ラベリングによってラベリングがさらに有効になっていく
私がこのあたりの言語体系を持ち合わせていないこともあり、歴史的経緯なども含め参考になりました。私の過去の記事だと、[Web][雑記] 左近の心情は左翼に近いだよや[雑記] ハテハテフフーといったテーマを考える上で。(逆に私の記事がjounoさんの記事の参考になるということはないと思います)
以下、メモ。要約ともなく思いつきともなく。
「左」「右」と呼ばれる内実にはそれぞれ多様な主義・スタンスが存在すること、立場の多様性の可能性の広がり。シニフィアンとシニフィエの乖離、というよりも認識のされ方という関係性の問題。マップの変化とマッピングの変化(のなさ)。なんか少しでも極端に見える立場はテロリストと同じカテゴリーにくくりだして同質なものだけが残されるという過程が進行してるんじゃないだろうか。
これはあるいは「テロリスト&ブッシュ政権」という単一のカテゴリー。「リベラル」な中道派の弱体化と社会の右傾化の論理的関係はどうだろう。原因・結果か、別の同一の(おそらく複数の)要因によるものか。知識人という有限のパイの取り合いもか(ヨンフルエンザによる氷川きよしブーム減速に似て)。
にもかかわらず、現在でも政治勢力の分類として左右というくくりは有効(なように見える)。これは分類される側の固定したセルフイメージがあって、ただそれは無意識的なものかもしれない。あるいはより高い可能性への知的挑戦を停止しているという怠慢かもしれない。もっといえば政治勢力とは知性や思想ではなく母集団の別のものを反映する鏡。母集団とは広くは世界、狭くは全国内居住者、さらに狭く有権者団、支持母体、その幹部。
読書予定メモ『カルト資本主義』
mutronixさん経由で知る(備忘)
- 作者: 斎藤貴男
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2000/06
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内容(「BOOK」データベースより)
バブル崩壊以降の90年代、日本の企業社会は、寄り添うようにオカルティズムに傾斜していった。ソニーの中にあった「超能力」研究所。エネルギー保存則によってその存在を否定されたはずの「永久機関」に投資する商社。科学技術庁のオカルト研究会。一見バラバラに見えるこれらの現象はその深層海流でつながっていた。
たぶん知っているような話の深刻さに驚く、って感じだろうな。
「出版社/著者からの内容紹介」は引用しません、他にもたくさん大企業の固有名詞が出てくるので。はてなダイアリーって検索に引っかかりやすいし。ガクガクブルブル
ラ○ロと金持ちの話。どう発言しどう行動するかは別の話、ただし無関心は罪。(こういうのはメモだから一見さんは気にすんな)
あと昨日の記事でハウルの動く城を「観ないかもな……」と書いたのは、別にけなしてるんじゃありません。時間の都合などで結果的に観ないことになるかもな、って程度の意味です。