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sunaharayの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-10-15

[]政治学の第一歩

『政治学の第一歩』という教科書を,大阪市立大学の稗田健志さんと神戸大学の多湖淳さんのお二人との共著で出版しました。個々の意思決定主体の選択(方法論的個人主義)とその戦略的相互作用に注目して,マンション管理組合から国際制度まで,利益の調整と集合行為問題の解決を図るための政治権力とそのコントロールのあり方を考える,という感じでしょうか。まだそういう概括的な教科書を書くような年齢でもないだろうとも思いましたが,私などとは違って国際的に活躍されているお二人とともに入門的な教科書を書くというプロジェクトに魅力を感じて時間をかけて用意してきました(執筆・編集過程の議論は非常に面白かったので,終わってしまうのが残念ですが)。執筆中に,安保法制の議論など,権力や法の支配・立憲主義,選挙安全保障などにかかわるのアクチュアルな問題が盛り上がってきたわけですが,そういう問題を理解するためのひとつの枠組みを提供したいな,とも考えておりました。

網羅的なのでひとつひとつのトピックの紹介を深掘りするのは難しいですが,基本的に一貫した枠組みで説明しているということですから,学生のみなさんには本書を予習してもらいつつ,内容を深めるかたちで授業する,というスタイルを想定しているつもりです。今後もウェブサポートページの充実を図っていきたいと思っておりますので,どうぞよろしくお願いいたします。

現在,ウェブサポートページでは,教科書採用を頂いた方に授業用スライド(政治学原論(4単位),政治過程論(2単位),政治学概論(2単位))の配布も行っています。スライドはさらに追加される予定です。

また,2016年6月7日に「『政治学の第一歩』で考える政治学教育のあり方」というワークショップを開催する予定です。ご関心のある方はお問い合わせください。

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

2016-05-27

[]最近の政治学教科書

この間いろいろといただきものがありました。年度の変わり目ということで,教科書が多かったと思います。

まず,出版社から『比較政治学の考え方』を頂いておりました。ありがとうございます。有斐閣ストゥディアシリーズの政治3冊目!ということです。内容は,どちらかというと新興国の比較政治研究を念頭において,内戦や政軍関係,民主主義の室,新自由主義といった一般的な政治学の教科書では扱いにくいようなものも含めて,説明されています。著者の先生方がみなさん比較政治と同時にそれぞれ専門として地域研究もされているという方々なので,事例も豊富で読んでいて面白い優れた教科書だと思います。本書を手にとってから外国研究・地域研究を行う学生・院生が増えると,地域研究のスタイルがずいぶん変わってくるのかもしれない,と思いました。

比較政治学の考え方 (有斐閣ストゥディア)

比較政治学の考え方 (有斐閣ストゥディア)

土倉莞爾先生から『現代政治の理論と動向』を頂きました。ありがとうございます。こちらは教科書ですが,市民社会や教育政策,福祉国家などといったトピックごとに各章が執筆されていて,「どちらかと言えば論文集のような書籍」となっているところがありますが,「各章で扱われているテーマに関する主要な理論や実際の動向を紹介し,現代政治の主要な制度やアクターについての理解を促すような記述を心がけた」ということです(いずれも「はしがき」)。各章をそれぞれの分野の入り口として読んで見るというのもいいのかもしれません。

森本哲郎・堤英敬・白崎護の各先生からは『現代日本の政治−持続と変化』を頂きました。ありがとうございます。こちらのほうは,この20年位で進展してきた政治学の理論的な発展を意識しながら,それを使って現代日本政治のさまざまなトピックを分析する,というスタイルです。対象は,政党,利益団体,市民運動,首相のリーダーシップ,官僚選挙投票行動,政策過程,国会,司法,地方政治,政治と情報,といったところ。司法として裁判所の独立性だけでなく,検察や弁護士も議論されているのは一つの特徴じゃないでしょうか。こういう「日本政治の教科書」って実はそれほど多くないような気がします。

木寺元先生からは『政治学入門』を頂きました。ありがとうございます。執筆者紹介を見ると,東大の総合文化研究科で内山融先生の指導を受けたみなさんを中心に書かれているような感じで,ちょっと懐かしかったです。選挙制度や投票行動,政党,議会,執政,公務員…などスタンダードなテーマを扱いつつ,各章のはじめにテーマに関連するいろいろな立場で「あなたならどうする」という問いが立てられていて,政治を自分の問題として考える仕掛けをしたうえで,それぞれのテーマについての解説がされていくという展開になっています。巻末に用語説明などもあって,初学者にも読みやすいものになっているといえるでしょう。用語説明は,『政治学の第一歩』でも見習いたいところだなあと思いました*1

政治学入門

政治学入門

というわけで,非常に多様な入門教科書が出ていた年度末でした。いろいろな入り方があるわけで,どうやって政治学を学び始めるか,というのも重要なトピックなのかもしれません。

*1:…まあ紙幅の問題もありますし,書き出すとまた長くなる可能性があるわけですが。

2016-05-25

[]『指紋と近代』

朝日新聞の報道によると,りそな銀行印鑑の取り扱いをやめて,生体認証も含めた他の方法による本人確認に移行していくという。

りそなホールディングスは3年後をめどに、住宅ローンや口座開設などの手続きで印鑑を押すことを原則として取りやめる。大手行では初の試み。利用者の手間を減らせるうえ、銀行側も、事務を減らして行員を営業の強化に回せる。印鑑の使用を取りやめる動きは他行にもあり、銀行手続きから印鑑が消える日も遠くなさそうだ。

東和浩社長が19日、朝日新聞の取材に明らかにした。東社長は「(印鑑をなくせば)業務は百八十度変わり、極力効率化できる」などと語った。

現在、りそなでは口座の開設や預金者の住所変更、住宅ローン契約を結んだときなどに、印鑑を押してもらっている。多い場合には一つの手続きで10カ所以上に押すこともあるという。

今後は、担保の設定など、行政への手続上不可欠な場合を除いて印鑑を原則不要にする。ICチップ付きのキャッシュカードや指の静脈を利用した生体認証で本人確認する。

りそな銀、印鑑やめます 大手行初、3年後めど

最近銀行にいって,外為関係の手続きをするときに,当然まあマイナンバー要求されるだろうと思って通知カードを持って行ったものの*1,印鑑を忘れて出直しに…。あらあらとは思ったものの,しばらく使っていない銀行カードの利用だったしまあ本人確認も難しいから仕方ないなあと思いつつ,窓口では「マイナンバー入ったのにまだ印鑑使うんですねえ」と意味ない嫌味を言ってしまった*2。今回の報道によれば,りそな銀行は印鑑による本人確認を止めて,他の手段にするという方針をとることになったというわけだが,そこで出てくるのがICチップ付キャッシュカードや指の静脈を利用した生体認証ということ。本人確認をするために,その本人にしか知り得ない情報(パスワードなど:ただし忘れることがある),本人しか持ち得ない何かの実体(印鑑やICカード・免許証の券面など:ただしなくすことがある)に依拠する必要があるわけだが,本人確認の難しさは,その情報や何かの実体が本人と基本的に離れていないようにして欲しいというところにある。忘れてしまうパスワードや身につけていないものではその人本人であるという同一性の証明が難しくなるわけだ。

静脈や虹彩,そして『指紋と近代』で取り上げているような指紋などは,このように本人しか知り得ない・持ち得ないものであると同時に,基本的に常にその人とともにあるという意味で本人確認を行うために非常に適した道具であると言える。ただし,このように本人にとって便利な本人確認の手段は,国家/政府にとっても便利な本人確認の手段でもある。特に,人々が生まれた土地から切り離されて移動を行うような近代国家では,移動する人々が誰なのかということを管理する要請が強まり,指紋はそのような管理を行う便利な手段として重宝されることになったわけだ。本書では,まず指紋がどのような経緯で本人確認の手段として用いられるようになったかを明らかにしたうえで(1章),日本に指紋管理が導入されて「満州国」といういわば実験国家で主に移動する人々(主に中国からの出稼ぎの労働者)を管理する手段として利用されていたことを記述していく。1章はお話として本当に面白いし,満州国の話についてももともと「国民」を管理しようとしたものの国民自体の定義が難しくて挫折していく過程は非常に興味深い*3。そして戦後では日本における指紋管理として,国民レベルの把握とその挫折,愛知県における奇妙な継続(6章)と外国人登録制度(7章)について扱い,指紋を通じた国家による国民管理の論点について浮き彫りにしていく。つまり,戦前と連続するかたちで,指紋登録を強制的にさせられない中でどのように「自発性」を確保するか,そして戸籍で管理されていない「移動する」外国人をどのように管理するかという問題が出てくることになる。この辺りについては遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史』でも扱われているわけだが,移動する人々を管理する問題のあわせ鏡として,移動しない〜戸籍で管理される人々の問題も考えることになってくる。とはいえ最近は戸籍で管理されてきた人たちもさんざん移動してバラバラになり,戸籍の自由な閲覧も(当然に)制限される方向だから,より包括的な管理の必要が生まれているということかもしれない。

最近の状況変化は,本書の終章で議論されているように,管理する技術が長足の進歩を遂げているということももちろん極めて大きいわけだが,行政国家化・サービス国家化が進展する中で,人々が行政の提供するサービスと無縁であるわけにもいかず,「自発性」を確保しやすくなっているところにもあるのではないか。もう少し正確にいえば,「自発性」によらないで生きていくのが非常にめんどくさくなっているというべきか。しかも,りそな銀行の例があるように,国家/政府のみならず,民間企業がそのような情報を収集・管理してしまうという。近代国家が一元的に人々の情報を管理するというビッグブラザー的世界というよりも,なんかよくわからないうちに多くの企業が人々の情報を勝手に収集・管理してしまうわけで,まあよりめんどくさい話だとも言える。ビッグブラザーに対しては,政府にそんな権限を移譲してやらないっていう自由主義的なメインの話として議論されやすいと思うけども,自由な意思決定主体であるところの企業がこれをやりだすと,がんばって人々の代表でつくる政府としてきちんとコントロールするという民主主義的な解決が浮上せざるを得ないようにも思う。まあもちろんそれでビッグブラザーができてくるっていう話もありうるのかもしれないけども…。難しい…。

*1:残念ながら個人番号カードは持っていないので…実際のところ今依頼しても数ヶ月は発行されないらしいし。

*2:はあ何のことでしょう?という反応だったので嫌味にも何もなってないわけだが…。

*3:「五族共和」を謳うなかで,満州国民というのを作ろうとしたときに,日本人をそこに帰化させるかどうかという問題が出てくる。

2016-04-18

[]マンション管理のガバナンス

ツイッターでちょこちょこと書いていたのだけど,多くなってきたし個人的にも関心のあるところなので備忘のためこちらに。

分譲マンションの管理組合総会で「格差」が生じようとしている。これまで原則として「1戸1票」だった議決権が、国交省の指針変更によって、住戸の資産価値に応じて重みが変えられるようになったからだ。ほとんど周知されていないこの「改正」は、マンション住民に新たなトラブルを生む火種になる。

タワマン総会「『下の人』と言われ腹立った」と4階住民

なかなかきつい感じの導入になっている記事だけど,何の変更だっけと思っていたら国交省によるマンション標準管理規約改正の話だった*1。議決権を配分するときに,これまでは基本的に持分(≒専有部分の住居面積)で決めていたものについて,「価値割合」の考え方を入れてはどうか,という話。具体的に標準管理規約及び同コメント(単棟型)では,標準管理規約本文ではなくコメントの方で次のように書かれている。

第46条関係

1 議決権については、共用部分の共有持分の割合、あるいはそれを基礎としつつ賛否を算定しやすい数字に直した割合によることが適当である。

2 各住戸の面積があまり異ならない場合は、住戸1戸につき各1個の議決権により対応することも可能である。また、住戸の数を基準とする議決権と専有面積を基準とする議決権を併用することにより対応することも可能である。

3 1や2の方法による議決権割合の設定は、各住戸が比較的均質である場合には妥当であるものの、高層階と低層階での眺望等の違いにより住戸の価値に大きな差が出る場合もあることのほか、民法第252条本文が共有物の管理に関する事項につき各共有者の持分の価格の過半数で決すると規定していることに照らして、新たに建てられるマンションの議決権割合について、より適合的な選択肢を示す必要があると考えられる。これにより、特に、大規模な改修や建替え等を行う旨を決定する場合、建替え前のマンションの専有部分の価値等を考慮して建替え後の再建マンションの専有部分を配分する場合等における合意形成の円滑化が期待できるといった考え方もある。

このため、住戸の価値に大きな差がある場合においては、単に共用部分の共有持分の割合によるのではなく、専有部分の階数(眺望、日照等)、方角(日照等)等を考慮した価値の違いに基づく価値割合を基礎として、議決権の割合を定めることも考えられる。

この価値割合とは、専有部分の大きさ及び立地(階数・方角等)等を考慮した効用の違いに基づく議決権割合を設定するものであり、住戸内の内装や備付けの設備等住戸内の豪華さ等も加味したものではないことに留意する。

また、この価値は、必ずしも各戸の実際の販売価格に比例するものではなく、全戸の販売価格が決まっていなくても、各戸の階数・方角(眺望、日照等)などにより、別途基準となる価値を設定し、その価値を基にした議決権割合を新築当初に設定することが想定される。ただし、前方に建物が建築されたことによる眺望の変化等の各住戸の価値に影響を及ぼすような事後的な変化があったとしても、それによる議決権割合の見直しは原則として行わないものとする。

なお、このような価値割合による議決権割合を設定する場合には、分譲契約等によって定まる敷地等の共有持分についても、価値割合に連動させることが考えられる。

(下線引用者)

別に「価値割合」を導入しないといけないわけではなく,新たに建てられるマンションについて,ひとつの選択肢として導入するという話ではあります。既存物件についてどのように適用されるのかはちょっと良く分かりませんが。おそらく基本的な発想としては,価値が違う持ち分を持っているにもかかわらず,それに応じた議決権が配分されていないと,特に価値の高い物件を持っている人たちが(さらに価値を高めるために?)建替をしたいと思っても十分にコミットメントできないという問題があって,それを解決するために価値に応じて議決権を配分すべきだ,ということではないかと思います。同質的な居室で構成されているマンションだと議決権が「1戸1票」など平等に配分されていてそういう問題は起きにくいのでしょうが,タワーマンションなどで面積が違うだけではなく眺望なども全く違ってそれゆえ(金銭的な)価値も違う,みたいな部屋が複数存在するときに,議決権を変えておくことが求められるということなのだろうなと。面積がたとえば倍くらい違うとすれば,これまでであっても2票付与することもできると思いますが,面積が同じでも価格が倍くらい違う,というような状況にも対応可ということで*2。ただ,面積が同じなのに価値が違う,となると,管理費や大規模修繕費の負担は共有部分の共有持分の割合に応じて算定するということなので,今度は逆に不公平になるのかも。…というのが東洋経済の記事議論だったわけですが,どうもそうでもないみたい。共有持分については,基本的に専有部分の比率で決まるということにはなっているものの,コメントの第10条関係3では,「なお、第46条関係3で述べている価値割合による議決権割合を設定する場合には、分譲契約等によって定まる敷地等の共有持分についても、価値割合に連動させることが考えられる。」と書いてあるのでまあそこは公平に,ということでしょう。

どういう意味があるんだろう,とグチグチ考えていたのですが,ひょっとしたらこの標準管理規約の想定とは反対に,設定される議決権がマンション価格を変えてしまうということがないかしら,と思うところ。上にもあるように,新たに建てられるマンションについてこういう話が入ってくるわけですが,こういう標準管理規約を誰が決めるかというと,別に組合を構成する区分所有者がガチで議論して決めるわけじゃないと思うんですよね(本来そうあるべきだろうけど)。実際のところ,管理会社などがあらかじめ用意している規約/constitutionがあって,購入者はそれを受け入れて組合員になるのではないかと。そうするとマンション価格があったうえで(多数決なりみんなが納得するなりして)新たに議決権が配分されるなんてことにはならなくて,あらかじめ売り手の方が眺望とかなんとかで○○号室はこれだけの議決権を持ってますっていうことを設定しておくんじゃないか。結局,実際のところその議決権が跳ね返るかたちで居室の価格が設定されることになるわけで,議決権分購入価格が上がる,ってことになるんじゃないかというような*3。まあそのへん分かりませんけども。

このようになかなか興味深い論点だと思うわけだが,実は国交省の今回の変更では,この点はあまり大きな論点として扱われていない。実際そんなに変化ない(議決権を変える管理組合が出てこない)と思われているのかもしれないが。じゃあどういう論点が強調されているかというと,(1)コミュニティ条項の削除(国交省的には再整理)ということで,管理費の住棟先として「地域コミュニティにも配慮した居住者間のコミュニティ形成に要する費用」というのがあったわけですが,これを削除しようということのようです。具体的には地域の夏祭りとかにマンション管理組合からカネ出す,みたいな話なわけですが,まあどこのマンションにも「自分が払ってる管理費が自分の行かない夏祭りに支払われるなどまかりならん」という人は出てくるわけで,そういう人たちへの(訴訟)対策という面があるようです。要は,コミュニティ活動は居住者が自前でカネ出してやろうね,というある意味真っ当な話ではありますが,そうなるとマンションが地域から浮いてしまう可能性も高くなるように思います*4

で,もうひとつがこれを削除して空いてるところに入ってきたわけですが,(2)外部専門家の活用,という話です。管理組合の運営に文句を言う人も出てくるし,また,タワーマンションなんかだと大規模修繕の見積もりとか相当に専門的な知識が要求されたりもするので,区分所有者が管理を行うのは難しいということで,ノウハウを持った専門家を使うということが議論されています。この外部専門家をどこに置くかについても色々オプションがあって,まるで会社法の○○設置会社,みたいな感じですが,管理を行う理事長的専門家/理事長を補佐する専門家/理事長直属のエージェントとなる専門家/総会で監視する取締役・監査役的専門家…みたいな話が書かれています。まさに管理組合のガバナンス,というやつですね。ただまあ個人的に疑問なのは,その専門家への報酬をどうするんだ,ということで,もちろん管理費からなんでしょうがあんまりその辺は書かれていないというか(専門家に払うんだったら,自分たちの代表たる理事長にも払ってやれよという気がしなくもないですが…)。

*1:「これまで原則として1戸1票」という表現は微妙のような気はするが

*2:個人的には高層階に全く魅力を感じないので,そういうことがどのくらいあるのかよく分かりませんが…。

*3:ついでに言うと,「議決権が違う」というステータスは所有者の意識やマンション総会での投票行動に影響ありそう。

*4:たとえば,高村学人[2012]『コモンズからの都市再生』では,大規模マンションの管理組合/管理人が地元とうまく付き合うことの重要性が指摘されています。この原資はもちろん管理費なわけで。

2016-04-16

[]排除と抵抗の郊外

4月14日以降に発生した熊本地方の地震は本当に深刻な状況のようで,被害にあわれている方が不安な状態から少しでも脱せられることを願うとともに,支援に当たられている方のご無事を祈っています。このようにかなり規模の大きい揺れが連続して,建物へのダメージを蓄積させていくというタイプの地震はあまり想定されてこなかったのではないかと思いますが,都市計画などを考えるときに新たな想定が必要になるのかもしれません。

さて,森千香子先生の『排除と抵抗の郊外』を非常に興味深く読みました。はじめは住宅政策が中心の話なのかなと思って手に取ったのですが,メインはフランスにおけるエスニシティの問題というべきか。共和国としてエスニシティの問題は存在しない(たとえば民族別の統計をとるようなことも禁止されている)というフランスにおいて,高度経済成長期に入ってきた移民やその家族たちをどのように包摂しているか(していないか)という問題を,彼らが住んでいる郊外の住宅,特に公的な社会住宅での調査を中心に論じているものになります。エスニック・マイノリティに対して共和国の理念が浸透しているからこそ,疎外が生じているというのは読みながらとても納得した指摘で,社会学のエスニシティ研究は専門に勉強していないので評価は難しいですが,自分自身の指導教員の研究でもあるので「門前の小僧」として触れたことを思い出しながら興味深く読みました。

後半に展開されるエスニシティと政治,マジョリティへの抵抗の議論(ラップの話なども出てくる)も非常に興味深く読んだのですが*1,今の関心である住宅政策という観点からは,やはり3-5章で扱われている郊外のジェントリフィケーションと既存住民の関係についての議論が非常に勉強になります。もともと工業地域で労働者が集中し,それゆえ自治体が左派によって占められ,公的な集合住宅が建設される,という郊外で,グローバリゼーションの進展とともに一方で工業が撤退し,もともとは工場労働者として,その後は貧困層として移民の流入が増え,郊外が「排除」された地域となっていくことが示されます。そのような状況で,「赤い」自治体も国からの補助を使いながら都市再生を試み,もともとそれなりに利便性が高い地域だったこともあって,一定の成功を収めるところもでてきますが,しかし流入した移民はその成功の恩恵にあずかれないという状況が生まれます。むしろ,所得が低い移民が一箇所に集住することが問題だ,ということでその集住を緩和して「ソーシャルミックス」を強調するような再生策がとられる中で,団地の建て替えのような再開発によって既存住民たる移民が居場所を追われ,「ソーシャルミックス」の理念のもとに(外国人比率が高すぎるという理由で)排除されるというようなプロセスが示されています。地元住民,中産階級の利益のためという理念のもとで都市再生政策が実行に移されるわけですが,本来共和国の理念のもとに人種は問われないはずなのに,現実にはそのような都市再生政策によって移民が排除されてしまうという議論は,特殊フランス的なところもあるわけですが,しかし他の国でも同じような排除のメカニズムはあるでしょう。

ひるがえって日本の場合は,1990年代ころまでは,都市再生のために再開発を行うというよりも(それがなかったわけではないですが),既存の公営住宅を残余化させつつ,自治体同士で押し付け合いながら新しい公営住宅は建てないということをやっていたので,結局のところ基本的にはすでに入っている人が行先もないので入れ替わらずに残り続ける(まさに残余化)という現象が起きたと言われます。人口が増えている時代には,必要な住宅については郊外に安いものを開発しつづけて,必要な人は無理にでも住宅金融公庫を使いながら持家,ということになっていたわけですが,人口が減少するようになってくるともう郊外は無理でしょうということで再開発が問題になるようになります。2000年代の「都市再生」は,東京などできるところで始めていたわけですが,10年代には地方都市や郊外の再編成が徐々に注目されるようになってきています。

本書でも最後に紹介されているように,日本の郊外でも,特にURや公営住宅で外国人の居住者が増えているところはあって,建て替え・再開発が出てくるときには同じようにはその排除や貧困が深刻になるというフランスと似たような状況が出てきてしまうかもしれません。さらに個人的にはニュータウンの高齢化という問題に近いところを感じました。そもそもURや公営住宅の比率が小さいために移民の問題が深刻であっても全域的にはなりにくい,ということもありますが,やはりある時期に同じ世代の人々が一気に住み着くという現象が広がっているところでは似たような議論がありうるのかなあ,と。まさに若者と高齢者の「ソーシャルミックス」みたいなことが求められいてるところもあるわけですし。ただ,フランスの移民の例と違うのは,ニュータウンの高齢者が政治的に排除されているとは言えない,というところでしょう。むしろシルバーデモクラシーみたいな言葉があって,高齢者向けの政策が打たれているみたいな話がある中で,「高齢者の集住が問題だ」となるときにどうなるのか。もちろん今でもややそうなっているところはあるわけですが,良くも悪くも立ち退きみたいなことが進まない/立ち退かせようとすると政治的に問題になるわけで*2。とはいえ,これから一定の再開発/都市再生が求められることを否定するのも難しい中で,都市再生の結果として排除された高齢者のようなカテゴリーが極端に集中する,というようなことが望ましくないのも間違いなく,代替的な住居とソーシャルミックスをどう考えていくのか,というのは日本でも重要な論点になっていくように思います。

*1:なおこのあたりは,昨年から話題になったウェルベックの『服従』などと併せて読むと面白いように思います。

服従

服従

*2:たとえば兵庫県の復興公営住宅の20年問題はそういうところがあるのかもしれません