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2018-09-13

シンシアも及ばず?

久田将義*1安室奈美恵の偉大さを"昭和時代に移住"した『東京沖縄人』がかく語りき」http://tablo.jp/culture/idol/news003741.html


安室奈美恵引退はもうカウント・ダウンの段階なんだ。

さて、

翁長沖縄県知事が亡くなった時、安室奈美恵が「沖縄の為の尽力して頂いた」旨の追悼文を出したところ*2、ネットでは「安室は反日」とか「在日」という書き込みが散見されました。この辺りは、カルトのような考え方で愚かだなと思います。

 逆に見ると、安室奈美恵の影響力の大きさを知らしめた感があります。

 そして、東京在住の「沖縄人」(とあえて呼称します)にとっても安室奈美恵、の影響力は大変大きかったのです。

 特に昭和世代の人にとって。

そんなことがあったのね。熱湯浴というのは今上天皇を「反日左翼」扱いするような人たちなので*3安室奈美恵を「反日」扱いしても、今更驚かない。

記事の続き;

僕の元上司は親御さんが沖縄出身で、東京足立区に移住していました。今でこそ沖縄と言うと、芸能人、スポーツ選手など綺羅星のごときで、沖縄差別など考えられません。しかし、昭和30年代にはあったと言います。

 足立区の某所では沖縄集落のような場所があったようで、元上司はそこに住んいでいました。名前も沖縄で最も多い名前という事もあり、からかわれていたそうです。

「じゃ、具志堅用高がボクシング世界チャンピオンになった時に沖縄のイメージが上昇したんですか」と言いました。すると、苦笑いしながら、

「逆だよ。からかわれたよ。『ちょっちゅねー』って言ってみろとかね」との事でした。

「えー。じゃあ、いつ頃ですか。沖縄出身と堂々と言えるようになったのは」


安室奈美恵が出てからだよね」


 即答でした。

具志堅用高とほぼ同時期に喜納昌吉の名前もヤマトで知られ始めた。その頃、沖縄には〈日本のジョン・ロード〉とも言われたジョージ紫率いる紫がいたので、俺にとって、1970年代後半の沖縄というのは何よりも〈ハード・ロックの聖地〉みたいな感じだったよ。それはともかくとして、具志堅用高以前に時計を巻き戻してみると、南沙織がいたのでは? アイドルであるとともに、吉田拓郎泉谷しげるといったミュージシャン、また大岡昇平のような知識人が惚れ込んた南沙織。また、1970年代には、彼女に肖って、自分の娘に「沙織」と命名する親も少なくなかった(Cf. 永井良和南沙織がいたころ』)*4。それでも、「沖縄」のイメージにはあまり影響を与えなかったのか。少なくとも東京都足立区においては。

南沙織がいたころ (朝日新書)

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