忘れた頃に更新するこのカテゴリー。このカテゴリーの前回の記事は2006年12月30日。じつに11年近くが経ちました。このような書き方もあります。

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「ずっと向こうの」と、王子の像は低く調子のよい声で続けました。 「ずっと向こうの小さな通りに貧しい家がある。 窓が一つ開いていて、テーブルについたご婦人が見える。 顔はやせこけ、疲れている。 彼女の手は荒れ、縫い針で傷ついて赤くなっている。 彼女はお針子をしているのだ。 その婦人はトケイソウ〔訳注:(passion-flower)この花の副花冠はキリストのいばらの冠に似ているという〕の花をサテンのガウンに刺繍しようとしている。 そのガウンは女王様の一番可愛い侍女のためのもので、 次の舞踏会に着ることになっているのだ。 その部屋の隅のベッドでは、幼い息子が病のために横になっている。 熱があって、オレンジが食べたいと言っている。 母親が与えられるものは川の水だけなので、その子は泣いている。 ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん。 私の剣のつかからルビーを取り出して、あの婦人にあげてくれないか。 両足がこの台座に固定されているから、私は行けないのだ」


<版権表示>

Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩)
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プロジェクト杉田玄白正式参加作品。

<版権表示終り>

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 王子の声は低く調子のよい声で続けるが、王子が話すのは、貧しい家の、やせこけて疲れた顔の婦人と、オレンジが食べたいと言って泣いている幼く熱のある息子。王子は、自分の話題に声をひそめることはしない。その光景を、王子は、その時知ったのではない。そのような光景は、王子は、前から見聞きしているのだろう。今さら声を落としはしない。高い声で話すことではないが、王子自身はいまだ、倦み疲れた声ではない。涙を流してはいても、王子には希望がある。ルビーを婦人にあげて、婦人とその幼い息子を助けるという希望が。自分だけでは望めなかった、ツバメと話すことで生まれた、希望。

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 婦人はやせこけて疲れた顔であり、家は貧しい。刺繍しようとしているのは、女王様の一番可愛い侍女が次の舞踏会に着ることになっているガウンへの、トケイソウの花。貧しく色あせているであろう室内と、ガウンや花のコントラスト。幼い息子が欲しがるのも、鮮やかなオレンジ。王子は紅いルビーをあげようとしている。婦人や幼い息子と対比される、刺繍しようとしていながら、欲しいと思い描きながら、その親子とはほぼ無縁な、それなりにきらびやかであろう衣類、ありふれてはいるがみずみずしくいろどりが目を引く果物。

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 トケイソウについて訳注は「この花の副花冠はキリストのいばらの冠に似ているという」とあえて注意喚起している、原作でもそのような暗示があるのだろう。幸福の王子の一連の行為をキリストの自己犠牲になぞらえているということだろうか。トケイソウの画像を探すと、紅色から紫色にかけて様々な色の品種があるようだが、たしかに花びらの近くに、細くいばらのようにちぢれたものがある。婦人は貧しいが、その刺繍をされたガウンを着るのは、女王様の一番可愛い侍女であり、舞踏会である。そのような豊かな人と貧しい人のつながり、あるいはつながりのなさは、今の私たちのまわりにもある。自己犠牲を暗示する刺繍のあるガウンを着るのは、女王様の一番可愛い侍女。自己犠牲を思い立つのは、寒空の下の、心臓が鉛でできた、薄い純金で覆われてはいるものの、泣かずにはいられないと低く調子のよい声で言う、柱上の、王子の像。

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 貧しい家の婦人が、熱があり病んでいる幼い息子にあげられるのは、川の水だけだという。息子は幼いから、川の水だけで我慢したりはしない。川の水だけで我慢できるものではない。熱があるからなおさら、我慢できずに、オレンジが欲しいと言って泣く。病気の幼い息子に何かあげたくとも、欲しがるものはあげられない、川の水しかあげられない、貧しく、みずからはやせこけて疲れた顔をした、婦人。
 息子の父はどこにいるのだろう。働きに出ているのかもしれないし、死んだのかもしれないし、妻と子を見捨ててどこかに行ってしまったのかもしれない。あるいは夜になると帰ってくるのかもしれない(作品中では夜にも帰ってきていないようだが)。いずれにせよ、夫は、父は、助けにならない。
 幸福の王子は、自分のルビーが役に立つことを感じる。しかし、足が動かないから、自分では助けられない。王子の涙をきっかけにしてたまたま話し始めることとなったツバメには、足と翼がある。ツバメがその気になれば、婦人と幼い息子を、助けることができる。涙を流していた幸福の王子には、希望ができた。低く調子のよい声は、ツバメに願いを聞いてもらうためもあるのかもしれない。二人の様子を説明し、自分の代わりに、自分のルビーをあげてほしいと頼む。
 助けたい人を知っていても、ルビーという資源を持っていても、届ける手段がない。届ける手段を持っている人に、託すしかない。そういうことは今の社会にもある。ただ、幸福の王子は、「やろうと思えば自分でもやれるけど現実的にはむずかしい」というのではなく、両足とも台座に固定されており、行けない。無念である。黙って涙を流すしかない。そこにツバメが来たのだった。

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 反対意見であっても真摯なコメントを頂くのはありがたいものだと思い、それなりに応答してきましたが、記事本文の冒頭すら読まずに感情的なコメントを書き込まれるようなことがここ数年増えてきたため、対応のための時間や労力、ストレスを負担に感じるようになりました。

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 ここをほとんど更新しなくなってだいぶ経ちますが、まだ閉じるつもりはありません。よろしければ、今後ともおつきあいいただければ嬉しく思います。

『屍者の帝国』、再読


 『屍者の帝国』、再読を終えた。終盤、円城塔伊藤計劃への思いが、ワトソン博士へ向けられたフライデーの独白のうちに、にじみ出るというのではない、溢れていた。円城が自らをフライデーになぞらえてワトソン博士たる伊藤を追悼していることがすぐに理解された。

屍者の帝国

屍者の帝国

 円城塔の「あとがきに代えて」の中の一文が心に残った。

この小説が、悪辣な冗談にしか見えない世界に対する笑い声として受け取られることが叶うなら、それ以上の幸せはありません。

 私の知るある書き手も同じようなことを書いていたなと思いだし、ぼんやりと『屍者の帝国』の筋を思い出しているうちに、なぜか涙が流れていた。


 早逝した伊藤計劃への思い入れは、以前は私の中にあったかもしれないが、今は忘れてしまった。伊藤計劃の問いは私にとって切迫したものではなく、率直にいってとても惜しい人を亡くしたとまでは感じていない。円城塔の作品はそこはかとなくユーモアがあると感じはするものの、よく分からないので好んで渉猟したいとも思わない。フライデーがなぜワトソン博士にそんな思いを持つというのか、あまり必然性がないように思う。私が悲しみや憧れに胸をうたれ涙を流してしまう物語には一定の類型があるのだが、今回の作品はそれには当てはまらない。
 にもかかわらず、静かに泣いている自分を感じながら思ったのは、伊藤計劃という人への追悼の気持ちでもなく、円城塔という人への関心からでもなく、亡くなってもう戻ってこない人への敬愛の気持ちの在り方に対して感ずるところがあったのだろうなということ。
 使わなくなって久しい「はてなブックマーク」というサービスで、私は「追悼文」という、見方によっては悪趣味なカテゴリーを設けている。そのような感覚と関連しているのだろう。なぜそうした関心を自分が持っているのかはわからない。


 記事をアップロードする前に見返していてもう一つ思い当たった。先ほどの引用部分を読んで私が、悪辣な冗談にしか見えない世界を思って改めて落胆しつつ、そこへ笑い声をもたらそうとする個人の意志に胸をうたれた面が多分にあったのだろう。

ドイツの、合理性に反するかのような高度の精神性

池田信夫 blog : アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である

記事の内容をきちんと理解したとはいえないのだけど、関連して想起したこと。

ドイツの合理性、ホロコーストに対してさえも発揮される合理性。その一方で、例えばエンデ、あるいはシュタイナーのような高度に精神的な、いわゆる能率的・即物的とは正反対な、ある意味でオカルトとすらいわれそうな思惟・実践が存在する。エンデなどは近代資本主義に対してほとんど憎悪に近いものを示している。これは「合理性」に対する反動なのか、別の伏流として流れる精神性なのか、なんなのか。

トマスとして期待しながら

 イエス・キリストに会ってから信じても遅くないのでは: 極東ブログ
を読んだ。

 最後の「復活のイエス・キリストは、そうして死を信じる人間の絶望にユーモアをもたらす。」という1文が、そこまでの文脈との関係でよく理解できなかった。
 これは非難ではない。イエスキリストが人間の絶望にユーモアをもたらす、ということは私なりに理解している、というか、そのような人物像の存在としてイエスを理解しているつもりだ。
 ただ、トマスの話、死の話、と来て、なぜイエスのユーモアなのだろう。

 書いていて思ったのだけど、「イエスがトマスに表れたのは、トマスが自分の基準でもって「こうでなければ信じない」という一線を引いた、その一線を乗り越えて現れ、ユーモラスに自分を開示したのだ」ということだろうか。
 だとしても、トマスの不信の基準と、自分の死を絶対的な基準とする死の奴隷としての在り方は異なる。

 いや、異ならないのかもしれない。自分なりの基準でもって世を裁き、自分を裁き、「究極の罰に甘んじるなら何をしようと文句を言われる筋合いはない」というところまで至ってしまう、そういう危険を有しているのかもしれない。(関連して、裁くことによるニヒリズムは、愛を存続させない在り方だと思う。)

 とすれば、「トマスの不信」は当然死の奴隷への一里塚的な要素を有していることになる。しかし、イエスは、そのような在り方をも裁かない(ということになる。)

 裁くのではなく、ユーモアでもって、そのような死の奴隷への在り方を超越してみせ、ひょいっと目の前に現れる。

 この辺りの理路は、「〜ということだとすれば」「こういう文脈を前提とすれば」という仮定を積み重ねる話なので、後で自分で読んでもよく意味が分からないかもしれない。

 いずれにせよ、復活ということの意義、いや、復活ということの喜び・good news(福音)は、そのような筋道からも一層重要だと思えた。

 自分の死という、どうしようもない終着点、その終着点から逆算して人間は自分の行動を決定していく。しかし、その終着点すら破壊してみせる、いやピョンとゴム跳びで超えられるということ。あるいは、その終着点が帳消しになる。そのような素晴らしいお知らせ。

 私はキリスト教徒としてのマイノリティ感、いわゆる普通のみんなに属することのできない淋しさをしばしば表していながら、どこかでまだ、死んだらおしまいと思っている。あるいは、死による復讐というものをある意味で「信じている」。いいことではない。かつ、日本的だと思う。

 そのことを恥ずべきこととして反省するというのではなく、イエスが再び私のドアをノックして訪れ、私がそれに気付くことを期待していたい。他力本願なようにも思える。しかし、そもそも、救いというのは一方的なものではなかったか。
 この数日も、時折救いのような訪れを感じてはいた。救いは去ったわけではない。ただ私と共にいて、辛抱強く見守っているのかもしれない。

 10分少しでほとんど推敲もせず書いてみた。

 そうそう、「しかしその先には、そうであれば死を決意しえすればなんでもできるはずだという思いが潜む。この世が与える罰は死刑までだ(そこに至るまで苦しみはいろいろ選べるが)、自分の死を支払えば人を殺したっていいことにだってなる。」という最後のほうの下り。これは、『死ぬことと見つけたり』の世界ではないのか。とふと思った。『死ぬことと見つけたり』には肯定的評価をしていながら矛盾している、などと誰かを非難する意図はない。単に、そうなのかもしれない、と思っただけ。死は甘美だし、力を与えてくれることもある。ただ、それは同時に死の奴隷なのかもしれない(他の何かの奴隷でなくなる代わりに)。『1984年』の世界では、物語の舞台ではイングソックが推進されているのに対し、アジアでは「死の崇拝」が信仰されているのだったか(調べないで書いている)。

珍説 お湯張り時(どき)


 お風呂を沸かすとき、ボタンを押すと

「お湯張りを、します。」

 というアナウンスが流れる。

 お湯張りという言葉が自分の普段使う語彙にはあまりないので、そのアナウンスを聞くと少し新鮮に感じる。ときどき、「おゆはり」という音から、『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』のことを思い出す。

 御湯張月(おゆはりづき)。意味が分かるようで全然分からない。

 椿説弓張月の主人公のことも思い出す。源為朝(みなもとのためとも)。子供に「為朝(ためとも)」と名付けたらホストみたいで嫌だが、悲劇の英雄だからか、私の好きな名である。

 今気付いたのだが、主人公の名、
 お湯をためとも
 とも言えますね。湯舟に。

 言えたから何なのか。でもなんとなく話がまとまってしまった。


 いろいろまとめていきたい。

ある人の文章の変化と


 今日はある人の闘病記のブログを見かけた。その人は以前、外国のある若者や特定のグループを手ひどく嘲笑する記事を書いていたので、少しやり合った。傲慢なようだけど、あのとき徹底的に言い負かしたりしなくてよかった。

 文体も内容もだいぶ変わっておられた。

 人生は負け戦だと思う(他方で大いなる祝福でもあるけれど)。お互い頑張りましょう。快復を祈ります。ほんとに。