2012-05-04
■プラグマティスト廣松(メモ)
「廣松哲学と現代中国」http://d.hatena.ne.jp/shin422/20120426/1335460767
廣松渉*1の中国における受容について述べられている。蓮實重彦氏まで、それについてコメントしているとは知らなかった。先ず中国における廣松といっても、それは南京大学を中心としたけっこうローカルな現象なのではないかと思う。本屋で膝の高さまで平積みされている『水伝』には当然及ばない。
さて廣松渉と「プラグマティズム」について述べた最後の部分は面白かった;
これにはぴんと来るものがある。遅くても1980年代初め以降、廣松は「役割理論」に盛んに言及するようになった。その際に参照されたのはG. H. ミード以来の社会学的役割論である。それは(ミードとも浅からぬ関係を持つ)シュッツのAufbau解読の試みである『現象学的社会学の祖型』へと繋がるものだろう。ただ『祖型』は一方で廣松の限界と言うこともでき、例えばAufbau新訳に付せられた佐藤嘉一先生の「序」は『祖型』への応答を含んでいる。細かい論証は避けるが、実のところ廣松哲学とプラグマティズムは親和性がある。廣松が解明する世界の共同主観的存在構造は、何も認識の真理性の保証を共同主観化された認識論的主観に帰する議論でもなんでもない。むしろその不可能性を立論するものに他ならなかった。<通用性>と<妥当性>との違いは、何ら真理への階梯の段を意味するものでもない。したがって廣松哲学自身もその事的世界観の真理性を主張するものとはなっていない。乱暴にいってしまえば、とどのつまりは<通用性>を保証するものは<ゲバルト>に他ならないのである。<通用性>と抗争を演じる<妥当性>は真理とは無縁であって、あるのはただ<通用性>を転覆するに有用であるか否かということだ。
なるほど廣松哲学批判として盛んに持ち出されるヘーゲル由来のフュア・ウンス、フュア・エスの区別を廣松が自説の真理性を保証するための概念装置として使用しているとの批判もあるが、確かに『弁証法の論理』を紐解けばそう思われないではない節があるものの、廣松は明確にフュア・ウンスといえども歴史の外に立つことはできないと言及し、時代のウア・ドクサからは自由になれないことも断っている。むしろ真理とは切り離された社会動態論として廣松哲学が現代中国に絶妙な仕方でマッチしているがゆえに受容されはじめているのではないかと思われるのである。そう、プラグマティズムとしての廣松哲学という塩梅である。
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近代中国で成功した西洋思想はプラグマティズムとマルクス主義だけだったと述べたのは山田慶児だったか(『未来への問い』)*2。
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廣松渉ということで、
張一兵「廣松渉:超凡的学術人生」http://www.njass.org.cn/qk_show.aspx?id=476&qk_id=558
という論文を見つける。 廣松渉のショート・バイオグラフィ。張一兵氏は廣松渉の翻訳者。
■ジョン・ゾーンからCHHへ
http://www.dvddata-mag.com/interview/20110823.html
『潜水服は蝶の夢を見る』のマチュー・アマルリックへのインタヴュー。
その最後の部分;
―今後、映画監督としてどんな映画を撮っていきたいですか。
アマルリック「これを映画にしたいと思う着想点というのは、実はほんのささいなことなんだ。読んだものや、見たもの、誰かと話したことや何かで傷ついたこととか、そんなちょっとしたアイデアがいろんなものと反応し合って、生まれてくる。まるで漏斗みたいな感じで、アイデアが段々と集約されてくる。最初はコラージュに似ているかもしれないね。時には全く相反する矛盾したものなのに、そこからテーマが生まれてくることもある。今は、(フランス国立学校で製作を教えているので)、演劇の学生たちと実験的な芝居を作ったり、アート系の学生たちが作品を作るのを見ていて自分自身も作ろうと思ったり。いろいろなことを並行して行なっているんだ。実は今、ジョン・ゾーンというフリー・ジャズ・ミュージシャンのドキュメンタリーを撮っているんだ。彼は親日家で、90年代に東京の高円寺に住んでいた。それで今回、彼のことを知るミュージシャンの巻上公一と高円寺に行ってきた(笑)。作品を思いついた瞬間ってとても心地いい時なんだ。これから2年ぐらいは構想練って温めて・・・。幸せな時を過ごす。それはまるで誰かと出会ったときと同じ。一夜だけで終わることもあるけれど・・・、たまには子供を一緒に作る関係にもなる。それと同じさ(笑)」
ジョン・ゾーンということで、映画版『シニカル・ヒステリー・アワー』の音楽はジョン・ゾーンだったということを思い出した。かなり以前に仲俣暁生氏が岡崎京子は「80年代」ではなく「90年代」に属する人だと書いたことがあって*3、それに対して、「「80年代」といえば、(私にとっては)寧ろ玖保キリコさん*4だろう」と思ったことあった*5。実をいうと、1980年代、『いまどきのこども』のキャラクター・グッズをけっこう集めていたのだった。
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■「憲法改正」by 東
最近ルソーの「一般意志」についてメモ書きしたが*6、その際に参照したエントリー*7はそもそも東浩紀の「一般意志2.0」に対するコメンタリーであった。そのときは東浩紀の言説には言及しなかった。彼の言説について、ほかにもコメントしたいネタはあるのだけれど*8、ちょっと吃驚! の動向を知ったので、そちらの方をメモしておく。
中村礼治「東浩紀の奇妙な憲法改正試案」*9から;
哲学者・作家の肩書を持つ東浩紀がこの夏、憲法改正試案を発表するという。公表を前にきょうの朝日新聞009(5月1日付朝刊)でインタビューに答えている。それを読むと、「日本を尊重しろ」だの「天皇は元首」だの、奇妙なことをうたった改正試案であることがわかる。
東はなぜいま憲法改正なのかを問われ、3.11後の政府の失政を目の当たりにして「もやは政権を代えている場合ではない。もっと基層の部分を変えなければならないことが明らかになった」と語る。2年半前の政権交代ではほとんど何も変わらなかったから、というのがその理由だ。だが、基層を変えるにせよ、表層を変えるにせよ、まず政権を代えることからしか何事も始まらない。震災が起ころうが、民主党が腰砕けになろうが、それは変わらない。東の言葉を借りれば、いまこそ「政権を代えている場合」なのだ。それが民主党の原点回帰という形を取るのか、政界再編という経路をたどるかはわからないにしても。
東は「憲法を日本というコンピューターを使うためのOS(基本ソフト)」にたとえ、「だったら自衛隊がもう少しサクサク動く、国がうまく回るOSに入れ替えたほうがいいんじゃないか」と言う。だが、わが憲法の最大の取り柄は自衛隊がサクサク動かないようにしている9条の非戦・非武装の条項にある。東のコンピューターを真似た思考方法が気楽な結論を導いているように見える。
普通に右じゃん。東は再度田村理『国家は僕らをまもらない』*10とかを読んで立憲主義の復習をすべきだろうとは思う。ところで、彼の思考の変化は『東京から考える』という対談本における「ネーション」を巡る奇妙な発言*11から始まっていたのかと、今にして思う。
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「東浩紀氏の憲法改正試論への疑問」というエントリー*12も東の「憲法改正試論」に対する批判。デリダと多文化主義、多文化主義とマルクス主義(「マルチカルチュアリズムは、絶対の真理としての無誤謬性の象徴に堕したマルクス主義の普遍主義への反抗と一体をなすものであった」) 、多文化主義と新自由主義等について、(些か疑問はあるけど)興味深い言及を含む。
■「志縁廟」/「女の碑」
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120501/1335885805に対して、
yellowkitty 2012/05/04 05:20
日本では、第二次大戦によって200万人以上の適齢期男性が戦死したため、敗戦後おおぜいの女性が結婚相手を見つけることができませんでした。いま数字をあげることはできませんが、当時20歳代の女性の生涯未婚率はかなり高かったと思われます。「トラック一杯の女に男一人」などと話題にされましたが、さほど深刻な社会問題とはされなかった(政策の対象にはならなかった)と思います。この人々は生涯独身で父母兄弟姉妹のため働き続け、最後には入る墓がありませんでした。京都常寂光寺には、彼女たちが共同で建てた墓があります。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120501/1335885805#c1336076438
常寂光寺*13の「志縁廟」と「女の碑」ですね。これについては、
「常寂光寺」http://www.sousaiken.com/ssk/column/column2.html
市川房枝による碑文が引用されています。
戦後「もやいの会」*14が結成されたのもそのような背景と無関係ではないでしょう。近年突然「無縁死」なるものが云々され始めたときに、「もやいの会」や「志縁廟」などの早くからの実践が忘却されているな、とは感じました*15。
*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050602 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050721 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060115/1137310768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060227/1141008207 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060806/1154835498 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061213/1165976741 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061220/1166632459 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070317/1174104444 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080831/1220114988 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090322/1237741323 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090716/1247679249 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091204/1259903793 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100823/1282534033 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110120/1295514427 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120103/1325597311 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120316/1331898804
*2:Peimin Niは中国哲学とプラグマティズムの比較を行っている。Kung Fu for Philosophers” http://opinionator.blogs.nytimes.com/2010/12/08/kung-fu-for-philosophers/ Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101223/1293136913 Ni氏によれば、中国哲学はテオリアというよりは「功夫」だということになる。
*3:http://d.hatena.ne.jp/solar/20060720/p1
*5:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060721/1153451387
*6:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120418/1334776240
*7:http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20120308/p1
*8:Eg. http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-5697.html
*9:http://blog.livedoor.jp/nkmrrj04fr/archives/52138185.html
*10:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081224/1230144140
*11:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081120/1227201998
*12:http://38870660.at.webry.info/201205/article_1.html
*13:http://www.jojakko-ji.or.jp/
*14:http://www.haka.co.jp/HP/Haka/sugamo_info/moyai.html
*15:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100205/1265388202 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100810/1281411210