2B or not 2B

齋藤亜矢*1「在と不在」『図書』(岩波書店)、832、2018、pp.46-49


曰く、


「ある」べきものがないと、わたしたちはそこに「ない」ものを想像する。たとえば、片方の目がない顔の絵を見せると、子どもは「あ、おめめない」などと言って、「ない」目を描き入れる。いっぽうチンパンジーは、「ない」目を補うことはせず、すでに描かれて「ある」目にしるしをつけたり、顔の輪郭を丁寧になぞったりする。
今ここに「ない」ものを想像する力。それこそ人間がとくに発達させた、芸術する心の基盤のひとつだと考えている。
「ない」目を描き入れるのは、おもに二歳半以上の子だ。それより小さい子は、チンパンジーと同じように、描かれて「ある」目だけにしるしをつける。「ある」から「ない」への転換期は、語彙が爆発的に増える時期でもある。「ない」ものを想像する力と言葉の獲得には密接な関わりがある(拙著『ヒトはなぜ絵を描くのか』)。(pp.46-47)
「ない」への関心の対極として、小川さやか『「その日暮らし」の人類学』*2で紹介されている、アマゾンの「狩猟採集民ピダハン」の文化(pp.35-39)があるということになるのか。「ピダハンは、実際に見たり体験したりしたことのない事柄――わたしたちが「過去」や「未来」と位置づける事象や伝説・空想の世界――に言及しないし、そもそも関心を示さないのだ」(p.37)。

過去や未来を語らないことは、過去や未来、抽象的な概念を持たないこととイコールではないが、ピダハンのほとんどの関心が「現在」に向けられており、それゆえ彼らが「現在」をあるがままに生きていることは興味ぶかい。彼らは直接体験したことのない他の文化に興味がなく、自分たちの文化と生き方こそが最高だと思っており、それ以外の価値観に同化することに関心がない。彼らはよく笑う。自身に降りかかった不幸を笑う。過酷な運命をたんたんと受け入れる。未来に思い悩むわたしたちに比べて、何やら自信と余裕がある。彼らは他人に貸しをつくらないし、他人に負い目を感じることもない。彼らにとって一日一日を生き抜くために必要なのは、直接体験に基づく自身の「力」だけである。(p.38)
「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)