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 はじめに

2007/09/28(金)

天声人語を今書いているかたは

 社説の文章を書いているかたと同じような気がする。社説の内容は合議により決まると以前(朝日新聞に)書かれていたが、独特のユーモアで締めるようなセンスが同じだと感じる。今日の天声人語がどうということではなくて、少なくとも一週間前ぐらいから感じていること。

 最近は社説はほとんど読んでいないので、今の社説はまた違うかもしれないが。

 最後にうまいことをいって他人を皮肉ってみせて終わる感じが好きになれない。しかもそのために無理な比喩を用いるので、物事の実態と乖離していることが多い。

 大学入試でああいう語り口の天声人語を使うのはやめてほしいなと思う。

 そういうところ以外でも、書きっぷりがなんだか感性が若いというか。読んでいて、ブログを読んでいる感覚に近いときがある。それは別にいいのだけど、あれこれ引用しすぎだったりとかすると、がっかりしてなんだか朝日をとるのをやめようかと思うときがある。朝日新聞を代表するコラムがそのクオリティでいいのだろうか、朝日新聞社は。

 私などが天声人語に文句をつけるのは僭越ということを承知で書くが、もっと淡々と書いたらいいと思う。毎日書かれるコラムに読者は練りに練ったような巧さなど期待していないし、無理に巧さを出そうとするとあざとくなる。

 目上とか目下とか気にせずフラットに書けるのがネットのいいところ。

2007/09/24(月)

匿名とか自分のエゴとか

 そういうことを書いているかたがいたので、これまでの自分の考えをいくつか拾ってまとめてみたくなった。

 話題は、自分の記事にリンクされる際、ブログ名や自分のハンドル(ネーム)がリンクとともに明示されるかどうかということ。(以前別の話題でそのかたと違う考えを書いたら、どうも気分を害されたようできつい当てつけに読める記事を書かれていたので、今回はリンクしません*1。)

 で、今回の話題について私の考えはというと、自分の記事にリンクする際には自分のブログ名やハンドルを付記してもらいたい、だなんてまったく考えたこともなかった。

 たとえば今年の2月に書いた記事、糸井重里『合コン・宴会芸大全』に載っていない、使える「ネタ」をご紹介します - 夏のひこうき雲から。

 この記事を見た皆さんが思い思いの場で試してご覧になることで、こうしたミームがのっぺりと広がっていき、私という存在が匿名性の海に埋没していくことを希望しています。

夏のひこうき雲 - 糸井重里『合コン・宴会芸大全』に載っていない、使える「ネタ」をご紹介します

 前からずっと、「本来とは違う意味でのオブジェクト指向」というような概念を提唱しかけてはそのことを忘れるんだけど、要するにそんな感じ。引用した記事は冗談について書いた冗談だけど、中身については大まじめでそう思っている。「こうしたミーム」の中身はそんなことじゃないけど。

 ある小さなこと、しかしとても大きなことの達成に寄与できたので、もう死んでも悔いはないけれど、命がある以上まだこの世で働けということなんだなと思って、その後も地道にあれこれ励みはじめてから1年と数ヶ月ぐらいです。

 関連性がわかりづらいとは思うけど、リフォーム詐欺対策としてステッカーのようなものはどうだろう - 夏のひこうき雲にかいたような考え。

 ただ、ゲーム理論というか囚人のジレンマ的に考えても、他人を踏み台にして何か利益を吸い取ろうとするプレーヤーはどんな社会においても必ず存在する。リフォーム業界がそういうグループとどの程度関係が深いのかよくわからないが、仮にリフォーム業界についてそういうリスクを防いだとしても他の種類の詐欺は必ず出てくるわけで、「現状よりも少し、そういう悲劇を減らす」という構造的な改善はまた別個になされるべきなのだろう。社会全体として減らすことがはたして可能かどうかは疑問に思う。(よくしらないけど、ベンサムのいう「最大多数の最大幸福」というようなものの総量は人為的に増やせないものなのかもしれないというような意味。まあこれは今の気分的な問題もあるんだろうし、大きく間違っていると現時点でも思う。)

 だとしても、できる範囲では、最大限に、何か対策ができればよいと思う。できる範囲では。

夏のひこうき雲 - リフォーム詐欺対策としてステッカーのようなものはどうだろう

 ……あまり話を広げずに、今回はそんなところで。

 こういう記事もおそれずにアップしていった方がなんだかいいような気がするので、アップ。

*1モヒカン族が言及先を明示しなくなるのはこういうプロセスなんでしょうね。

2007/09/17(月)

『「超」整理法・時間編』

 no titleに影響されて本棚から出して読み返しました。昨日だったかな。

続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法 (中公新書)

続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法 (中公新書)

 さらっと読めました。

 教授とタイピストの話とか、もう自分の中では出典さえ曖昧になっていたほど。ということはそれだけ自分の身になっているんだろうなあと。あと、以前読んだときにはたぶん思わなかったこととしては、かなり笑いを取りにくるなあ野口さんは。ただセンスというか文体が押しつけがましくないというか、テンションが高くないので嫌には全然ならなかった。

 この本の中でファックスの利点として書いてあることはだいたい今日では電子メールがその役割を果たしてくれるだろうと思う。あと、会議という風習のだめさについては、私は野口さんのように考える方だけど、実際には無駄な会議に耐えるということが(少なくとも日本の文化的風土の中では)一定の人格の担保と親近感醸成の手段としてかなりの役目を果たしてしまっているので、あまり若い人は読まない方がいいかもしれない(野口さんのような考えを真に受けてそのまま周囲に主張すると、組織のなかで孤立してしまうので)。ただ、そういう古い社会の習慣を変えていこうじゃないかという叫びには強く共感します。

 書き方というか論の進め方も、今風の癒し系とかでもないし、なんというかロジカルで一文一文が短くかつユーモアのあるこういう文体は好きなので、休日のちょっと空いた時間に読み返すのはいい経験でした。

書きたいことが

 どんどんたまっていって、でもなかなか書けないままに、それらが澱となって、しがらみとなり、まさに人生とはそういうもので、でもアトレーユに委ねることで……って『はてしない物語』を読んだ人にしかわからない話ですが。

 この文脈でいえばアトレーユとはイエス・キリストなんですよね。

 このことはまだ書いたことがなかったようなので書いておきました。

 そうそう、ミヒャエル・エンデといえば、『鏡のなかの鏡』は『鏡の中の鏡』と間違えて書いてしまうことが多いのでご注意ください。私も以前、ミヒャエル・エンデ『モモ』、ほか - 夏のひこうき雲を書いたときに、間違えて憶えていたことに気がつきました。

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)

 今は岩波現代文庫になっているんですね。私は80年代にでた単行本で持っています。

2007/09/12(水)

「真逆」という表現について、NHKのサイト内の解説ページを教えてもらった

 しばらく前に書いた「真逆」という表現について、はてなダイアリーキーワード解説が良かった - 夏のひこうき雲が意外に反響を呼んだようで、いくつか興味深い反応もはてなブックマークでいただきました。

 こんな疑問が書かれていました。

「ある程度定着してしまっているので、誤用とするのはおかしい」という考えかたは、もう定着しちゃったのでしょうか。組織的に新語を作り出して定着させれば「誤用じゃなくなる」ことになるけど、いいのかな。

はてなブックマーク - 夏のひこうき雲 - 「真逆」という表現について、はてなダイアリーキーワード解説が良かった

 同じようにちょっとユーモアを込めてお答えするとすれば、はい、数千年前に渡来人が定着した頃には定着しちゃったと思います。あるいは、たとえばいわゆる英語というものが成立したときには。

 表現というのはしょせん仲間内での符牒として通用すればそれで役目は果たしてしまうので、従来結びつかなかった語と語が結びつけられて使用されるようになったり、従来は使われなかった場合にも使われたりということが定着すると、それはもう私などが誤用だ誤用だと提灯をもって走ってみても無意味というか、日本語がそういう言語として再定義されてしまうのだと思います。

 たとえば:

  • 「おそらく」は以前は懸念されるという「悪い」意味でしか使われなかった

 私自身はどちらかといえばことばを規範的に運用している方だろうし、真逆という表現も個人的には面倒だし、使っている人の気を悪くしたくないので、ひっかかりながらも気にしないようにしているのですがなどと書いているように抵抗がある表現です。その自分の感覚に対して抑制的であろうとしたことと、実際にその表現を使っている方々への配慮の結果が、誤用とするのはおかしいのだろうけどという部分につながりました。

組織的に新語を作り出して定着させれば「誤用じゃなくなる」ことになるけど、いいのかな

はてなブックマーク - 夏のひこうき雲 - 「真逆」という表現について、はてなダイアリーキーワード解説が良かった

 べき論としては、恣意的に日本語を変化させるというのはその意図の内容によっては「いい」ことではないと私も思っています。ただ実態としては、組織的に新語を造り出して定着させ、新しい表現を作り出すという試みはもうずっとメディアを通じて行われている(たとえば流行語大賞の対象にもそういうものはあるし、広告代理店とか吉本とかその他……)とみています。

 こういうお話というのは個人的には楽しいのですが、更新予定の話題がたまっているので、あれこれ広げていったり本を読んだりすることがなかなかできなくて残念ではあります。


 それから、NHKの「気になることば」で取り上げられていたということを教えていただきました。

正反対を意味する言葉として使われていますが、辞書には載っていません。90年代後半にはテレビでお笑いタレントが使っていたようです。2002年には新聞記事にも登場し、最近では歌の歌詞にもなっている言葉です。

気になることば - ご存じですか?真逆

 へぇ〜です。どういう形でかわかりませんが、新聞にも登場したんですね。そのほか

「まぎゃく」という言葉を使うかどうか街頭でインタビューをしたところ、10代など若い層より、20代後半から30代の方々が使うことがあると回答してくれました

気になることば - ご存じですか?真逆

 など、いろいろ興味深いことが書いてありました。

 その続編の記事、

 も教えていただきました。

最近、タレントが使うようになっていますが、その背景には照明担当やカメラマンが使っていた「真逆」の影響があったのかもしれません

気になることば - 『真逆』のその後・・・

 とか、「真反対」という表現が地域によっては違和感なく使われているという話など、こちらも面白く読みました。タレントの影響力って大きいのでしょうね。

 疑問を書いてくださったid:mojiuraさん、NHKのページを教えてくださったid:Marumamekoさん、そのほかご自分の経験やフォローを書いてくださった方々、どうもありがとうございました。

2007/09/10(月)

ブロガーがネットで時間を節約する方法

 それって相当違うんじゃないの、と思う記事を発見しても、よほどの弊害が予測されるのでなければ軽やかにスルーしてブックマークもしない。ブックマークもしないことがポイント。


 弊害とは

  ( 事実との乖離度 + 誘導の不当さ ) x 記事の影響力(=ここでは単純に読み手の多さとしておく)= 弊害

 で表されるところのもの。

 スルーしないとしても、こちらの反応の仕方はまた他の要素で変わってくるんだけど、まあそれは他の要素によりさしあたり書かないでおきます。

2007/09/09(日)

コリン・ジョイス『「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート』

 面白いのでもったいないからちょっとずつ読もうと思ったら、面白いのでつい読み切ってしまった。

 著者のユーモアだけでなく、後半のちょっとしたところに日本への愛憎の屈折した部分が少しうかがわれて複雑な気持ちになった。ジョイスさん、ごめんなさいね。

 ただ、日本人としては読んでいて楽しくうれしい本。基本的に日本のいいところを賞賛してくれているし、肩のこらない内容と文体。

 東京にお住まいの方には、いいデートコースの手引きにもなる(これは断言)。流行スポットでもなく、お金のかかるところでもなく、有名でもない(したがって混雑もしていない)、いいところがたくさん載っている。

 安い本なのに、面白いだけではなくちょっと別の余韻にも気づいてしまい、それにつけても読んで得した感。

日本では「ありがとう」も「すみません」も言わない客が多いんじゃないか

最近、何人かの英語初心者、もしくは英語慣れはしているけれどアメリカ初心者、もしくは英語もアメリカ慣れもしているいるけれど暮らしたことはない、という日本人を観察していて気がついたこと。

それは、客の時にはだれも Thank you とは言わないということ。さすがにこの場面なら言うかなという場面でも決して期待を裏切らない。彼らは絶対に店員にむかって Thank you とは言わない。

ぼんやりと考えたこと

ただし、それは「感謝の気持ちがない」のでは決してなく、感謝の背景をどう捉えているかの違いだと思われる。

404 Blog Not Found:"Thank you" = 「すみません」

 たしかに、日本語での「すみません」は"thank you"に近いが、そのこととはあまり関係がないと思う。

 単純に、客だからサービスを受けて当然と思っている人が多いのだと思う。店員に対しては敬体(ですます調)でしゃべらない人も多いし。先輩が後輩に対して敬語を使わないような感じなのかな。

 関係性によって相手との上下関係を(上か下に)決め、それに従って相手に対する態度を決定するような発想の人ってちょっと驚くぐらい多いんだけど(対等という関係がごく限られた間柄でしか成立しない)、そういう人は、自分が客ということで自動的に、自分は黙ってサーヴしてもらうのが当たり前という判断をするのだろうと思う。特別に威張ってやる!というのでなく、そういうものだということを前提に動いている感じ。

 そういう発想だと、店員に対して"thank you"と言う理由はないから、わざわざ"thank you"と言うことが「過剰で偽善的」と感じるのは、むしろ自然な成り行き。後輩に先輩が敬語を使うような違和感を感じるのではないかと。

ちょっと関連:「想像力を欠いている」と非難する想像力の乏しさ - 夏のひこうき雲

 もちろん、それは実態のただの一面ではあるけど。

web魚拓のサーバが今応答していない

 〈事後的に改変を繰り返す、しかも転載を(無条件で?)許可すると標榜しているwebサイト*1に対して有効な、簡易の記録手段として貴重な存在なので、安定した運営を期待します。

 わかりづらい文だとは思いますが。

*1:まあそんなところいくつもあるのかどうかは知りませんが

2007/09/08(土)

自閉症スペクトラム指数と「想像力」関連記事

via 自閉症スペクトラム指数 - chirashino☆ura

 私もやってみました。自閉症スペクトラム指数自己診断

自己診断テスト得点計算結果

あなたの得点は14点です。

社会的スキル

  3点

注意の切り替え

  3点

細部への注意

  4点

コミュニケーション

  3点

想像力

  1点

閾値内に収まっています。

注意このテストでは得点が高いほど自閉傾向が強くなります。

AQ-J得点計算結果

 想像力について自閉傾向が弱いということは、想像力が豊かということだろうな。想像力についてはこのブログでは以下の記事も参照。

 ちなみに、私はどちらかといえば「想像力が豊か」とか「考えすぎ」と言われがちな方です(笑)。

夏のひこうき雲 - 「想像力を欠いている」と批判する想像力の乏しさ

 なんていうかね。宗教画を見て宗教を語るのは、村上隆の「Miss Ko 2」を見て、巨乳の女性について論評するようなもの。あるいはウォーホルの絵を見てキャンベルスープの味を語るようなもの。

 不可知な事柄への謙虚さを持ちたい。たぶんそれが梅原さんの嘆きの中身でもあり、一つのソリューションでもあると思う。あるいは、抑制されたモデレートな想像力。(抑制されるべきは想像力ではなくて感情。)

夏のひこうき雲 - 日本じゃ「神」は昔からいなかった

こうした問題を取りあげるにあたって私は何度か「想像力の問題だ」といった表現を用いています。別の言い方をすれば、「人間が他人の深刻な痛みや悲しみを知ってもなお平然としていられるのか、無関心でいられるのか」ということです。せめて心に留めておいていただければそれだけで、私は個人的にたいへん嬉しく感じます。人間に、またあなたに対して絶望しないですむからです。おそらく実際に苦しみ死にかけている人々も、見知らぬ人々が気持ちだけでも寄り添ってくれていると知れば少し気が楽になるでしょう。ここまで読んでくださってありがとう。

夏のひこうき雲 - スーダン・ダルフール危機情報Wikiが設置されました(お知らせ)

 最初はこういう構成にするつもりじゃなかったんだけど、自分の過去の記事を読んでおもしろいというのは自家中毒というか何というか。たった数年前にはのびのびと書いていたんだなあと懐かしく感じますね。

 では、ここまで読んでくださってありがとう。

2007/09/07(金)

「真逆」という表現について、はてなダイアリーキーワード解説が良かった

 そうなんですよね。

「正反対」の意味の新語*1。

2002年〜2003年ごろから使われ始め、2006年現在、すでに多くの人がこの言葉とその意味を知っていると思われる。

真逆とは - はてなダイアリー

 2002年〜2003年頃からなのかな。私としてはその辺はよく憶えていないのですが、キーワード説明の文中にもある「まさか」という言葉に、真逆という字をあてているのが気になったのは、たしか京極夏彦の作品でした(旧字旧かなの作品では他にもあったかもしれないけど)。意外とその辺、つまり京極夏彦の作品に影響を受けて推測で使い始めた人から始まったのかなあという気もします。たどってみると、流行・定着の経路が特定できるようなアレかも。

 面倒だし、使っている人の気を悪くしたくないので、ひっかかりながらも気にしないようにしているのですが、やはりそうだよなと意を強くしたので書き留めておきます。

 ちなみにキーワード作成と現時点での説明文(という呼び名で良かったかな)執筆はid:manpukuyaさん。さすが。

 もはやある程度定着してしまっているので、誤用とするのはおかしいのだろうけど、まだ大手紙などでは使われていない印象。ネット上のメディアではたまに見かける。

 個人的には、「正反対」という表現をあまり見なくなったのがちょっと悲しい。せっかく前からある表現なんだから廃れさせるのはMOTTAINAI。「まぎゃく」より発音しやすいし。

 しかし考えてみると、「真逆」だけじゃなくて、「正反対」という表現も普段あまり使わないな(語彙の問題の話ではなくて、表現を使う頻度の問題として)。正反対といえるような関係にあるといえるものってそんなにないからかな。

 「反対側」という言葉なら比較的使ってる。あと、「反対側」よりは頻度は減るけど「対極に位置する」とかも。

2007/09/04(火)

身体検査、身体検査って

 よく新聞で書いてあるけど、大臣を任命する際に(予め)適任かどうか、とりわけ金銭的な面で問題がないか調査しておくのを「身体検査」って呼んでいるんだろうか。違和感があるな。昨日たしかラジオでも言ってた。

 「身元調査」の方がまだ近くないか。(身元調査という概念に対する反発があるからかもしれないけど、身体検査は身体検査で徴兵をイメージさせるし、フィジカルな感じが言わんとすることとずれている。)

 そもそも別に「適格性調査」でいいと思うんだけど。一文字分節約する必要はとくにないと思う、概念を改変してまで。

 前に、汚職をした政治家が選挙で再選されたことを根拠に「みそぎ」「みそぎ」と言っていたのを思い出した。もっとも、あれは〈自分が責められている「空気」を「水」に流してもらった、「みんな」という神に許してもらい承認してもらったから何ら問題ない〉という日本教的発想の面もあるけど(単に思考停止のための流行語というだけでなく)。

2007/09/02(日)

キーボードは新調したけど

 マウスが今使い勝手が悪いので、ブックマークコメントをつけたりするのが難儀になっています。これも近日中に解決する予定。ただまだドキュメントスキャナは再インストールしてないし、携帯音楽プレイヤー(のうちの一つ)も使えるようにしてない。次から次へと迫り来るパソコン使用上の困難を、左から右へと受け流しています。右から左へは受け流さないんです。はい。そういう決まりです。


 そうそう、人から指摘されたのですが、このブログの記事、部分的に文字が重なってしまっている箇所があるとのこと。環境をほぼ同じにして確認してみたのですが、再現できませんでした。もし他の方もそういう表示上の不具合があったら教えていただけると助かります。

 どうもねー、デザインをいじるのって気が重いんですよね。なんかセンスが問われるような気がしてるからなのかな。以前カスタマイズした状態でずっと更新してきたので、へたにいじると過去の分の表示が崩れてしまうのではないかという心配はある。ちゃんと本が手元にあっても放置状態。

 なかなか更新もできず心苦しいのですが、まあ気負わずに好きなことを書いていきたいと思っています。お前ら引き続きよろしくな。