メモ2

 うーん…。届いた栗羊羹のお礼、問い合わせへの返事、何でもない電話、楽しいメールへの返事、集まりの幹事みたいな役…。ウワーいっぱいいっぱいだYO。電話機からメールを送るのも文面を考えてしまうし、電話をするのも久しぶりだと身構えてしまって(かけた後はたいていすごく話も弾むんだけど)。私に夜は短すぎる。
 それでなぜか今矢継ぎ早にここを更新しているあほです、みなさんこんばんは!早く充電よ終われ!

相手を大切に思うときほど、返事をするまでに時間がかかります。時間をたっぷりかけて言葉を選ぶから。

 というのは結城浩さんの言葉だったと思う(結城浩さんのお名前はキーワードになっていそうだから、とりあえずリンクは省略)。

 メモ

 推敲もほぼせずに、メモ。電話機を充電しながら、ゴドーを待ちながら。要・連絡事項多すぎ…。あと取り上げたい話題やページ多すぎ…。

  • おすましエプロン(id:furamubon:20040811#1092218244) 「幸せ日記ランキング」って、たしかにアレ。おそらく「幸せぶりを競うランキング」ではなく「幸せな雰囲気の日記のアクセスランキング」だろうけど、それにしても…。いや、投票制だからやっぱり幸せぶりを競うのか。あと山田さん(id:furamubon)の「ハッピーマウンテンです」にウケました。
  • その山田さんのでいうと、* memo *

なんとなく自分の心の琴線に触れた言葉メモ
ヨガる。

にも。さっき千葉麗子がまさにヨガっていた。ヨガをしてひとり悦に入る、ひとりヨガり。口角が上がっているようで、あれは下がっているんですよね。

 近代文学は本当に「終わった」のか


 という新聞記事を見ての感想。というかまあ冗談。熊野大学特別セミナー「中上健次近代文学の終わり」の様子の簡単な紹介のような記事です。

 「グローバルなマーケットでは、『世界の中心で、愛を叫ぶ』みたいな癒し商品の論理しかない。大学の文学研究だって地域研究になってしまっている。制度としても、即物的にも文学は終わった」というのは浅田氏。しかし「『ハリー・ポッター』のような世界市場の商品は、ほっとけばいい。いばらずに、こつこつやればいい」と楽観的にも語るのだ。

 ここだけ最初に目に入ってきたとき、「浅田次郎さんスゴいこと言うな!」と驚きました。自分の作品を自分で虚仮(コケ)にしてるんだなあ、と。“泣かせの浅田”“癒しの浅田”が。

 冒頭に戻って見てみたら違いました。


 浅田彰さんだった。浅田次郎さんがそんなこと言うわけないか。。


 記事の内容自体には、なるほどなと思わされました。青山真司さんの言葉、

 「目をきらきらさせたアジアの少年を出してWASPを喜ばせるようなことはしない。グローバリぜージョンにさらされ続ける映画作家としては、必然的に、どう抵抗するかが生きがいです」

 「歴史の終焉」が言われる今、文学が「終わった」と言われるのもある意味で正しい。ただ、津島佑子さんが60年代後半に文学を志したころ、そのころすでに、文学なんて古いとわかっていた。でも、開き直って小説に向かったとおっしゃる姿勢を、個人的には好ましく感じる。


 …私は浅田彰中上健次津島佑子も、本人の著作はほとんど読んでいないのでその辺の話題は期待しないでください。青山真司に至ってはどういう活動をなさっているのかも存じ上げていない始末。

 くらたまの党首論

 下の文章を編集する前にちょっと書きますね。

 『喫茶店で2時間持たない男とはつきあうな!』との共著がある、とのプロフィールを目に入れつつ、くらたま倉田真由美さん)の「私の党首論」という記事を読みました。

 党首論の内容はまあおいておくとして、「喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!」うーん。会話って一人でするもんじゃないからなあ。女の側も2時間、間をもたせられなかった、ってことじゃないの?飲み屋で6時間もったことのある私としてはそう言いたい。(私にとってそういう対象ではなかったのでそういう雰囲気はうまくやり過ごしながら、楽しく5時半から11時半まですごし、割り勘で払ってバイバイしましたヨ。よく店もあんなに長居させてくれたもんだ。)

 でも本のレビュー(ISBN:4083330260)を読んだら、
熟年になってから相性の悪い夫と暮らす悲劇を生まないためにはどうしたらよいか? お酒を飲んで「お持ち帰り」。そんな「だめんず」から抜け出す方法は? 途上恋愛を成功に導く、相性見極めのための24のメソッド。
とあったので、そんなにおかしな内容ではなさそうですが。

 熱中、路チュー、セカチュー、ピカチュー


 「熱中時代」は水谷豊主演でした。間違えた。


 熱中するものなんてあるわけないよ、という虚無主義は絶望にのみ至る道。
 なんでもそれぞれ好きなものに熱中していればいい、個性が大事、という極端な(ここ強調しときます)価値相対主義も同じ。そしてこれが今の世の中であまりにも一般的なものの見方。
 実際問題として「口を出すのが賢くない」からといって、理念として「どんなに愚かなことをしていても放っておくべきだ」とはならない。ザインとゾルレンを無邪気に同一視してはいけない。
 何がいいか悪いかなんて判断するものではない、という反論こそまさに価値相対主義にとらわれた考え方。


 たとえば殺人は悪い、これは一応の共通認識。強盗もそう。
また、真摯な同意があっても同意殺人罪(または承諾殺人罪)。既にこのへんから異論がありそうだが、一応日本の法律、つまり社会規範としてはそう。
 ではやくざの指詰めは?これは指を切られる人の同意があっても傷害罪とされる。
 覚醒剤の自己使用は?これも犯罪。一時的な本人の快感というメリットを考慮しても、本人や他の人にとってあまりにも多くのデメリットがありすぎるから。

 こうして積み上げていくと、判断の難易度は別としても、物事についての客観的な善悪は存在すると実感できる。


 もはや常識とすらなってしまっている<いきすぎた個人主義>には徹底して反対します。
 そして同時に、同じ時代背景の下で<いきすぎた個人主義>へのアンチテーゼとして増長している、権威主義やカリスマを中心とした全体主義にもやはり、断固として反対します。

 ドイツで変態とネオナチが互いに排除し合いながらどちらも勢力を伸ばしつつあるのと似ているな。
そしてその背景には、経済や政治における挫折と、もはや右肩上がりの成長が(国としても家庭としても個人としても)見込めないことへの深いあきらめがある。


 一時的な快感に埋没したり(セックスやアルコール、ドラッグ、あるいは例えば衝動的な買い物による達成感)、内的世界に逃避したり(ヨガなどの大部分にその危険が大きいことはオウムの例でも明らか)。逆に集団に埋没したり(ネオナチ、民兵など。また一般に問題視されていない例としてはスポーツチームのファン集団など)。

 成熟し独立した<個>であることは、この世相ではひどく難しい。しかし自由とはたいへんにすがすがしく、心地よく、そして長持ちする在りかただ。

 あつい


 あつい。


 みんなこの暑さが当り前だと思い始めてない?マインドコントローリンギングされてなーい?
そろそろ新しい形容の方法を考えようよ。

バヌアツ
暑い日が続きすぎること。国の名前とはとくに関係がない。
ニクアツ
(脂肪などで)外と断熱された中で暑い。いわばサウナ状態
熱中時代
森田健作風 (※ドラマの主演は水谷豊でした)

番外編

厚木基地
クーラーが効きすぎた部屋にいる人々のさま。(もっと寒いと昭和基地