ダルフールと私の関わり、その後


 スーダン・ダルフール危機情報wiki - 関心を持つ日本人ブロガー・リストから、ときどきアクセスがある。そのたびにぼんやりとあれこれ思う。


 私は関心を持っているだけで、何もしていない。


 最初の頃はこの件に関する自分の感覚や心情をぶざまに書き連ね、失笑もかっていた。(あ、何もしていないと書いたけど、何か要約はしたな。何の要約をしたかも忘れた。確認した。wikipediawikiによって閲覧者が自由に編集する百科事典)内のダルフール紛争の項を要約したものだ。これ。)


 最近はそういうものもあまり書かなくなった。ときおり書いても夏のひこうき雲 - スーダン・ダルフール危機に関する記事の一覧に追加はしていない。Save Darfur.org :: Wristbandsも購入していない。浮雲で関連記事をクリップしている程度だ。

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 だが、関心は持ち続けている。私などが「関心を持つ日本人ブロガー・リスト」のはじめの方に名前を連ねているなんてまったく馬鹿みたいだし、偽善とか思い上がりなどと言われてまあその通りだなと思う。アクセスがある度にじわじわと自嘲の思いが募る一方だが、「関心を持っている」というのは間違っていない。で、リストから自分のブログは消していない。


 きのう夜更けに、ダルフールの難民は今どのように過ごしているだろうとふと思った。寝ずの番をしているかもしれないし、殺されている最中かもしれないし、強姦されている最中かもしれない。もちろんぐっすりと眠っている人もいるだろう。そんなことをふと思った。


 別にそのことで何かを匂わせたいわけではない。かつてのように何か義憤で人に訴えたいわけでもない。

 ただ、自分が彼ら・彼女らに対してほぼ何もできていないし、してきていないという事実はきちんと認識しておきたいと思っている。そのことの意味づけはその先の話で、たぶんここで書くようなことではないのだろう。よくわからない。よくわからないのでこのような記事も滅多に書かなくなった。