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 はじめに

2007/04/30(月)

J.クリシュナムルティ『クリシュナムルティの教育・人生論』、関連してデズモンド・ツツ『ゴッド・ハズ・ア・ドリーム』


 これを読んだのは1週間ほど前だったかな。

 この分野に関心のある人が読んで満足されるようなレビューにはならないと思うので、とあらかじめお断りしておくので、どうかお怒りにならないでください。子供達を責めないで

Mon‐Jah

Mon‐Jah

 とまあ偉そうでもないレビューになるということをお知らせしたところでざっと、自分でも忘れた頃にそれでも残っている読後感を書きとめておきたいのだけど、読む前に予想していたよりもけっこう過激な書でしたね。およそ結婚制度や性というものを、否定といったら違うのだろうけどそれでも否定しているといっていいと思う。たぶん超越しているというような表現にとどめた方が座りはいいんだろうけど。

 問答も悪く言えばはぐらかしているというかそういう面は否めない。ロジカルな在り方に対する懸念みたいなものも、ロジックは一つの思考の(感情からの)防波堤と考えている私にとってはちょっとどうかと思う、まあちょっとなんだけど。


 それでもある種の新鮮な発想は受け取った気はします。


 自分を崇拝するなと言っていることからさらに彼に対して尊崇の念を抱く、というような方々からは遠いところにいる私ですが、まあそんな感じでした。いったん教団を形成してからそれを解散してるのね、たしか。面倒なので確認しませんがそんな感じの経緯の方です。

 とくにお勧めはしません。

 あの、今連想したのはデズモンド・ツツ主教の『ゴッド・ハズ・ア・ドリーム』。

 この『ゴッド・ハズ・ア・ドリーム』、(キリスト教の)神と人間の関係についてのとらえ方はそれほど一般的な理解でもないとは思うんだけど(かといって異端というわけでもなさそう)、このムニ〜ってヤバイ笑顔のおっさんの本の方が、ユーモラスで力強く、ためになるとは思った。これは普通にお勧めです。ムニ〜って。


 もちろん現在の私の感覚でのことなので誤っているかもしれないけど、まあそういう感覚を抱いているということだけ、今8分ほどで風呂上がりにブログっておきました。


 湯冷めする前にこの辺で謹んでばいならさせていただきます。

2007/04/21(土)

山本七平『山本七平の日本の歴史』(上巻)


 なんか自分の中の怒りというか悲しみというかそれをもてあましている。これが夜なら自制して寝ようとするのだけど、さわやかな朝なのでそういうバイアスはかかっていないという自由さのもとに、でも全然違う話題を書くことで圧を逃がしたい。イメージとしては宮沢章夫の感じで。


 昨日『山本七平の日本の歴史』の上巻を読み終わった。

山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)

山本七平の日本の歴史〈上〉 (B選書)

 初めの方で夏目漱石の『こころ』が出てきたのがあまり意味が分からず、その解釈についてもアクロバティックな論理の運びというか説明が理解しづらく少し困難を感じた。

  •  あら素敵今日のあなたのパンタロン 左近

 だが後半で「なるほどそうつながるのか」と巧い推理小説を読んだような爽快感を味わい、同時にそのつながりをはっきり書かれるまで理解できず、〈書き手の感性が走ってあまりロジカルでない文章〉という感触を感じていた自分の読み手としての姿勢を、ちょっと反省した。

  •  やや混んだ電車で光る思いやり 左近

 はてなブックマーク - こころ世代のテンノーゲーム - 優生からの物体Yに、

神皇正統記』についての本をちょうどさっき読んでいたんだけど,『神皇正統記』自体はむしろ天皇制万歳右翼にとってはかなり都合の悪い書物なんですよね

*

 というコメントを書いたが、そういう点も、まだまだ不勉強な私にとっては新鮮で新しい視点を得た思いがした。

  • あくびが移るおかしさとあくびをかみ殺す 左近

 右翼だとかなんだとか的外れな批判を受けた痛みがユーモアとなって現れているような部分も、随所にあった。こういう箇所は山本七平の他の本にもあって、読むと、何かどこかの筋肉が萎縮してしまっているのを見るような「痛さ」を感じるが、私はそちら側の人間なので、自分のことのように同情と共感を覚える。

  • 晴れた朝土へと急ぐみみずさん 左近

 というわけで、書名に反して意外な収穫と読む楽しみを得られた本でした。


 今朝はここで時間切れとなりました。

2007/04/16(月)

ネットとの現時点でのつきあい方


 記事タイトル中の[はてな]というカテゴリー名は、元々「はてなダイアリーで書くことについて」みたいなメタな場合に付けていたもの。そのことを思い出してまたつけてみたものです。ここでのカテゴリ分類、あまりうまくいってないんですよね。はてなブックマークのは比較的機能してるんだけど。


 週末に懸念事項についてエントリ書こうと思っても、そこまで行かないで終わってしまう。これはなんだべかと考えてみると、

  • インプットが大量すぎてアウトプットの時間がとれていない。
  • もともとネットで書くことについての優先順位を今下げている状況。
  • 関係者への配慮と、その配慮が侮蔑にあたるかもしれないという懸念の間での行ったり来たり。

 といったところが原因だと思える。とりあえず、それぞれの項目について

 という対策をとろうと思います。


 何度か書きましたが、『モモ』に出てくるベッポのようにというか、そういう頭で動いているのでとくにあせってはいないんですが。スタイルは別としても内容については、例えば30年後にはどうかという視点から吟味して書いているつもりなので。

2007/04/14(土)

今週のニューズウィーク日本版/キリスト教徒の信仰内容


 ニューズウィーク日本版、2007-4・18号(4/11発売)。

 特集(というのかな)は、「素朴なギモンで解く 国際情勢入門 THE WORLD IN 2007」だった。

 41頁に挙げられている見出し一覧には、国連トルコEU、ロシア、イギリス、フランス、米議会、ヒラリー、米外交、イラク、イラン、パレスチナアルカイダアフガニスタン、アフリカ、中南米、宇宙、北朝鮮、韓国、金正日、中国、台湾、インド、ミャンマーASEAN。よくもまあこれだけの内容をこれだけの紙数にまとめたもんだということもさることながら、日本の従来型メディアだけに触れていると、上に挙げたトピック群のほとんど自体にあまり馴染みがない人もけっこういるのではないかと思う。あるいはあってももっぱら日本との関わりという面からだけだったりとか。

 ざっと読んでとくにこれまでの認識と比べて違和感もなく、また新鮮な知識や洞察にも触れることができた。文章もなんか洗練されているというか(とくに記事末尾のまとめ方とか)。


 という特集部分については、私はまあ何か論評するほどの知見を持っていなくて、雑誌中ほどに別閉じになっている特別付録、「キリスト教の基礎知識」。これがよかったのでこの記事を書く気になったんですよ。


 B6の大きさかな、このサイズでたった15ページ、目次を抜きにすれば14ページに、カトリック、プロテスタントだけでなく東方正教会まで目配りした内容。さすがにこれだけ凝縮されているだけあって、三位一体のことを(前略)3つで1つというものだ。というのはちょっと乱暴だなとか、十字架について必ずしも処刑をイメージさせるネガティブなものではないというのはちょっと語弊があるとか、そういうきずはいくつかあるけれど、そのあたりはまあ凝縮しまくっているんだなという頭で読んでもらえばだいたいのところはわかると思う。

 というわけで、キリスト教にちょっと関心があるけどよくわからんなという人は、この特別付録目当てにニューズウィークを買うとけっこうお得感がありそうですよ。


 というだけではあまり芸がないので、私なりに少し特別付録の内容を補足すると。

特別付録p4から

信仰の基本は、人間は生まれながらに罪を背負っているが、神(=イエス・キリスト)を信じることによって、誰でも救われるということだ。また信仰者は、神を愛し、隣人を愛し、敵をも愛さなければならないとされる。

 表現にもよるし間違いではないんだけど、これを信仰の基本といってしまうのは、ちょっと違うかなというか大きな誤解を招く余地がけっこうある気がする。


 私の理解では、

 人間は生まれながらに罪を背負っているだけでなく、自分の弱さによって、あるいは誘惑によって、罪をおかす。何度もおかす。神との契約を裏切る。にもかかわらず、神はそのひとりご(=イエス・キリスト)を犠牲≒契約の賠償金にすることによって、そういう愛によって、人間との契約をご破算にせず、しかも人間を契約の責任から救い出すという、ナイスなソリューションを選んでくださった。(ここでの人間というのは人類というよりも個人ですね。)

 そういう頓智の効いた、かつ愛情溢れた(なんせ自分を裏切ってる奴を助けるために自分を犠牲にするのだから)ことをしてくださった。

 だから、神を信じることによってというよりも、神(=イエス・キリスト)が既に救ってくださっている。

 しかしそのことを受け容れないということは非常に不幸だ、受け容れないということによって自らを裁いている、というような。

 なんつうか、信じるという立派な行いによって人間ゴウカクという認定をされるわけじゃないんですよね。その辺が誤解されがちだが。むしろ自分のダメさを自覚することによって、それを赦されていることがいかにありがたいかということがわかってくるという感じ。いやーホントあなたのおかげです!借金がこんなにあるのにナシってことにしてくれてありがとう!感謝感謝!もうなんでもいうこと聞きますよってに。って元々そんなんじゃ足りないぐらいだけど、だからこそほんと尊敬しあがめ奉ります。ははーっ……。他でもないあなた様のことしかもう尊敬できません。アーメン(←「まじで」という意味ね)!

 あとこれじゃあ自分のことを棚に上げて他人のことを責めるわけにゃーいかんわな、こんな自分が赦されてるのに。うおっなんかぶん殴られた。すげえ理不尽。でももうかたっぽのほっぺたもぶん殴っていいよ、ほれほれ。お前の悪意さえ別に気にならん。ていうか赦されてるって点では同じ立場じゃん、よう兄弟姉妹。お互いあんまり腹を立てずに、怒っても許し合って仲良くいこうぜ、だってそういう模範がいるんだから。できればあの人に顔向けできないようなことは今後はしたくないよな、まあ元々顔向けできるような立場じゃないのに赦してもらったんだけど。

 でもほんと自分ダメだな……もうやだな……ってそんなの自分が決めることじゃないか。っていうか自分が泣いてたら一緒に泣いてくれる、しかも代わりに命まで投げ出してくれた人がいた。名前はイエス、あの人。イエス様はキリストだ!えっ、キリストキリストうるさいって?あー、なんか「キリスト野郎」ってあだ名つけられちゃったよ。まあいいよ、それで。うん。キリスト野郎、英語でいうと「クリスチャン」。

 しっかしなあ、自分がだめなせいでイエス様っていうあんないい人を犠牲にしちゃったな。あんないい人だからだめな自分のために犠牲になってくれたんだな。でもある意味、自分がだめなせいであんな人と出会えて、しかもこんなお世話になったんじゃん。もうシンボルマークはそん時の死刑装置!十字架! あの方に悪いことしたなってことと、でも死んだのにそこから復活ってすげーっていつも思い出すために、もう十字架!こんなん忘れたらばちが当たるわ。あ、でもばちが当たらないために死んでくれたのか。じゃあばちは当たらないけど、こんな恩を忘れたら、自分が超愚かもんだな。超愚かもんだからあの人を犠牲にしちゃったんだけど、でもそのまんまじゃいたくないな。でも自分の駄目さを思い知らされるたびに、神さまのすごさを思い知らされるな。

 やっべーこんなこと言ってたら世間の反感買い始めた。そりゃあ自分に罪があるなんて思いたくないし、自分は偉いとか思いたいもんな。神さまに愛されてることに気づいてないから、実感がないから、神さまに頭下げるなんてしゃくにさわるんだろうな。いつか気づけばいいのに。でもなんか立派なことを言ってかっこつけてるとか勘違いされてるっぽい、逆なんだけど。え?自分も処刑される?まいったな、でもいいや。あの方のことを伝えて、それで殺されるほど反感買うなんてむしろお役に立てたってことじゃん。じゃああの方と同じ方法はあまりに畏れ多いんで、逆さでやってください、逆さ十字架で。

 すぐ上のが、キリスト教徒の基本的な思考様式といってまあ差し支えなさそう。まあ色々捨象しているし、いろんな理由で(三位一体の説明が難しいとか)正確さを放棄しているけど。


 少し話がずれるけど、よく祈る祈りは、「神さま、助けてください。このお祈りをイエス様のお名前を通しておささげします、アーメン」「神さま、ありがとうございます!このお祈りをイエス様のお名前を通しておささげします、アーメン」とか、そんなシンプルなもんです。「神さま、どうか○○さんを助けてください。(以下同文)」のときもある。

 会衆の前で、半ば他の人をも代表して祈るような場合はまた違うけど(ちゃんと何についてのことか言語化するし、他の人の祈りに心を合わせつつ。あと、もう少しセレモニー的要素が加わってくる)、ふだん目を閉じてだまって祈るときはこんなん。まさに祈るような思いで祈っちょるわけです。それで構わないと思う。

 もっとじっくり祈りたい時は、たとえば最近こういうことがあって嬉しかったですありがとうございますとか、このことで悩んでいますどうしたらいいか教えてくださいとか。

 一つのポイントは、自分が願っている通りにしてもらえるわけではないということ。たとえば子供がおやつを大量に欲しいといっても、その通りにしてもらうのが子供にとって良いわけではないのと同じように。

 祈りの心がけに、結城浩さんがもっと詳しく書いてくださっています。


 そんな感じです。ご参考になれば。

2007/04/09(月)

私の知的財産権の扱いについて


 最近、知的財産権の扱いに興味を持ったので、少しずつ知的財産法関連の本を読んだりしています。

 で、ふと思ったんですが、そういえば私も知的財産を持っているんですよ。それは


 眼鏡。


 キラリと光る、知的な財産です。

 これはまさしく、インテリジェント・デザイン*1


 なかなか更新の時間がとれないので、こんな記事でお茶を濁して今日は寝ます。

*1:あんまりまさしくない。

てけてけてけてけ 2007/04/10 22:37 小学生高学年くらいの、それはそれはイノセントそうな男女たちが
本当に幸福そうな天使のように愉快な唄っていたんですよ。

「???(たぶん実名)はチッテキー チッテキー チッテキー チッテ、キー!
 ???はチッテキー しょーがいしゃー」

ダメダメダメ!!! ダメだよッッッぉぉぉ!!!

てけてけてけてけ 2007/04/11 13:34 ↑ 「メリーさんの羊」のメロディに乗せてましたよ×

summercontrailsummercontrail 2007/04/11 23:57 てけてけさんこんばんは。最初ぱっと見て、チキチキマシーンかと(古い)。
 まじめにレスすると、分け隔てをしていないからこそ、違いをただの違いとして楽しむことができるのかも。ほんとは相手が健常者でただの悪口だったら問題ですが、子供の地域社会だと、曖昧な境界線上の子供もけっこういますよね。
 あと、白湯を飲んだら、「胃の銭湯」(「胃」に、あく銭湯)。

TekeTekeTekeTeke 2007/04/18 22:26 日本語が微妙におかしい…。

summercontrailsummercontrail 2007/04/21 00:35 あはは