夏のひこうき雲 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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 はじめに

2014/11/09(日)

『屍者の帝国』、再読


 『屍者の帝国』、再読を終えた。終盤、円城塔伊藤計劃への思いが、ワトソン博士へ向けられたフライデーの独白のうちに、にじみ出るというのではない、溢れていた。円城が自らをフライデーになぞらえてワトソン博士たる伊藤を追悼していることがすぐに理解された。

屍者の帝国

屍者の帝国

 円城塔の「あとがきに代えて」の中の一文が心に残った。

この小説が、悪辣な冗談にしか見えない世界に対する笑い声として受け取られることが叶うなら、それ以上の幸せはありません。

 私の知るある書き手も同じようなことを書いていたなと思いだし、ぼんやりと『屍者の帝国』の筋を思い出しているうちに、なぜか涙が流れていた。


 早逝した伊藤計劃への思い入れは、以前は私の中にあったかもしれないが、今は忘れてしまった。伊藤計劃の問いは私にとって切迫したものではなく、率直にいってとても惜しい人を亡くしたとまでは感じていない。円城塔の作品はそこはかとなくユーモアがあると感じはするものの、よく分からないので好んで渉猟したいとも思わない。フライデーがなぜワトソン博士にそんな思いを持つというのか、あまり必然性がないように思う。私が悲しみや憧れに胸をうたれ涙を流してしまう物語には一定の類型があるのだが、今回の作品はそれには当てはまらない。

 にもかかわらず、静かに泣いている自分を感じながら思ったのは、伊藤計劃という人への追悼の気持ちでもなく、円城塔という人への関心からでもなく、亡くなってもう戻ってこない人への敬愛の気持ちの在り方に対して感ずるところがあったのだろうなということ。

 使わなくなって久しい「はてなブックマーク」というサービスで、私は「追悼文」という、見方によっては悪趣味なカテゴリーを設けている。そのような感覚と関連しているのだろう。なぜそうした関心を自分が持っているのかはわからない。


 記事をアップロードする前に見返していてもう一つ思い当たった。先ほどの引用部分を読んで私が、悪辣な冗談にしか見えない世界を思って改めて落胆しつつ、そこへ笑い声をもたらそうとする個人の意志に胸をうたれた面が多分にあったのだろう。

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