或る獄中結婚

Helen Pidd and Eric Allison “Gay couple serving life sentences to marry in prison” http://www.theguardian.com/society/2015/feb/20/gay-couple-serving-life-sentences-marry-prison-marriage-full-sutton


英国ヨークシャーのFull Sutton監獄*1に服役しているMikhail GallatinovとMarc Goodwinは来月結婚式を挙げる*2 。どちらも殺人罪終身刑の判決を受けている*3。これは英国で初めての同性の獄中結婚*4になる。


A source who visits Full Sutton regularly told the Guardian the relationship was well known inside the jail. “These two guys were on separate wings at Full Sutton and used to meet – and have sex – in the prison library. Then they managed to get on the same wing and had sex regularly,” she said.

Since submitting their application for marriage, the men have been split up and housed on different wings, the source claimed.

囚人の結婚権について;

A Ministry of Justice spokesman refused to comment on the marriage, saying: “We do not comment on individuals.

“Prisoners are entitled to apply to be married in prison under the Marriages Act 1983. This would take place at no cost to the taxpayer and there is no possibility they would share a cell.”

Under the terms of the Marriage Act 1983, all prisoners can exercise their right to marry under civil law in the place of their detention, and this right is reinforced by the Human Rights Act.

When passed, the 1983 law was intended to allow heterosexual prisoners to marry their partners from the outside world. The logic was that prisoners should largely enjoy the same human rights as their free counterparts, and that building and retaining family ties can help with the rehabilitation process.

But with the introduction of the Civil Partnerships Act 2004 and the Marriage (Same Sex Couples) Act coming into force last year, gay inmates are now legally allowed to marry each other inside jail, causing logistical issues for prison staff.

There is no rule prohibiting sex or relationships between prisoners, but prison officers do not allow inmates to have sexual relationships, according to the Commission on Sex in Prison*5, carried out by the Howard League for Penal Reform*6.

Frances Crook, the Howard League’s chief executive, supports marriage in prison, saying: “As a general principle, I think that prisoners should be allowed the same civil rights as people outside. They are in prison for public safety reasons, not to stop them asserting their civil rights.”

獄中の同性愛の実情;

It is impossible to accurately assess the prevalence of same-sex relationships in prison, according Roger Ingham, professor of health and community psychology at the Centre for Sexual Health Research at the University of Southampton. He said he had never heard of a gay marriage or civil partnership between prisoners inside a jail, but predicted this would not be the last. “Given the increasing acceptance of same sex relationships in society at large, one would imagine that there are more of these relationships going on in prison too. The authorities will have to respond to these changes,” he said.

The Guardian spoke to one man who was recently released after serving a long sentence at a high security jail. He said: “Paradoxically, given that legal and cultural progressions have almost rendered the ‘gay liberation front’ redundant in the UK, the situation in prisons for homosexual men is arguably more difficult now.

“Though engaging in consensual sexual activity is no longer illegal, when prisoners do so other institutional sanctions and disciplinary actions are deployed to obstruct, punish and deter. The easiest pretext for the authorities is always to pretend that ‘security’ or ‘good order and discipline’ are threatened when two men are momentarily beyond the panoptic disciplinary gaze of authority – actually a legal necessity since legalisation enjoins that ‘acts’ be ‘in private’, a rare commodity indeed in prison.”

ところで、Marc Goodwinが犯した殺人というのは「ホモフォビア」のヘイト・クライムだったのだ。

同性婚姻については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060310/1141964279 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070215/1171504248 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070315/1173923865 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091020/1256061018 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091026/1256580819 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100716/1279298083 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110224/1298560444 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110530/1306727085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110630/1309450191 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110716/1310809404 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120418/1334689703 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130301/1362102404 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130523/1369282829 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131020/1382242882 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131230/1388369445 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140913/1410537519 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141101/1414807878 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141105/1415113381 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141221/1419171398 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150213/1423753689 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150214/1423882088 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150220/1424402908 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150222/1424572403も。

同い年

『読売』の記事;


教え子の下着を無断撮影、教育学部教授を懲戒免
2015年02月21日 09時06分


 千葉大千葉市)は20日、教え子の女子学生の下着を無断で撮影したなどとして、教育学部の男性教授(54)を懲戒免職処分とした。

 発表によると、教授は昨年3月、外付けタイプのハードディスクを許可なく自宅に持ち帰り、学生など約4万7000人分の個人情報をネット上で閲覧できる状態にしていた。ハードディスクには削除された内容があり、外部機関の協力を得て行った調査で、教授の教え子の女子学生の下着を撮影したとみられる写真約50枚があったことがわかった。無断で開けたバッグの中の下着を撮影したとみられる。

 同大は昨年6月、教授を授業から外し、学生と接触をしないよう指示した。しかし、教授は8月、ネパールへの調査旅行に女子学生2人を同行させ、うち1人にキスを3回するセクハラ行為もしていたという。キスされた女子大生は警察に被害届を出した。

 教授は下着の写真について「インターネットでダウンロードした」とし、セクハラ行為は「寝ていた学生を起こそうとした時顔が近づいた。キスはしていない」と話しているという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150220-OYT1T50177.html

同い年ではないですか。
でも、「外付けタイプのハードディスクを許可なく自宅に持ち帰」ったことと「個人情報をネット上で閲覧できる状態にしていた」の因果関係はわからない。つまり、情報をどっかの誰からもアクセス可能なサーヴァーに勝手にアップロードした罪? それにしても、「約4万7000人分の個人情報」って? ところで、他人のバッグを「無断で開けた」だけでもうアウトでしょ。ただ、50を越えたおっさんが「教え子の女子学生の下着」をこそこそと写真に撮って、それをおかずにしていたというのはかなり哀愁を感じさせる*1。まあ言えることは、彼はあの植草一秀よりも小心者だったということだ。勿論、度胸があればそれでいいということには全然ならない。

大学を舞台とした「セクハラ」には、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060331/1143796313 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090920/1253472136 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131116/1384606029で採り上げているのだった。

*1:非モテ中学生ならありそうなことだけど。

渡辺輝人の解釈

承前*1

同性婚姻と日本国憲法との関係についての安倍晋三の独自解釈を巡って。


渡辺輝人*2「安倍君、言葉を慎みたまえ」http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150220-00043202/


曰く、


一方、安倍首相は2月18日の国会答弁で「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と述べました(2月18日朝日新聞)。確かに憲法24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 」としていて、婚姻は「両性」(男と女)がするものだという文言に読めます。しかし、この規定の意味は、旧民法で結婚について親の許可が必要だったことを改め、カップル相互の同意のみで結婚できるようにしたことに意味があります。憲法は国民が国に対して有する権利の章典なので、憲法ができた当時、同性婚が想定されていなかったとしても、憲法同性婚を否定したり、抑制的な態度を取っているとは到底思えません。有名な憲法の注釈書を読んでも、憲法24条のところには「同性婚の許容性」という項目すら存在しません。許容されて当然だからです。また、フランスがそうだったように、同性婚を認める前に、まず、同性間でも異性間でも利用可能なパートナー同士の相互扶助契約を立法することも可能でしょうし、そういうことを日本国憲法は何も否定しないはずです。

安倍首相の答弁は、憲法24条1項を「結婚は男と女しかできないんだ」という国民に対する義務規定だと捉えているようにも見えます。いずれにせよ、単に政策的にやりたくないだけのことを、日本国憲法のせいにする態度は法律家として許しがたいものがあります。

注目すべきは、「安倍首相の答弁は、憲法24条1項を「結婚は男と女しかできないんだ」という国民に対する義務規定だと捉えているようにも見えます」というところだろう。残念ながら、渡辺氏自身によっても深化されていないのだが、これこそ安倍の憲法観というか〈安倍晋三思想〉なるものの重要な要点のひとつであるといえるだろう。つまり、「立憲主義」の超克を妄想・策動する安倍にとって*3、そもそも「憲法」というのは権力を制限し「国民」の自由を制度化するものではなく、たんなる「国民に対する義務規定」でしかないわけだ。
なお、渡辺氏が上記のテクストの最初に言及している民主党玉木雄一郎に対する安倍晋三の「日教組」野次についての詳細は、


安倍晋三、国会で質問中の玉木雄一郎に「日教組日教組!」とヤジを飛ばし叱られる」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150220/1424391217
「「安倍批判」を自粛する新聞。これでは「報道の自由度」世界61位も当然」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150221/1424483917


を参照されたい。

「進化」と「歴史科学」(メモ)

承前*1

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

グールドの『ワンダフル・ライフ』からの抜き書きの続き。


(前略)自然を相手にする大きな学問分野――宇宙論、地質学、進化学なども含まれる――は、歴史学の道具を手に研究にあたらなければならない。その場合の適切な方法は、叙述に的を絞ることであって、通常考えられているように実験に的を絞ることではない。
”科学的方法”という固定観念は、還元することのできない歴史では出番がない。自然界の法則の定義は、空間的にも時間的にも不変であることである。条件を制御した実験を行ない、自然界の複雑さを最小限の数の一般的原因に還元するという技法は、すべての反復は同じものとして扱うことができ、研究室で正しくシュミレートすることができるという前提に立っている。カンブリア紀の水晶は現代の水晶と同じであり、珪素と酸素からなるその結晶構造に変わりはない。実験室内の一定条件のもとで現代の水晶の特性を決定すれば、その結果を用いて、カンブリア紀ポツダム砂岩からなる海沙の特性を説明することができる。
しかし、恐竜が死滅した理由や、ウィクワクシアは滅んだのに軟体動物は繁栄した理由を知りたいとしてみよう。(略)
だが、”科学的方法”という限られた手法では、気候条件も大陸の位置関係も現在とは著しく異なっていたはるか昔の地球上で大量の生物を死滅させたこの異常な出来事の核心に迫ることはできない。歴史上の謎を解明するには、歴史上ただ一度だけ起こった現象の叙述的な証拠に基づいて過去の出来事それ自体に語らせた復原を根底に置かなければならないのだ。ウィクワクシアの死滅を必然とした法則は存在しなかった。いくつかの出来事が複雑にからみあい、そのような結果を確実に引き起こしたのである。まばらに存在する地質学的記録のなかに立正に十分な証拠が幸運にも残されていれば、その原因を発見することも夢ではない。たとえばつい一〇年前までは、白亜紀の絶滅が、一個ないし何個かの地球外物体が地球に衝突したらしい時期と一致していることなど誰も知らなかった。化学的な痕跡というかたちをとった証拠が、まあにその時代の岩石中に存在しつづけていたというのに*2。(pp.483-484)

歴史的な説明は、従来の実験結果とは多くの点ではっきりと異なっている。反復による証明が問題とならないのは、説明しようとしている対象が、確率の法則からいっても時間の矢に逆行しないことからいっても、細部までまったく同じように再現されることはありえないただ一度きりの現象だからである。われわれは、物語という複雑な出来事を自然法則の単純な結果に還元して解釈しようとはしない。そういう出来事が起こるかどうかは偶発的な細事にかかわる問題である。重力の法則は、リンゴがどのように落下するかは教えてくれるが、そのリンゴがその瞬間に落下した理由と、ニュートンがたまたまそこにすわっていてインスピレーションを得た理由は教えてくれない。
固定観念の中心的要素である予測という問題も、歴史上の物語には関与しない。われわれがある出来事を説明できるのは、それが起こったあとのことである。しかし、偶発性のせいで、まったく同じ出発点から再開した場合でさえ、同じ出来事が反復されることはない。カスター将軍は一〇〇〇あまりの出来事が重なってみずから率いる騎兵隊を孤立させる定めにあったが、一八五〇年にもう一度立ち戻ってやりなおしても、モンタナを見ることはないだろうし、シッティング・ブルやクレイジー・ホースと相まみえる可能性はもっと少ない。
このようなちがいがあるため、”科学的方法”という限定的な固定観念で判断すると、歴史的説明すなわち叙述的な説明が好ましくないものに見える。そういうわけで、歴史上の複雑な出来事をあつかう科学は地位を下げ、専門家のあいだでは一般に低い表哥に甘んじている。実際、科学の順位づけがあまりにおなじみの話題となっているため、剛直な物理学を頂点とし、心理学とか社会学といったふにゃふにゃの主観的な分野を最下位に置く格づけ自体が固定観念となっているほどである。”ハード”サイエンスに対する”ソフト”サイエンス、”厳密な実験”に対する”単なる記載”といった言いかたがよく使われている。(pp.484-485)

しかし、不変である自然法則のもとでの実験、予測、小前提が歴史科学では必ずしも有効な方法ではないからといって、歴史科学は劣ってもいないし、限定的でもないし、しっかりとした結論に到達する能力を欠いているわけでもない。歴史を相手にする科学は、手元のデータが比較と観察の点でどれだけたくさんのことを語るかに基づいた、他とは異なる説明様式を採用する。なるほど、過去の出来事を直接目にすることはできない。しかし、そもそも科学とは推論に基づくものであって、見たままの観察に基づくものではないではないか。電子や重力やブラックホールを見た人間はいないのだ。
固定観念的な科学か歴史的な科学かに関係なくすべての科学に要求されることは、直接観察ではなく、確固たる検証可能性である。仮説はぜったいにまちがっているのか、それともおそらくは正しいのかという決定ができなければならないのだ(ぜったい正しいという確信は牧師や政治家にまかせておけばいい)。歴史上の出来事の奇想天外さは、異なる検証方法をわれわれに強いるが、それでも検証可能性が基準であることは変わらない。われわれは、過去の出来事の結果を記録した奇想天外で多様なデータを頼りに研究を進めている。過去を直接目撃できないことを嘆いたりしない。個々の事例を別々に検討したのでは決定的な証拠とはならないものの、すべてにあてはまる解釈は一つしか成立しないほど多岐にわたる多量の証拠によって、歴史のなかで繰り返されているパターンを探し求めるのだ。(pp.487-488)
ところで、陳新『歴史認識*3を先月読了していた。 

重力に朝鮮

Morwenna Ferrier “Kim Jong-un defies gravity with new haircut” http://www.theguardian.com/fashion/2015/feb/20/kim-jong-un-defies-gravity-itself-with-new-haircut


金正恩の新しい髪型が話題になっている。比較されているのはヒップホップ・ユニットのKid ’n Play*1の1980年代後半から1990年代前半の髪型*2