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sunaharayの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-10-15

[]政治学の第一歩

『政治学の第一歩』という教科書を,大阪市立大学の稗田健志さんと神戸大学の多湖淳さんのお二人との共著で出版しました。個々の意思決定主体の選択(方法論的個人主義)とその戦略的相互作用に注目して,マンション管理組合から国際制度まで,利益の調整と集合行為問題の解決を図るための政治権力とそのコントロールのあり方を考える,という感じでしょうか。まだそういう概括的な教科書を書くような年齢でもないだろうとも思いましたが,私などとは違って国際的に活躍されているお二人とともに入門的な教科書を書くというプロジェクトに魅力を感じて時間をかけて用意してきました(執筆・編集過程の議論は非常に面白かったので,終わってしまうのが残念ですが)。執筆中に,安保法制の議論など,権力や法の支配・立憲主義,選挙安全保障などにかかわるのアクチュアルな問題が盛り上がってきたわけですが,そういう問題を理解するためのひとつの枠組みを提供したいな,とも考えておりました。

網羅的なのでひとつひとつのトピックの紹介を深掘りするのは難しいですが,基本的に一貫した枠組みで説明しているということですから,学生のみなさんには本書を予習してもらいつつ,内容を深めるかたちで授業する,というスタイルを想定しているつもりです。今後もウェブサポートページの充実を図っていきたいと思っておりますので,どうぞよろしくお願いいたします。

現在,ウェブサポートページでは,教科書採用を頂いた方に授業用スライド(政治学原論(4単位),政治過程論(2単位),政治学概論(2単位))の配布も行っています。スライドはさらに追加される予定です。

また,2016年6月7日に「『政治学の第一歩』で考える政治学教育のあり方」というワークショップを開催する予定です。ご関心のある方はお問い合わせください。

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

2016-06-26

[]Brexit/国民投票・住民投票の使い方についての教訓

イギリスの国民投票の結果には驚いた。ご多分に漏れずまあなんだかんだ言って残留派が多数を占めるだろうと思ってたので。よくわかんないけど,まあ残留になるだろうと思ってキャメロン首相に対する「お灸」のつもりで離脱に投票したっていう人もいたりするんじゃないだろうか。政権が変わらないことを前提とした政権評価であるSecond-order electionのように投票したら,実は政権そのものを変えてしまうFirst-order electionだった,みたいな。

国民投票については,日本でも憲法改正関係で議論されているし,昨年の大阪での住民投票も思い起こさせる。「他に影響がある決定を狭い領域でやっていいのか」とか論点はいろいろあるだろうが,その領域の代表としては,当該領域の住民の意思表明を尊重すべきではないか。言い方を変えれば,そこで住民の意思に近い政党が本来選ばれるべきだった→政権を握るべしということになるわけだし。個人的には残留のほうが良かったんだろうなあとは思うけれども,意思表明の機会があって,明確に意思が表明されたにも関わらず,それが不透明なかたちでオーバーライドされるというのは民主制の前提をいろいろと覆してしまい,体制自体の信認を削ぐように思われる。「民主主義の赤字」を限界以上に拡大させてしまうというか。その点を考え合わせると,やはりどういう案件を住民投票にかけるか,というのをある程度限定的に考える必要があるのではないか,というのが今回の教訓のように思う。

どうやって限定するかというと,「お試し国民/住民投票」は望ましくないということではないか。正確に言えば,住民投票は基本的に二択で行われることを前提にしたうえで,その二択は現状維持/現状変更に限られ,住民投票にかける政権は現状変更にコミットすることを決めておくということ。自分たちは支持しないけど国民が判断するならそうしますよ,みたいな無責任なことを禁じておくということ。そうすると,重要な現状変更への意思が住民から表明されたにも関わらず,それを担う政権が何かわからない,という今回のイギリスで一番困難そうな話は回避できる。要するに,政治のほうで大多数がまとまった現状変更について,「これでどうでしょうか」と有権者に問うて,その判断を仰ぐということになるわけで,ダメだと言われたら基本的には現状維持なわけですが,まあその場合でも辞職してもう一度信を問うのが筋だろう。大多数で決めようって言ってることが有権者とずれてるわけだから,もう一回現状から作りなおすべきだという話にはなると思う。

この形式だと,結局のところ住民は「拒否権」しか行使できないじゃないかという批判は出るわけだが,しかし「拒否権」以上のものを行使しようというのは非常に難しいんじゃないか。何かしたければ直接請求はあるわけで,そこで議会を通して決めるというのが基本的な代議制民主主義の設定だろう。そこのところがうまくいかないというと,それはそもそも代表を選んでいる選挙制度に何か問題があるんじゃないかという話になると思う。有権者の意思がうまく伝わっていないというときに,それをまず伝える機能を持っているのは選挙なわけだから,そこから修正するという考え方が妥当ではないか(もちろん,選挙制度はそれまでに培われてきた経験があるので,やはりこのやり方がいいとなる可能性も低くない)。この点を考えると,イギリスでの選挙制度改革の失敗というのはやはり今回に至る伏流として大きな意味があったんじゃないだろうか。小選挙区制ではなく比例的な選挙制度(AV制がいいとはあんまり思えないけど)でより幅広に民意を反映させようとした改革を潰した保守党が,結局のところ民意を取り込む手段を持たずに国民投票をせざるを得なくなって失敗した,ということのようにも思える*1。そして,このような選挙制度改革の失敗→とりあえずお試しで国民投票に訴える危険性というのは日本にとっても重要な教訓だろうと思われる。まあまずは選挙制度改革でしょう,と。

ただイギリスの経験が興味深いところは,このような「実験」を行っていこうとする姿勢じゃないか。国民投票・住民投票をどう扱うかというのは,必ずしもコンセンサスがあるテーマではなくて,いろいろやってみることで望ましくないやり方を排除していくというのが重要だと思う。そういう意味では,今回のような国民投票だって,やっちゃいけないというわけじゃなくて,勝って求心力を高めたい「政治的」な判断としてはまああり得る(それに失敗すると罵られるわけだが)。近代デモクラシー母国としては,こういった経験から次の住民投票のあり方みたいなことも考えるようになるんじゃないか,ということを期待してる。

ちなみに,このような住民投票理解については,今年頭に日本経済新聞の「やさしい経済学」で連載させて頂いた第7回目に書いてる。一応校正前のものはこちら。

住民投票に法的な拘束力がないとしたら,どのような意義があるのでしょうか。最終的に決めるのは長や議員なので意味は無い,という極端な見方もあり得ますが,ある程度議論が行われたうえで住民投票が行われるとしたら,法的な拘束力がなくても関係者がその結果を尊重する必要はあるでしょう。

具体的な政策の選択肢が絞りこまれたうえで住民投票が行われるとすれば,それを住民による「拒否権」の行使と捉えることもできます。つまり,長や議員が現状を変更しようとするのに対して,大事な問題だから住民がその変更を認めるかどうか改めて判断するのです。住民の多数が反対すれば,現状が維持される,というわけです。

ポイントになるのは,「誰が住民投票を発議するか」です。現状を変えたい長や議員が,わざわざ住民投票を利用しようとは思わないでしょう。そんな中で住民投票が提起されるとしたら,議会などの場では少数派だけども,住民を巻き込むと勝てる,という人たちによると考えられます。つまり、通常の政治過程では否決できないような決定に対して,住民の意思を問うことで拒否権を発動しようというのです。

このように考えると,一部の住民が求めても住民投票がなかなか行われないことも理解できます。それは,長や議員などが現状を変えることに賛成でまとまっているときに,敢えてその審判を受けようとしないからです。今より住民投票を活発に行うためには,たとえば3分の1の議員の賛成で可能にするとか,少し発議へのハードルを緩める必要があるでしょう。

拒否権として住民投票を捉えるということは,現状にこだわる長や議員が反対するような変化を住民の賛成で実現する,という話とも違います。住民投票をこのように使うことへの期待もあるように思いますが,実際の決定に関わる長や議員の多数が反対することをやらせようとしても,骨抜きにされたり途中で勝手に話を変えられたりしかねません。やはり本筋は選挙で長や議員を選ぶところであって,住民投票は補完的に利用するかたちが望ましいのではないでしょうか。

*1:よく考えたら,キャメロンはスコットランド・Brexitのみならず選挙制度改革でも国民投票っていう方法を使ってるんだよね。ほとんど「クセ」じゃないか。

2016-06-07

[]共著本いろいろ+名著新版

先日ご紹介した教科書のほかにも,年度の変わり目にいくつかご著書を頂いています。

まず,著者のみなさまから『地方分権の国際比較』を頂いておりました。ありがとうございます。科研の共同研究の成果ということです。Fallatiのsequential theory of decentralizationを意識しながら各国の地方分権について検討するという感じでしょうか。分権を進める国も,ドイツのように集権化の傾向にある国でも,このテーマについては超党派の合意を得ながらやっているという議論は興味深いものではないかと思います。どうやってそういう状況がつくりだされるのか,というのが難しそうですが。

松岡京美先生から『災害と行政』を頂きました。比較的若手が編者になってシニアの先生が参加する,というのは珍しい感じがしますw 日本の災害対策・対応について制度を中心に説明されたあとで,韓国・タイの災害対策と比較して日本の災害対策の特徴が議論されています*1。災害に対して「何をするか」「どのようにするか」を考える時,韓国・タイでは中央政府が「何をするか」を決めて韓国は地方政府が「どのようにするか」を決める(タイではそれも中央政府が決める)のに対して,日本では中央政府が「どのようにするか」を決めて地方政府が「何をするか」を決めるという指摘はなかなか興味深いと思いました。そういうことは比較してみないとわからないことですし,検証するに足る指摘なのではないかと思います。

災害と行政―防災と減災から

災害と行政―防災と減災から

塩沢健一先生からは論文集である『民意と社会』を頂いておりました。塩沢先生は,「2010年名護市長選挙における「民意」の動態」という論文を寄稿されています。2009年8月に総選挙で民主党への政権交代が行われたあと,2010年の名護市長選挙で基地建設反対派が容認派に勝利したわけですが,そのような結果は国政における政権交代が民意を変えたというよりも,よりローカルな争点(市長に対する業績評価など)が効いているのではないかということを,アンケート調査などから検討しています。基地を抱える名護市では,安保問題という国政のテーマと,市政運営というローカルなテーマがからみながら選挙が行われるわけですが,2010年の選挙は最大の争点が基地問題であったとしても,「普通の地方選挙」へと変化する兆しを見せていたのではないか,という指摘がされています。

堤英敬先生,森道哉先生,森正先生からは『2012年衆院選政権奪還選挙』を頂きました。私も以前このシリーズで書かせていただいたことがありますが,総選挙など重要な選挙について選挙区レベルでの検討を行うというものです。今回は北海道1,岩手4,香川1・2,奈良1・2,石川1,愛知(全体),福岡9・10,沖縄(全体),静岡1,東京2・5が対象になっています。まあ選挙区というのはいかにも多様なものだなあと思うわけですが,2009・2012・2014の衆院選はそれぞれ1つの政党が圧勝してしまっているので,選挙区の候補者のコントローラブルな部分がやや減っているということもあるんでしょう。それに対して参院選や地方選はまだより多様性が強いということがあるのかもしれません。堤先生・森道哉先生はかなり長く香川の選挙を見てらっしゃるので,そろそろスピンオフ企画があるのでは…。

曽我謙悟先生と濱本真輔先生からは,『政治過程と政策』を頂きました。学振の企画である「大震災に学ぶ社会科学」1巻にして最終巻ということで,これで一応一区切りということになるようです。1巻は政治学者が執筆していて,震災後の公的意思決定過程や選挙結果についての分析が行われています。震災後の政治過程についてはすでにさまざまな記録が出ていますが,政治学者としてその過程を分析したというのはこの本からということになるのでしょうか。

そういえば頂いたのにご紹介を忘れていましたが,この2巻である『震災後の自治体ガバナンス』も著者の先生方から頂いておりました。こちらの方は,自治体レベルでの震災対応のほか,復興事業についての分析が行われています。震災後の自治体財政や,復興事業,瓦礫除去や広域処理など。実は僕自身も参加していたプロジェクトで復興の研究をしていて,頂いて早々にこちらの本で書かれている高台移転や住宅復興について勉強させてもらっていたのでせっかく頂いたのにご紹介を怠ってしまったという話でした…。

サントリー文化財団からは二つ頂いておりました。『ポストモダンを超えて』『高坂正堯と戦後日本』です。ともにサントリー文化財団での研究会の成果をまとめたものとして刊行されています。前者については,「21世紀の芸術と社会を考える」という副題がついているように,音楽や芸術,文化を扱うもので,ちょっと僕の知識でついていけるとは思えないのですが勉強させていただきたいと思います。後者については,五百旗頭先生はじめ高坂正堯先生にさまざまなゆかりのある優れた研究者のみなさんによる論文集です。国際政治研究というだけではなく,時評なども含めて高坂正堯先生が社会とどう向き合っていたかというようなことを中心に論じられていて,こちらも専門とはちょっと違うのですが,思わず引きこまれてしまい非常に面白く読ませて頂きました。高坂先生のハーバード在外研究という話が特に興味深くて,自分自身も予定している在外研究とどう向き合うかということを考えるきっかけになったところです。

高坂正堯と戦後日本

高坂正堯と戦後日本

最後に,すでに定評のある著書の(増補)新版を頂きました。まず池内恵先生からはサントリー学芸賞をとられた『イスラーム世界の論じ方』をありがとうございます。以前のものに加えて八本の論文を「第4部 対話」として加えられています。共通した問題意識のもとに様々な形で書くことで,対象を立体的に見せるということかと思いますがこれは本当に難しい。しかもそれを論文だけではなくて時評を含めて興味深いかたちで仕上げられていると思います。僕なんかがやると特に時評のほうは「選挙制度改革」とかなんか同じことばっかり言ってるような感じになるわけですが…。

もうひとつ,新潮選書の編集部(というか細谷先生?)から,高坂正堯先生の『世界地図の中で考える』を頂きました。ありがとうございます。上でもひとつご紹介していますが,没後20年,ということでいろいろと企画されているようです。

増補新版 イスラーム世界の論じ方

増補新版 イスラーム世界の論じ方

世界地図の中で考える (新潮選書)

世界地図の中で考える (新潮選書)

*1:松岡先生は以前の『行政の行動』でも韓国・タイとの比較をされていましたね。

2016-05-27

[]最近の政治学教科書

この間いろいろといただきものがありました。年度の変わり目ということで,教科書が多かったと思います。

まず,出版社から『比較政治学の考え方』を頂いておりました。ありがとうございます。有斐閣ストゥディアシリーズの政治3冊目!ということです。内容は,どちらかというと新興国の比較政治研究を念頭において,内戦や政軍関係,民主主義の室,新自由主義といった一般的な政治学の教科書では扱いにくいようなものも含めて,説明されています。著者の先生方がみなさん比較政治と同時にそれぞれ専門として地域研究もされているという方々なので,事例も豊富で読んでいて面白い優れた教科書だと思います。本書を手にとってから外国研究・地域研究を行う学生・院生が増えると,地域研究のスタイルがずいぶん変わってくるのかもしれない,と思いました。

比較政治学の考え方 (有斐閣ストゥディア)

比較政治学の考え方 (有斐閣ストゥディア)

土倉莞爾先生から『現代政治の理論と動向』を頂きました。ありがとうございます。こちらは教科書ですが,市民社会や教育政策,福祉国家などといったトピックごとに各章が執筆されていて,「どちらかと言えば論文集のような書籍」となっているところがありますが,「各章で扱われているテーマに関する主要な理論や実際の動向を紹介し,現代政治の主要な制度やアクターについての理解を促すような記述を心がけた」ということです(いずれも「はしがき」)。各章をそれぞれの分野の入り口として読んで見るというのもいいのかもしれません。

森本哲郎・堤英敬・白崎護の各先生からは『現代日本の政治−持続と変化』を頂きました。ありがとうございます。こちらのほうは,この20年位で進展してきた政治学の理論的な発展を意識しながら,それを使って現代日本政治のさまざまなトピックを分析する,というスタイルです。対象は,政党,利益団体,市民運動,首相のリーダーシップ,官僚選挙投票行動,政策過程,国会,司法,地方政治,政治と情報,といったところ。司法として裁判所の独立性だけでなく,検察や弁護士も議論されているのは一つの特徴じゃないでしょうか。こういう「日本政治の教科書」って実はそれほど多くないような気がします。

木寺元先生からは『政治学入門』を頂きました。ありがとうございます。執筆者紹介を見ると,東大の総合文化研究科で内山融先生の指導を受けたみなさんを中心に書かれているような感じで,ちょっと懐かしかったです。選挙制度や投票行動,政党,議会,執政,公務員…などスタンダードなテーマを扱いつつ,各章のはじめにテーマに関連するいろいろな立場で「あなたならどうする」という問いが立てられていて,政治を自分の問題として考える仕掛けをしたうえで,それぞれのテーマについての解説がされていくという展開になっています。巻末に用語説明などもあって,初学者にも読みやすいものになっているといえるでしょう。用語説明は,『政治学の第一歩』でも見習いたいところだなあと思いました*1

政治学入門

政治学入門

というわけで,非常に多様な入門教科書が出ていた年度末でした。いろいろな入り方があるわけで,どうやって政治学を学び始めるか,というのも重要なトピックなのかもしれません。

*1:…まあ紙幅の問題もありますし,書き出すとまた長くなる可能性があるわけですが。

2016-05-25

[]『指紋と近代』

朝日新聞の報道によると,りそな銀行印鑑の取り扱いをやめて,生体認証も含めた他の方法による本人確認に移行していくという。

りそなホールディングスは3年後をめどに、住宅ローンや口座開設などの手続きで印鑑を押すことを原則として取りやめる。大手行では初の試み。利用者の手間を減らせるうえ、銀行側も、事務を減らして行員を営業の強化に回せる。印鑑の使用を取りやめる動きは他行にもあり、銀行手続きから印鑑が消える日も遠くなさそうだ。

東和浩社長が19日、朝日新聞の取材に明らかにした。東社長は「(印鑑をなくせば)業務は百八十度変わり、極力効率化できる」などと語った。

現在、りそなでは口座の開設や預金者の住所変更、住宅ローン契約を結んだときなどに、印鑑を押してもらっている。多い場合には一つの手続きで10カ所以上に押すこともあるという。

今後は、担保の設定など、行政への手続上不可欠な場合を除いて印鑑を原則不要にする。ICチップ付きのキャッシュカードや指の静脈を利用した生体認証で本人確認する。

りそな銀、印鑑やめます 大手行初、3年後めど

最近銀行にいって,外為関係の手続きをするときに,当然まあマイナンバー要求されるだろうと思って通知カードを持って行ったものの*1,印鑑を忘れて出直しに…。あらあらとは思ったものの,しばらく使っていない銀行カードの利用だったしまあ本人確認も難しいから仕方ないなあと思いつつ,窓口では「マイナンバー入ったのにまだ印鑑使うんですねえ」と意味ない嫌味を言ってしまった*2。今回の報道によれば,りそな銀行は印鑑による本人確認を止めて,他の手段にするという方針をとることになったというわけだが,そこで出てくるのがICチップ付キャッシュカードや指の静脈を利用した生体認証ということ。本人確認をするために,その本人にしか知り得ない情報(パスワードなど:ただし忘れることがある),本人しか持ち得ない何かの実体(印鑑やICカード・免許証の券面など:ただしなくすことがある)に依拠する必要があるわけだが,本人確認の難しさは,その情報や何かの実体が本人と基本的に離れていないようにして欲しいというところにある。忘れてしまうパスワードや身につけていないものではその人本人であるという同一性の証明が難しくなるわけだ。

静脈や虹彩,そして『指紋と近代』で取り上げているような指紋などは,このように本人しか知り得ない・持ち得ないものであると同時に,基本的に常にその人とともにあるという意味で本人確認を行うために非常に適した道具であると言える。ただし,このように本人にとって便利な本人確認の手段は,国家/政府にとっても便利な本人確認の手段でもある。特に,人々が生まれた土地から切り離されて移動を行うような近代国家では,移動する人々が誰なのかということを管理する要請が強まり,指紋はそのような管理を行う便利な手段として重宝されることになったわけだ。本書では,まず指紋がどのような経緯で本人確認の手段として用いられるようになったかを明らかにしたうえで(1章),日本に指紋管理が導入されて「満州国」といういわば実験国家で主に移動する人々(主に中国からの出稼ぎの労働者)を管理する手段として利用されていたことを記述していく。1章はお話として本当に面白いし,満州国の話についてももともと「国民」を管理しようとしたものの国民自体の定義が難しくて挫折していく過程は非常に興味深い*3。そして戦後では日本における指紋管理として,国民レベルの把握とその挫折,愛知県における奇妙な継続(6章)と外国人登録制度(7章)について扱い,指紋を通じた国家による国民管理の論点について浮き彫りにしていく。つまり,戦前と連続するかたちで,指紋登録を強制的にさせられない中でどのように「自発性」を確保するか,そして戸籍で管理されていない「移動する」外国人をどのように管理するかという問題が出てくることになる。この辺りについては遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史』でも扱われているわけだが,移動する人々を管理する問題のあわせ鏡として,移動しない〜戸籍で管理される人々の問題も考えることになってくる。とはいえ最近は戸籍で管理されてきた人たちもさんざん移動してバラバラになり,戸籍の自由な閲覧も(当然に)制限される方向だから,より包括的な管理の必要が生まれているということかもしれない。

最近の状況変化は,本書の終章で議論されているように,管理する技術が長足の進歩を遂げているということももちろん極めて大きいわけだが,行政国家化・サービス国家化が進展する中で,人々が行政の提供するサービスと無縁であるわけにもいかず,「自発性」を確保しやすくなっているところにもあるのではないか。もう少し正確にいえば,「自発性」によらないで生きていくのが非常にめんどくさくなっているというべきか。しかも,りそな銀行の例があるように,国家/政府のみならず,民間企業がそのような情報を収集・管理してしまうという。近代国家が一元的に人々の情報を管理するというビッグブラザー的世界というよりも,なんかよくわからないうちに多くの企業が人々の情報を勝手に収集・管理してしまうわけで,まあよりめんどくさい話だとも言える。ビッグブラザーに対しては,政府にそんな権限を移譲してやらないっていう自由主義的なメインの話として議論されやすいと思うけども,自由な意思決定主体であるところの企業がこれをやりだすと,がんばって人々の代表でつくる政府としてきちんとコントロールするという民主主義的な解決が浮上せざるを得ないようにも思う。まあもちろんそれでビッグブラザーができてくるっていう話もありうるのかもしれないけども…。難しい…。

*1:残念ながら個人番号カードは持っていないので…実際のところ今依頼しても数ヶ月は発行されないらしいし。

*2:はあ何のことでしょう?という反応だったので嫌味にも何もなってないわけだが…。

*3:「五族共和」を謳うなかで,満州国民というのを作ろうとしたときに,日本人をそこに帰化させるかどうかという問題が出てくる。