間違いとか疑問とか

承前*1

先ずは訂正。
「2015年4月に大阪で当時世界最高齢者だった117歳の大川ミサヲさんが亡くなったとき、最後の19世紀人ということだったのだが、このMbah Ghotoさんこそが(実質的な) 最後の19世紀人ということになる」と書いたのですが、大川ミサヲさんはあくまでも1800年代に生まれた最後の日本人ということです。1900年8月生まれの田島ナビさんという方がいる*2。また、「Mbah Ghotoさんこそが(実質的な) 最後の19世紀人ということになる」というのも勘違い。現在世界最高齢者として公式に認定されているジャマイカの117歳のViolet Brownさんは1900年3月10日生まれですから*3、ぎりぎり19世紀人ということになります。Violet Brownさんの前の代の公認世界最高齢者だった伊太利のEmma Moranoさん*4 は「1800年代生まれの最後の1人」だったと;


世界最高齢の女性が死去 最後の1800年代生まれ

ローマ=山尾有紀恵

2017年4月16日17時33分


 英ギネスワールドレコーズ社が認定する世界最高齢のイタリア人女性のエマ・モラーノさんが15日、伊北部ベルバニアで死去した。117歳だった。AP通信などが伝えた。自宅でいすに座っていた際に呼吸が停止したという。モラーノさんは1899年生まれで、1800年代生まれの最後の1人とされてきた。

 モラーノさんは1日に卵3個を食べるのが若い頃からの習慣だったが、晩年は卵を2個に控えていた。亡くなる数週間前からは眠って過ごすことが多くなっていたが、毎日生卵とビスケットを食べることは欠かさなかったという。モラーノさんはメディアに、若い頃は赤ん坊だった息子を亡くし、夫に暴力をふるわれて別れるなど、それほどいい人生ではなかったと語っていた。長年工場などで働き、踊りや歌が上手だったという。

 AP通信によると、1900年生まれのジャマイカ人女性が新たな最高齢者になったとみられる。(ローマ=山尾有紀恵)
http://www.asahi.com/articles/ASK4J4RTDK4JUHBI00H.html

さて、

Hannah Devlin “Is it really possible to live until you're 146? The science of ageing” https://www.theguardian.com/science/2017/may/02/is-it-really-possible-to-live-until-youre-146-the-science-of-ageing



科学者(生物学者)たちは、ジャワのMbah Ghotoさんが146歳まで生きたということを殆ど信じていない。今のところ、科学者たちが合意している生物学的なリミットとしての人間の寿命は120年前後だからだ。ちょっと長く行き過ぎだろうというわけだ。上に示した公認の世界最高齢者は117歳。なのに、いきなり30近くも一気に上昇。最初にMbah Ghotoさんの記事を読んだとき、この120前後というリミットのことが頭を過って、享年146歳というのは額面通りは信じられないな、とは思った。
でも、文系的な問題として、考えなければいけないのは、Mbah Ghotoさんは実際もっと若かったとしたら、何故或いはどういう具合で1870年生まれということになっちゃったのかということだろう。インドネシア政府によれば、事後的に作成された1870年生まれという出生証明書の根拠は、本人への聞き取り及び本人が提出したドキュメントだという。そのドキュメントがどういうものだったのかはわからないのだけど、本人への聞き取りに関しては、本人の記憶の在り方が問題になる。何十年も前の自分の存在を、どのようにして、例えば西暦のようなマクロな歴史的時間性に関連付けていたのか。そのようなことがあまり教養や学歴のない一般庶民に可能だったのかどうか。Mbah Ghotoさんは多分ムスリムなので、マクロな歴史的時間性というと西暦よりもヒジュラ暦の方が適切なのだろけど、ウラマーのような知識人ではない一般のムスリムにとってヒジュラ暦がどれほど身近なものなのかはわからない。自分自身のことを考えても、何十年も前になる子ども時代のことを、いきなり西暦とか昭和とかで想起してもぴんとこない。ではどうするのかというと、例えばアポロ11号とか大阪万博とか浅間山荘事件とか札幌オリンピックといった社会的事件を想起し、アポロ11号の月着陸があった年だから1969か、とか。もっと最近の事件だと、天安門事件阪神大震災地下鉄サリン事件911、311(東日本大震災)等々。いきなり2011年と言うよりも、あの311があった年という方がわかりやすいのではないか。でも、こういうふうに社会的な事件と自分のライフ・ヒストリーを結びつけるということには、リテラシーとかメディアの存在とかいった条件がある。インターネットは勿論のこと、TVも新聞もなかった19世紀の和蘭殖民地時代のジャワについて、そういうことは可能だったのだろうか。
例えば1890年のジャワに20歳のMbah Ghotoという男が存在していたことを示す(公文書を含む)第三者的な文書にはどんなものがあるのだろうか。基督教社会では、前近代でも教会の洗礼記録が残っており、それが年齢推定に大きく寄与している。考えてみると、年齢つきのオフィシャルな記録というのは、義務教育や徴兵制度や選挙制度といった近代の国民国家と強く結びついているのがわかる。しかし、間接支配の殖民地においては? 或いは、犯罪を犯して、警察に逮捕され、裁判にかけられたとしら、警察の調書とか判決の記録に、20歳のMbah Ghotoという男が存在したという事実が刻まれることになっただろう。しかし、犯罪とは無関係な善良な民の存在が警察や裁判所の文書の中に刻まれることはない。さて?