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 はじめに

2005/12/31(土)

ごあいさつ


 今年は個人的にネット内外で大きな転機を迎えた年でした。

 バトンなどまだ更新できないままの記事も抱えて年を越します。来年はもう少し気軽にあれこれ更新していけたらと考えています。

 ここを読んでくださっている方たち、読んでくださった方たちに感謝します。

 どうか来年が皆様にとっても良い年となりますように。では、また来年!

syukusyuku 2006/01/01 20:09 あけましておめでとうございます。
左近ちゃん、今日はアナタの仮誕生日ですよ、おめでとー。

summercontrailsummercontrail 2006/01/01 20:15 祝さん、あけましておめでとうございます!祝さんとこにごあいさつ書きに行こうと思ってたら先手を打たれた(笑)
 そうだ、仮誕生日なんてものをむかーし作っていたのでした。ありがとー。

2005/12/28(水)

「ウッソォ〜」「ホントォ〜?」「かわい〜ぃ♪」


好むと好まざるとにかかわらず - 「本当のような嘘の話」と「嘘のような本当の話」 〜その2〜

 にコメントとして書き込もうとしたら長くなったので、コメント欄ではなく自分のブログの記事として書くことにして、更に少しだけ加筆しました。ただのうなずき系エントリなので、別にご本人が部分部分すべてに反応してくださらなくても大丈夫です。


 別のエントリで書かれてた通り「catfrog 某本」でぐぐって読んでいて、このエントリ発見しました。

 最近ときどき昔のエントリとかさかのぼって読ませていただいてて思うんですけど、意外とcatfrogさん素直に(も)書かれてますよね。ポッ♪*1 *2

ブログについてもう少し書くと、「全てはネタですから!」という態度って自衛策としては有りだとは思うけど、説得力というか洗脳力というか詭弁力を損なうデメリットがある。

「本当のような嘘の話」と「嘘のような本当の話」 〜その2〜

 さすがcatfrogさん。そうなんですよね。前に某田アミさんとこに(先に書き込んだ他の人たち宛てに)書いた自分のコメントを思い出しました。以下、一部(他の方の名前とか)削って載せちゃいますね。

「洗脳」や「詭弁」といった逃げ道としての過剰かつキャッチーな表現の多用による表現のインフレ化は、オオカミ少年的な言葉の意味の希薄化と、真に危険な本来的意味の洗脳や詭弁を覆い隠す重大な副作用を持つことに留意しましょう。

 手斧は使いすぎるとすぐに刃が鈍くなるし、軍拡競争は避けたい。手斧自体より手斧を用いる体技を鍛えようぜ!

 補足しますけど、多くの興味を引こうとするとどんどん性と暴力の方向に先鋭化してきますよね。あるいは「泣けるホニャララ」とか。つまり暴力的で泣けるセックス、これ最強。あとは無数の変奏曲。そういう生身の体の感じがすごく求められてるというか。話それるけど、マーケティングとかそういうのに対して半ば絶望してるのもその辺です。(そういうの好きな人のことばかにしちゃってるみたいで愚民なさい♪ でも上の括りにあてはまる作品のことを一概に否定してる訳じゃないし、むしろ好きな作品もあるので)

読み手の立ち位置によってどっちとも取れるような、かつこちらが意図する内容の伝達がなされるような書き方ってのがあるんじゃないかと

「本当のような嘘の話」と「嘘のような本当の話」 〜その2〜

 ホントそうですよね。と書きながら私は

もし二重の意味の表現を操るアクロバットを楽しみたいのなら、 「正しい知識」と「励まし」を同時に相手に伝えるような方向に努力をしよう。 少ない言葉だけでも相手を本当の意味で喜ばせ、励まし、力づけ、なぐさめる。 そんな言葉を生み出せるように知恵を使おう

皮肉について

 を勝手に念頭に置いているわけですけど。

 乙武さんの2ちゃんねるとの向き合い方も、昔読んですごく共感しました。

 で、以下ちょっとスタンス違うかもですが、

これらは釣りなんです、ネタなんです、という逃げ口上のさらにひとつ上のテクニックとして是非身につけたいと思って日々練習中

「本当のような嘘の話」と「嘘のような本当の話」 〜その2〜

 というのは、ごく率直にアホっぽく言えば私の場合は、テクニックではなく赤心からシンプルに真情を伝えたいみたいな感覚があるので、テクニックとかレトリックの話にしてその霧の向こうに深く隠れてしまうのは違和感があるわけですよ。とわざわざ書くこと自体私が「一部の人」(松永さん命名語)からひどく嫌われる部分とはわかっているわけですが。

 ただ、そういうテクニックの問題として矮小化しないとあまりに重く受け止められてしまうという問題は存在するし、そういった問題意識からおちゃらけて書くのが結局は現状の空気ではベターな解ということも理解できます。だから非難の意図はありません。(……さあ、野暮天パワーにどんどん拍車がかかってきたよ!)

これをブログに置き換えると自分のブログでの積み重ね(もしくはブログ作者)と個別エントリの関係になる。

「本当のような嘘の話」と「嘘のような本当の話」 〜その2〜

 おっしゃることわかるように思います。私の場合には、「くそまじめで融通が利かず空気読めない、デリカシーのないお節介おばさん(ときどきヒステリー)」みたいなキャラクター(どの表現も読者の方からそれぞれ直接間接に言われたことあります、あはは)を確立することで、発する言葉の内容をできるだけシンプルにそのまま受け取ってもらえるように場を整えてきたつもり。catfrogさんの場合はcatfrogさん的なキャラクターを練って来られたのだろうなと思います。私の場合には一言一言が(実際よりも)重く響いてしまいがちなキャラクターなのに対して、catfrogさんの場合には、フェイクや観測気球や過剰な暗喩などのユーモアに紛れさせて内容を軽く(楽しく)見せる傾向があるというような。また野暮なことを書いてしまった……(五エ門風に)。

 でもブログ時代にはエントリ単位でしか読まれないことも多いので、そのあたりが誤読というか意図を誤解されることもままあってそれが難しいところ。

 で、一度失ったアレはなかなか戻らない*のもやっぱりおっしゃる通り(まあ私の場合はネット外であれこれ忙しかったのもあって)。

 えっと、どうやって話を締めくくればいいのかな……あ、思い出した、アレを失っちゃったんで更新自体がまれなのに、週一とかで言及なんて無理ですって(一度ちょっかい出してもらったときのネタを引っ張る抜群の粘着力!)

*1:堪忍袋が破裂した音

*2:堪忍袋とかいうのは意味不明にするための唐突な表現で他意はありません

2005/12/21(水)

料理?日記を更新しました


 四万十川料理学園 - 左近の「サッとクッ近」 - 栄養たっぷりっぽいのにやばいお粥の話という記事をアップしました。


 四万十川料理学園 - 左近の「サッとクッ近」の更新はほぼ3ヶ月ぶりだというのに、その辺の情けなさには触れずに別の情けなさについて渾身の筆で書ききっているあたりがたいへん好ましい一品となっております。

 実際には渾身の筆などとはまったく言えない中途半端ぶりがさらに情けなくさらに好ましい魅力的な記事といえます。

 実際にはもちろん、別にそれほど好ましいなどとは言えない……(以下略)

2005/12/19(月)

「日記と感想」から/そのほか


 日記と感想というページをしばらく前から読ませていただいている。一級建築士でもう60歳を過ぎた方の日記だが、例の建築偽装の問題が話題になる前にたまたま発見して以来、パソコンを開く日にはなんとなくページを開いている。教えられるところが多い。無教会派のクリスチャンでいらっしゃるので、クリスチャンでない方が読まれるとときどきの厳しい言葉につまずかれるもしれないが、私には含蓄を持って響く。

 今回以下のくだりを読んでクリップしようと思ったが、はてなブックマークには登録しづらいページ構成ということもあり、ここに引用させていただく。今年12月19日の欄。

●私は○○先生と親しいということで、自分も偉くなったような気持ちになるのは錯覚である●本物は強いて「宣伝」しなくても自然に広まるものだ。●あの太宰治は「日本で、最も信頼できる神学者は塚本虎二氏」という文章があるそうだ。また山本七平が最も尊敬する人物は塚本虎二で、その理由はこの人の言う事はまったく信用できる」という。●「木はその実によって知らるる」。実が木を証明する。

*

 塚本虎二には以前から興味を抱いていて、じつはたしかこの日記と感想を発見したのも検索「塚本虎二」経由だったと記憶している。確認するとこれ、苦難と神の愛 塚本虎二

 そうした塚本虎二への関心が上の引用箇所で、私の中のいろんな文脈とつながった感じ。なるほどと思った、というのはやや不正確で、出会いというのはこういう事かと思った。

 同時に自分の不勉強を大いに叱責されたようにも感じた。叱責はふさわしい人が行う場合には激励という意味しかないし、この場合まあしれっと書いちゃうけど神さまからの叱責と受け止めたので、喜んで塚本虎二訳などにトライしてみるつもりでいる。ある意味期が満ちたような気もしている。


 話が飛ぶけど、そしてご迷惑かもしれないけど、太宰治の名を目にして今回も真っ先に思い出すのはドロ氏ーのこと。ドロ氏ーにはイメージバトンを回すつもりでいたのに、しばらく前からプライベートモードになってしまって残念。もちろんはてなダイアリーなど書くも書かぬもご自由に気軽になされるのがよいと思うのだけど、読み手の私としては読めなくなって単純に残念に思う。ただもちろんはてなダイアリーなど書くも書かぬもご自由に気軽になされるのがよいと思う。

 あと、ついでで書いてしまうけど、ブログ閉鎖だとかプライベートモード化だとかそういう変遷をここ数ヶ月だけでも多く目にしている。そうした出来事に触れ続けてきた結果、残念に思う気持ちや悲しむ気持ちがやや摩滅してきてしまった、というか、それぞれのかたの理由はわからないので私が何か感情を動かされるのもご本人には迷惑な話かもしれない、という風に思うようになった。そんな風に変化したことがすなわち摩滅したということかもしれない。

 ただ、なんというか一期一会だなと改めて深く思う。一期一会というのは、教訓でもなければ仏教プロパーの思考様式でもない、人に常に愛を持って接することのできる一つの自然なヒントじゃないかとも今思った。

 あんまり愛とかいう柄でもないし、私がネットで「愛」とかいう柄だとすればそれこそちょっと反省すべき事だけれど、もうすぐクリスマスということもあるので、今月中は少し愛などとネットで口走る濃度があがる予定です。

2005/12/08(木)

詩というマーケット


 今日朝日新聞をちょっと読んでいたら、韓国の現代詩についての記事があった。なんでもあちらでは詩集がよく売れているらしい。日本は世界的に見ても詩がまるで売れない国だそうだ(このあたり記憶に頼って書いているので表現は少し違ったかもしれない)。

 たしか10年ぐらい前からなんとなく思っているのだけど、昔はともかくとして、現代では歌・音楽が詩の役割を担っているのだろうと思う。詩の役割といま書いたけれど、1分ほどでラフに定義してみるとすればたとえば「字面の意味を示すだけにとどまらず、含蓄や情感を持って直接響き、受け手に何かしらの余韻を残す言葉の連なり」といえるかもしれない。現代、言葉によって多感な若者に大きな影響を与えているのは、あるいは多感な若者がメッセージを求めるのは、乱暴に言えばいわゆる(もっとも広い意味で)J-POPといわれるもの。

 歌・音楽は強い。音が感覚に直接訴求する。演奏されるサウンドはそれ自体の「かっこよさ」とともに、言葉のまさにBGMとしても良く機能する。

 あと、漫画。漫画も強い。絵という空間的広がりを提示しやすい表現方法と渾然一体となり、物語の中で、しばしば登場人物の台詞として、あるいはト書きとして提示されるフレーズ。

 いまなんとなく思ったけど、歌も漫画も、表現手段として表現者側が今日の日本で選ぶことの多いものだということもあるかもしれない。と書いてみると稚拙な表現だけど、内側から絞り出すようにしてやむにやまれず生みだす、しかもそれを自分は生業にしていくのだという信念を持つのはその2つが主になっている印象はある。

 ゲームというのも大きな舞台なんだろうし、これからはますますその存在と影響力は大きくなっていくのだろうけれど、詩が占めていた地位・役割に取って代わったプレイヤーとしては理解しづらいし、あまり私は知らない。


 もちろん詩は詩で、日本でも著名でよく売れる詩人として谷川俊太郎とか茨木のり子などが記事には例に挙がっていた。他には銀色夏生も思い浮かぶ。ただ、失礼かもしれないけど、マーケットとしてはかなりニッチな感じはある(内容がどうこうということではなくて)。


 歌・音楽は、ある意味で芸能として完成された分野というか、消費者のリサーチに基づいた商品開発が行き着くところまで来たという感じなのであまり個人的には受け手として期待できないかなと思う。もちろん個々に見れば優れた作品、誠実な「アーティスト」はたくさんいるけど、業界としての雰囲気が好きになれない。結果としてメッセージソング的なものは最近あまり聴いていない。

 漫画は、歴史を経て既によく練られたメディアだと思うけど、と私がどうこう言うのもおこがましいほど懐が深い表現手段だが、性と暴力に偏った作品が多いのであまりその玉石混淆の中から積極的に発掘する気になれない。というのはまあ単なるわがままなのはわかっているんですが。


 とぼんやり考えていてさっき思ったんだけど、今日ではというかたとえば平成に入ったぐらいからは、インターネットのいわゆる「ホームページ」こそが(かつての、と限定を付けなくてもいいかな)詩の役割を担っているのかも。

 どちらかといえばそのような「ホームページ」は女性が作成・運営する割合が多いと思うけど、そもそも詩に親和性が高いのは女性だからそれも別に不自然ではない。

 ここでいう「ホームページ」についての説明は面倒なので省く。ブログは?と考えてみたけど、ブログはまたちょっと違うというか、新たな困難を抱えたツールだと思う。コミュニケーションのハードルが低すぎて、日常との断絶が足りない。話し言葉に流されやすすぎる。というのは詩との相性でいえば、という話だけど、そもそも書き言葉には書き言葉なりの持ち味とメリットがあるから、「コミュニケーションが容易すぎること」は詩との相性に限った話ではなくブログそのものの弱点といえるかもしれない。

 自分の内心の真情の吐露・自己のexpressionを真摯に/あるいは投げやりに行う上で、不特定多数の受け手との距離を適切に保つというのはほとんど必要条件とも言えそうだが、ブログは今までのメディアと違って、ややもすると距離が近くなりすぎるという面白い特性を持った存在だと思った。


 とはいえ元々ブログ論に入るつもりはあんまりなくて、ただ詩という表現手段の魅力を改めて考えてみたかった。

 ここでいう詩には、現代詩だけでなく広く俳句短歌などの定型詩、また叙情詩だけでなく叙事詩なども念頭にある。

syukusyuku 2005/12/13 16:58 アタシも普段は詩の良さとか分からん人間なんですが、精神的に弱ってる時だけ詩が心に沁みます。泣ける泣ける。
というか、そういう状況に置かれないと、詩の意味が理解できねえ(恥

summercontrailsummercontrail 2005/12/13 19:24 syukuさんこんばんは。他の国のことはあまりわかりませんが少なくとも日本ではセンチメンタルな詩、「泣ける」詩の割合が相当多いように感じてます。それ以外にもたとえば草野心平とか、もっとユーモラスだったり非情(←冷たいという意味でなく情緒を排したものという意味で)だったりものの見方がでんぐり返るような新鮮な詩というのもたくさんあるはずなんだけどね。〈世間では詩にはもっぱら情感や繊細さが求められているので、そうでない詩はあまり身近に触れる機会がない〉ということなんだろうな。
 もちろんそれだけでなく、精神的に弱ってる時には感性が研ぎ澄まされているということもあるんでしょうね。その意味では、そういう時って物事を味わうチャンスですよね。

2005/12/03(土)

東京にいないのに「東京どこ系?」やってみた


 今更「東京どこ系?」をやってみた。好むと好まざるにかかわらず)を読んで、リンクをクリックしてみたらなぜか「名なしさんは丸の内です!」と出たよ。


http://u-maker.com/170276r.html

丸の内系のあなたは、陽だまりあふれる公園のような人です。あなたがいるだけでその場が暖かい雰囲気になり、なごみムードが生まれるでしょう。穏やかで静かなのに、しっかりした存在感があります。あなたの微笑みに癒されている人はたくさんいるでしょう。微笑みの奥の別の顔を見てみたい、と関心を持つ人もいるはずですが、なかなか奥の顔は見せません。人をなごませ、楽しませればそれでいいと思うフトコロの大きさがあるからです。そのため、八方美人と受け取られるときもありますが、自分のすべてを見せることが、必ずしもいいことではありません。あなたが自然のままでいられるなら、その姿勢を貫いてください。

 まあそんな感じのこと言ってくれる人も何人かいる。よく知らないんですけど丸の内ってそういうイメージなの?


 で、名前とか入力して私もやってみた。

http://u-maker.com/170276r.html

左近さんは高円寺 です!


高円寺系のあなたは、楽天家のロマンチストです。見かけが温和でおっとりした感じなのでのんびり屋に見られがちですが、実はかなりの合理主義者。何事も手際よくテキパキこなす、しっかり者です。正義感も強いので、間違ったことや理不尽なことは黙って見過ごせません。また、何事も真剣に取り組む情熱や熱意も兼ね備えています。そんな強い意志を持つ反面、デリケートでロマンチストな一面も。大きな壁にぶつかったときは、クヨクヨしないよう心がけてください。本来の楽天家気質を発揮していれば、必ずや乗り越えることができ、さらに一回り成長できるはずです。直感力にも優れているので、芸術分野などで才能を遺憾なく発揮するでしょう。

 高円寺って街はそういうイメージなんですかねえ。知らんかった。

 これもまあそんな感じのこと言ってくれる人も何人かいる(まったく同じ台詞を棒読みで。いやでもほんと)。


 この手の「占い」って言い回しに工夫して誰にでもあてはまるような書き方してるんでしょうけど、「当たってる!」と思わせる技術の水準が高いなあ。catfrogさんの結果は言い得て妙だし。

 全体的にほめ上手だなあと思った「占い」でした東京どこ系。東京にいないのにやってみた。

 あと今気づいたんですけど、これって東京のどこと表示される場合でもアドレスは同じhttp://u-maker.com/170276r.htmlなんですね。

catfrogcatfrog 2005/12/04 01:19 ども、うんこです。っていうか俺って本当にリンク切れとか全然チェックしない人間だなあと我ながら感動しました!あと、この占いの結果は上手いよね、コールド何とか、じゃないけどさ。ただ、高円寺と丸の内は俺に全然当てはまらないけど、池袋には人がどう思うかと考えて笑ったですw

summercontrailsummercontrail 2005/12/04 16:40 うんこさん、お米ども(なんちって)。今回トラックバックしなかったのはわざとじゃなくて、なんか?Dの挙動が。そうそうナントカリーディング風味ですよね、そのこと記事で書こうかと思ったけど省いときました。高円寺の方はそう見られがちなだけで、自分ではもっとちゃらんぽらんだと確信!してるんだけどね。池袋、読んでて(catfrogさんには当たってないな)と思う部分探しになってました。