無題

 今日、数年前に数か月だけ暮らしていた場所の近くを通った。当時建設途中だったマンションが完成していて、もう住人も入居しているようだった。マンションの着工から完成、そして入居までの平均的な年数は知らないし、当時どの程度まで完成していたのかの記憶もあいまいだが、ずいぶんと時間が経ったのだなというのが正直な感想だった。
 どうにも時間の感覚、というか過去の記憶と今の状態がうまくつながらない。などと書くと違和感がありまくりなのだけれど、例えば2年という時間が経過したことに実感が持てない、という程度の違和感があるということなのだ。その間何もしなかったわけではないし、むしろいろいろあったのだけれど、それは結局なくても同じことだったのだと思う。多分、違和感なく2年前に戻ることができる。
 しかし2年前が確固とした一点であるわけではなく、たぶんその地点にいるときに何かさらに前の点に触れるきっかけがあれば、その地点に戻ることはできると思っただろうと思う。たぶん「人生の転機」のような印のある地点を設定できていないからだ。
 やり直しの決定的な点を見つけられない、いや、そもそもそれが無い。「人生をやり直せるとしたらいつから」という問題は、いまではない今をもたらす地点がわからなければ結局同じ結末をもたらすのではないだろうか。戻るべき地点がわかっているならば対処しようもあるのかもしれないが、わからないのなら修正のしようがない。
 何だか変な方向に行ってしまったけれど、知っている場所の景色が変わっているのを見つけるというのはとても楽しいということが言いたかった。たぶん全然伝わっていないだろうけど、というか伝えようとしているとは思えないことを書いているけれど。「『あの時』のここ」ではなくて「『いま』のここ」だということを教えてくれるのは、景色くらいしかないからだ。全く変わらない景色を見てしまうと、なんだか時間が経っているのかいないのかがあいまいになってしまう。そのア感覚も気持ちの悪いものではないけれど。
―――――
 祖母に会いに行ったら結婚の話をされた。存命のうちに私に結婚してほしいようなのだが、かなりの難しい要求だ。お世話になりっぱなしなので、できれば少しでも恩返ししたいところではあるが、まだ宝くじを当てる方が現実的ではないかと思う。もちろん300円ではなく、8ケタくらいの金額の当たりを。