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池田信夫*1「「なんちゃって保守」の笑劇」http://blogos.com/article/73474/


先ず「夫婦別姓を否定することが「保守」だと思い込んでいる」高市早苗こと山本早苗*2稲田朋美*3をdisっているが、「夫婦別姓」についての池田氏の認識は平均以上のまともさを有しているといえるだろう。
さて、池田氏の論の中心は文の後半にあるといえるだろう。高市のような輩を「なんちゃって保守」と名付けるのだが、その元祖を西部邁*4だとする;


この手の「なんちゃって保守」の元祖が西部邁氏だ。彼も東大に赴任してきたころはまだ左翼的だったが、大学を辞めるころ右翼に転向した。冷戦の終わる少し前で、世間の評論家より早かったのが商売上手なところだ。左翼が論壇の圧倒的多数派だった1940年代からほとんど一人で保守を名乗った福田恆存には大変な気概が必要だったと思うが、社会主義の崩壊する前に駆け込みで保守に転向した西部氏は、目先がきいただけだ。

さらにその弟子を自称する中野剛志氏とか中島岳志氏に至っては、お笑いでしかない。彼らの共通点は、無知だということである。中野氏の保守主義の神髄は「公共事業で内需拡大」することだし、藤井聡氏は「200兆円の国債発行で国土強靱化」を唱えている。バーク以来の本物の保守にとっては国家を信じないことが重要だが――安倍首相や高市氏も含めて――自称保守は国家が経済に介入する家父長主義を保守主義と取り違えている。

もう一つの共通点は、既得権の擁護に熱心なことだ。バークはアメリカ独立革命を支援し、ハイエクはイギリスの保守党とは一線を画して「私はなぜ保守ではないのか」という有名なエッセイを書いたが、高市氏は新聞の特殊指定*5ネット規制*6など、権力やマスコミに迎合することでは一貫している。

幾つか経済思想史・政治思想史上の疑問。
西部氏が〈右〉になったのは何時頃なの? 池田信夫氏はリンクした別のエントリーで、

(前略)私は西部氏が東大に赴任したときの最初のゼミ生だが、その当時の彼は「ソシオエコノミックス」とか言って、それなりに経済学をやっていた。それが学問的に行き詰まり、中沢新一騒動で大学を辞めてから「保守論壇」で飯を食うために、あらゆる改革を全面的に否定する商売を始めた。
これはちょうど冷戦末期の左翼が没落する時期には、なかなか巧妙なマーケティングで、「朝まで生テレビ」に毎月のように登場し、毎週のように地方で講演していた。田原さんも「西部さんが日本の論壇を変えた」といっていた。そのころ彼の影響を受けて、本書の著者*7や中野剛志氏のようなエピゴーネンが出てきたわけだ。

西部氏の影響を受けている人々の共通点は、基本的な勉強が欠けていることだ。西部氏は安保条約の条文も読まないで60年安保に反対し、東大に赴任してきたころはバークもハイエクも知らなかった。私がフリードマンの『資本主義と自由』についての書評を書いたら、「大学にこういう保守主義が広まるのはよくない」と批判していた。それがフリーで商売するようになってから、保守を売り物にするようになったのだ。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51866664.html

「フリーで商売するようになってから、保守を売り物にするようになったのだ」ということはないだろう。「中沢新一騒動」が起こった頃には、中曽根政権との関係も含めて、既に〈右〉の論者として売り出していたわけだから。普通に考えて、西部氏の「保守」思想家としてのブレイクは『大衆への反逆』(1983)や『生まじめな戯れ』(1984)辺りだとは思うけれど、勿論〈右〉になった正確な日付などはわからない。1979年に『蜃気楼の中へ』という米国・英国滞在記が出ているが、たしか宇沢弘文*8への謝辞があったものの、〈左〉という印象も〈右〉という印象も受けなかった*9。まあその後というか、1980年代初めの何時かということになるのだろう。そうはいっても、「社会主義の崩壊する前に駆け込みで保守に転向した」ということではないだろう。というか、1980年代初めには如何にハードコアな反共主義者であろうとも、あのような仕方での「社会主義の崩壊」を予測した人はいなかった筈だからだ。「さらにその弟子を自称する中野剛志氏とか中島岳志氏に至っては、お笑いでしかない」。中野剛志はともかくとして、中島岳志*10が西部門下を「自称」しているの? Wikipedia西部邁の「門下生」として挙げられているのは佐伯啓思、坂井素思、佐藤光、間宮陽介、宮本光晴*11。大学とか私塾といった制度を介さずに西部氏を師としているのは宮崎哲弥くらいなのでは(『正義の見方』)? 上で引用した「別のエントリー」は中島岳志氏の或る著書の書評ということなのだが、そこでは中島氏の西部氏からの「影響」はほんの少し語られているものの、「弟子」云々ということは全然語られていない。
正義の見方 (新潮OH!文庫)

正義の見方 (新潮OH!文庫)

中野剛志は批判される。名前を出された中島氏はスルーされて、いきなり「藤井聡」という名前が出され、批判される。まあ藤井聡という方はたしかに西部門下であるのだけれど*12。そして、話は再び高市早苗へ。
池田氏によれば、現代日本において「自称保守」は保守主義を「家父長主義」(パターナリズム)に擦り替えているということになるが、これにはやや賛成。ただ池田氏の「保守」理解も「左翼」と対立させる通俗的な「保守」理解からは脱していないようだ。これだと、「保守」と「右翼」は同義になってしまう。或いは、戦後日本に特有の〈保革〉の「保守」。まあそのような意味での「保守」というのは細川連立政権の成立以後意味をなさなくなったとは思うけれど*13

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070128/1169989586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090108/1231386781 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090223/1235362566 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090619/1245441165 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091126/1259201785 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091217/1261049929 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091218/1261105482 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100612/1276361557 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100621/1277100760 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101120/1290272803 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101230/1293715439 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110212/1297527735 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110214/1297700026 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110331/1301545326 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110525/1306294866 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110619/1308481084 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110626/1309107227 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110717/1310898599 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120505/1336185843 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120528/1338230225 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120530/1338343629 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130423/1366683831 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130528/1369714773

*2:高市早苗毎日新聞社に抗議します。夫婦別姓ではありません」http://sanae.gr.jp/column_details337.html 高市については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061121/1164082739 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070214/1171423611 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090928/1254069607 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100131/1264951293 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130614/1371219310 で直接的・間接的に言及している。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060909/1157830200 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060911/1157950297 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060930/1159643737 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061007/1160239677 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090905/1252159866 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091228/1262008004 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100131/1264951293 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130306/1362584719 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130617/1371461484

*4:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070507/1178561806 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090904/1252094185 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100426/1272257624 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130924/1380045500 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130925/1380121265

*5:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292434.html

*6:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294048.html

*7:中島岳志のこと。

*8:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060408/1144471534 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091230/1262144139 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100816/1281992231 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110208/1297161088 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111229/1325091628 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111230/1325211614

*9:宇沢弘文氏を〈左〉と規定してしまうのも大雑把で乱暴な話ではあるけど。

*10:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070116/1168966875 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100914/1284473658 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110403/1301804644 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111112/1321120673 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120322/1332376701 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120621/1340291749 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130413/1365871586

*11:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E9%82%81

*12:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E8%81%A1

*13:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100131/1264951293 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100203/1265216736