting for another fine gift, Joyce penned 'Cats', which begins: 'Alas! I cannot send you a Copenhagen cat because there are no cats in Copenhagen.' Surely there were cats in Copenhagen! But perhaps not secretly delicious ones. And so the story proceeds to describe a Copenhagen in which things are not what they seem," said Herbert. "For an adult reader (and no doubt for a very clever child) 'Cats' reads as an anti-establishment text, critical of fat-cats and some authority figures, and it champions the exercise of common sense, individuality and free will."

しかしチューリッヒのJames Joyce Foundation*4はこの出版に異議を唱えている。たしかに今年1月からジョイスの著作はパブリック・ドメインに入るが、それは既に刊行された作品についてであって、未刊行の作品についてはその限りではないというのがJames Joyce Foundation側の言い分。

The letter in which the story was found, dated 5 September 1936, was donated by Hans Jahnke, son of Giorgio Joyce's second wife, Asta, to the Zurich James Joyce Foundation. The Foundation has called its publication an "outrage", stressing that it has not granted permission for the book's release.

"We have been completely overlooked and ignored. It's only common decency to ask the owner," said the Foundation's Fritz Senn. "We are outraged. We have had no hand in this unfair thing and feel not just ignored but cheated."

Although the published works of Joyce entered the public domain in Europe on 1 January this year, Senn says it has not yet been determined whether the non-published material is now out of copyright as well. "Copyright has been lifted only, we believe, from the published material. All the huge amount of non-published material we believe is still under copyright, so this is, we believe, an infringement of that," he said, adding that he is concerned the "very belligerent" Joyce estate might sue. "We haven't heard from them [but] what I'm afraid of is that with the large amount of copyright taken away from them, their remaining territory will be defended even more fiercely."

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110614/1308070364

*1:See also 石剣峰「喬伊斯遺作《哥本哈根的猫》首次出版便惹版権争議」『東方早報』2012年2月14日

*2:http://ithyspress.com/

*3:http://ithyspress.wordpress.com/titles/the-cats-of-copenhagen-james-joyce/

*4:http://www.joycefoundation.ch/

韓湘(メモ)

「八仙」とは


李鉄拐
漢鍾離または鍾離権
呂洞賓
藍采和
韓湘子
何仙姑
張果老
曹国舅


なのであった(See 二階堂善弘『中国の神さま』、p.66ff. Also http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/essay1008.html)。

中国の神さま―神仙人気者列伝 (平凡社新書)

中国の神さま―神仙人気者列伝 (平凡社新書)

陳尚君「成仙之別途」『上海書評』2012年2月12日、p.13


「八仙」のひとり韓湘子の原型は唐代の儒者、韓愈の姪孫(大甥)である韓湘。但し現在まで知られている資料には、彼が道教を信じ・仙人になるべく修行した記録は全くない。なのにどうして「八仙」のひとりとなったのか。韓湘が言及されている最も早い文献は韓愈の「祭十二郎文」(803)。曰く、「汝之子始十歳、吾之子始五歳」。ここで「汝之子」といわれているのが韓湘。「十二郎」とは韓老成*1。韓愈の甥に当たるが、兄弟のように育った。10歳で父親を亡くした韓湘はその後韓愈に育てられることになる。819年(元和14年)、皇帝・憲宗が宮中に仏舎利を迎えるという事件が起き、韓愈はそれを諫める「諫仏骨表」という文を書き、そのため韓愈は潮州に左遷されることになる。当時26歳だった韓湘も韓愈に同行することになる。4年後、韓湘は科挙に合格し、進士となったが、その後の事績はあまり明らかでなく、著作も伝わっていない。彼が道教を信じていたか否か、全く記録がない。韓愈は儒者として反仏教・反道教の人だったが、宋代になると、道教では韓愈が反道教を悔い改めて最終的には道教に帰依したという話を捏造するようになる。トリックスターというか、韓愈を道教に誘い込む媒介として、非著名人である韓湘が使われたようだ。最も早いものとして、『酉陽雑俎』巻一九。韓湘の物語の完成型が見られるのは北宋後期の劉斧『青瑣高議』であるという。
(仙人としての)韓湘については、二階堂氏の『中国の神さま』のpp.80-83に(『八仙東遊記』に従っての)記述あり。そこでは、韓湘は韓愈の「甥」とされている。『太平広記』巻五四に引かれる杜光庭『仙伝拾遺』に仙術を使う韓愈の「外甥」が韓愈を道教に帰依させる話がある。この「外甥」の名前は明かされておらず、そもそも「外甥」であれば「韓」という姓を名乗っている筈はない。『八仙東遊記』において、史実では韓愈の「姪孫」だった韓湘が「甥」になっているのは『仙伝拾遺』の影響だろうか。また韓愈と韓老成との関係、叔父―甥なのに兄弟として育ったことも影響しているのだろうか。韓老成が韓愈の兄であると誤認されればその子どもである韓湘は韓愈の甥だと思われてもおかしくない。

*1:韓愈の兄、韓介の子。See http://i.dahe.cn/space-113653-do-blog-id-2730927.html

同窓会の陰謀?

そういえば、今年の「箱根駅伝」は母校が優勝したのだった。
速水健朗*1の「箱根駅伝」についてのエントリーを読みながら、最近「秘密結社」について駄弁ったことを思い出した*2
速水氏曰く、


K-1Jリーグ、そしてプロ野球と相撲まで、長い歴史を持つさまざまなスポーツ中継の視聴率がふるわず、地上波の枠からずり落ちていく中で、圧倒的な強さを持って箱根駅伝は放送される。2日の往路で27.9%、3日の復路が28.5%。これは正月三箇日の全テレビ番組でトップの数字。

有名でもない大学生が箱根までの道を走るだけのレースになぜ? と思うが箱根駅伝は、日本社会の構造そのものだ。厳然と残る企業や官庁、公務員の学閥。また、一流大学の牙城に二流大、新興勢力が切り込もうとする図も、現実の企業社会の光景でもある(で、無力感に苛まれたり)。体育会系出身者たちが学生時代の先輩後輩を巡って仕事を取ってくることで成り立つ営業。箱根の山を競うレースに、日本の企業社会の縮図が編み込まれている。そうした日本社会の文脈が刻み込まれているイベントなので、ある程度それを共有する階層にしか楽しめないだろう。海外には輸出不可能なハイコンテクストコンテンツだ。

パチンコやケータイゲームのスポンサーしか入らない格闘技の中継なんかと違って、箱根駅伝のスポンサーは超豪華だ。ある程度、高い階層の視聴者層を見込めるので、引く手あまただろう。駅伝が日本の企業社会の縮図なら、箱根駅伝のCMは日本経済の縮図である。
http://www.hayamiz.jp/2012/01/hakoneekiden.html

陰謀理論が好きな人は数多いるけれど、大学同窓会の陰謀を唱える人っていないな。早稲田の稲門会とか慶應の三田会とか。同窓会というのは部外者には与り知ることができず、秘密結社的な性格が強い。それに、有名大学の同窓会というのは、日本の組織では大商社に次いで、グローバルな存在である。日本中のみならず世界の主要都市には支部があるのでは? つまり陰謀理論にとっては恰好のネタなんじゃないの?

「社会連帯主義」(メモ)

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

マルセル・モースの世界 (平凡社新書)

承前*1

佐久間寛「経済 交換、所有、生産――『贈与論』と同時代の経済思想」(in モース研究会『マルセル・モースの世界』*2、pp.181-212)からの抜書きの続き。
佐久間氏は


モースが語る社会主義は、いわゆる共産主義でも、単なる国家体制でもない。またその彼が社会主義との関連で語る道徳は、単なる精神や、善悪の観念ではない。そこに潜む近代西欧あるいは第三共和制期フランス(一八七〇―一九四〇)に固有の意味を、けっして見おとすべきではない。(p.199)
として、「社会連帯主義」について述べる;

一八―一九世紀の西欧では、急速な産業化にともない、都市部に膨大な貧困層が生み出されていった。労働力を買う者と売る者のあいだの経済格差は歴然としていた。平等な所有権をもった市民が市場で商品や労働力を自由に交換すれば最良の経済状態がなりたつとする自由主義の古典的経済理論は、この現実の前では無力だった。その刷新がなされるには、一八七〇年代の「限界革命」と呼ばれる理論転換をまたねばならなかった。モースの論敵アフタリオン*3は、この新理論を代表する経済学者のひとりだった。
他方、自由主義的経済学の対抗理論の急先鋒として登場したのがマルクス主義であった。とりわけその剰余価値論は、分析の中心を商品交換の場(市場)から清算の場へと転換することで、労働力を売買する人々のあいだの経済的不平等が、ただの貧富の差ではなく、生産手段(興行設備など)の所有/非所有という質的な差にもとづいていることを論証した。資本家が私有制のもとで合法的に生産手段を独占している以上、革命以外に社会を変える道はない。市場と私有制をなくし、生産手段を集団所有化(集産化)しなければならない。マルクス主義は、紆余曲折をへつつも、思想と運動両面で国際的な潮流をなしていった。そのひとつの到達点が一九一七年の「ロシア革命」であった。
のちの東西冷戦へと連なっていく自由主義マルクス主義の対立の構図は、ロシア革命をきっかけに、政治や労働運動はもちろん、経済学界でも先鋭化していった。(略)アフタリオンの著書*4も、こうした思潮の一端をなしていた。モースの批判は、彼の著書というより、こうした二項対立の構図そのものに向けられていた。
空想的社会主義社会民主主義、修正主義、第三の道。時代と国、名ざす者と名ざされる者によって名称も内実もさまざまではあるが、自由主義にもマルクス主義にも還元できない社会主義的といえる思想や運動は、モースと同時代の西欧においてさえ、現実にも可能性としても無数に存在していた。とりわけモース思想とのかかわりで最低限知っておきたいのは、フランス第三共和制初期に政治と学問の場で一定の勢力を築いた社会連帯主義である。この思想では、貧困が現行の交換・所有制度と無関係ではないことをふまえつつも、その根本的原因は無規律な市場の働きから生じた社会の空洞化にあること、ゆえにその解決は革命ではない社会の再組織化(連帯)によってなされること、そのためには市民革命時に解体された個人と国家をつなぐ中間集団(職業集団や協同組合など)を再建するべきこと(中間集団の組織化)が主張された。この思想を政治之場で主導した勢力(急進共和派)は、累進課税・社会教育・社会保険の導入を唱え、世紀転換期には一連の社会立法を成立させた。その労使協調型の政策は、第二次大戦後の福祉国家体制の源流となっていった。一方、学問の場で社会連帯主義を主導したのは、フランス社会学の祖エミール・デュルケムであった。彼は、分業の発達にともない社会は機械的連帯から有機的連帯へと質的変化をとげること、いいかえるなら、経済的な事象とみなされがちな分業化には連帯を支える道徳(信念・慣習・法・宗教といった集合意識)の変化がともなうことを主張した。彼の社会学は、この意味での道徳を観察・分析する新たな科学でもあった。彼は社会主義の研究もおこない、思想家としてのマルクスにも一定の評価をほどこしたが、その経済還元主義や革命主義は退けた。貧困や階級対立はたんに経済的な問題ではなく道徳の問題でもあり、議会制民主主義の枠内における改革を通じて解決可能な問題とされた。
現代のわたしたちには想像しにくいことだが、この時代のフランスでは「社会学」と「社会主義」は遠からぬ関係にあった。また道徳とは、国家と個人をつなぐ中間集団の再建という独特の問題構成のなかにおかれた、科学的概念だった。当時のフランスには、デュルケム社会学をふくむ社会連帯主義を、自由主義マルクス主義双方を乗りこえる広義の経済学ととらえる見方さえあった(ジイド&リスト 一九三八)。(pp.200-202)
これは英語圏における「新自由主義(new liberalism)」に対応するのか(Cf. 齋藤純一『自由』、pp.11-12)*5
自由 (思考のフロンティア)

自由 (思考のフロンティア)

アルベール・アフタリオンについては、「ブルガリア出身、パリで学んだ貨幣・為替理論で著名な経済学者」とある(p.194)。
アフタリオンを巡っては、


Wikipedia(英語版)http://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Aftalion
Wikipedia仏蘭西語版)http://fr.wikipedia.org/wiki/Albert_Aftalion
http://cruel.org/econthought/profiles/aftalion.html
Le Comite de Direction (de Revue economique) “Albert Aftalion in memoriam” Revue Economique 8-1, p.1, 1957 http://www.persee.fr/articleAsPDF/reco_0035-2764_1957_num_8_1_407218/article_reco_0035-2764_1957_num_8_1_407218.pdf


を参照のこと。
「 ジイド&リスト 一九三八」は『経済学説史 下巻』(宮川貞一郎訳)東京堂、1938。シャルル・ジッド(Charles Gide)については巻末の「モース関連名鑑」に、


経済学者・協同組合思想家。一九二〇―三〇年代にコレージュ・ド・フランスで協同組合思想に関する講座を担当。モースやデュルケムとは学的・政治的に立場が近く、交流も深かった。作家アンドレ・ジッドは彼の甥(兄の息子)。(p.257)
とある。また、


http://www.charlesgide.fr/
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Gide
http://www.alternatives-economiques.fr/charles-gide--1847-1932-_fr_art_222_27776.html
http://www.museeprotestant.org/Pages/Notices.php?scatid=71¬iceid=725&lev=1&Lget=EN


を参照のこと。今村仁司『貨幣とは何だろうか』でシャルル・ジッドが言及されていたような気がする。

貨幣とは何だろうか (ちくま新書)

貨幣とは何だろうか (ちくま新書)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120208/1328705885 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120211/1328942895

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120126/1327606307

*3:モースのアフタリオンに対する批判についてはpp.194-199を参照のこと。

*4:Les fondements du socialisme: Etude critique 1923

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070205/1170649460 neoとnewな大違い。

20の母音

韓暁蓉、蔡鎏「奉賢金匯方言”語音最複雑”」『東方早報』2012年2月14日


李輝(復旦大学現代人類学教育部重点実験室)と陶寰(復旦大学中文系)の研究によると、世界で最も「元音」(母音)の数が多い言語は上海の奉賢区金匯の方言であり、その数は20前後に上るという。また最も「声調」の数が多い言語は広西と貴州の侗族*1が話す「南侗語」で、15の声調を有する。因みに標準中国語であるマンダリンの声調は4つ*2
そもそもこの研究は人類の言語の起源に関する研究で、人類の言語の拡散の中心はアフリカではなく中東のカスピ海(里海)附近であると主張するもの。この研究によれば、言語の音韻の複雑性(母音、子音、声調の数)はカスピ海から離れるとともに減少していくが、東西の果て(東亜細亜と北欧)で再度複雑性の増大が見られるという。奉賢区金匯の方言の属する「呉語」は漢語の諸方言の中でも母音の数が多く、平均で14前後の母音が区別されるという。なおこの奉賢金匯の方言の話者は約10万人であるという。

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110520/1305918434

*2:広東語は9つ。

David F. Ford Theology: A Very Short Introduction

Theology: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

Theology: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

先週、David F. Ford Theology: A Very Short Introduction*1を読了。


List of Illustrations


Part I. Describing the Field
1 Introduction: Theology and the Religions in Transformation
2 Theology and Religious Studies: How is the Field Shaped?


Part II. Theological Explorations
3 Thinking of God
4 Living before God: Worship and Ethics
5 Facing Evil
6 Jesus Christ
7 Salvation – Its Scope and Intensity


Part III. Skills, Disciplines, and Methods
8 Through the Past to the Present: Texts and History
9 Experience, Knowledge, and Wisdom
10 Theology for the Third Millenium


Further Reading

先ず最初に神学とは広い意味において”thinking about questions raised by and about religions”であると述べられる(p.3)。第2章で述べられるのは神学と「宗教学(religious studies)」との関係、基督教神学の諸類型。第2部では、「神」(特に「三位一体」としての神)、神への態度としての「崇拝」と「倫理」、「悪」、「耶蘇」(救世主)、「救済」といった基督教神学の中心問題が概観される。第3部では、「神学」を行うのに必要な語学の意味、また神学の哲学的基礎が概説される。この第3部(特に第8章と第9章)は〈神学入門〉というよりも、それ自体として優れた翻訳論や解釈学(hermeneutics)と認識論(epistemology)の入門であり、基督教とか神学とかに関心がないという人はここを読まれることをお薦めしたい。


ところで、李納『路南人 撒尼人』*2を読了。