戦前日本政治研究

週末は大阪へ。なんだかんだと予定が狂いつつ,当初読もうと思っていた本を読まずに大阪においてあった村井[2005]を読む。戦前の日本政治に関する研究,あるいは政治史の研究は専門とは関係ないものの,政治学の中で若手研究者の優れた博論(?)がおそらく最もたくさん出版されている分野であるために,博論をまとめなくてはいけない身としてはとてもとても参考になる。
村井[2005]では,1918年の原敬内閣からスタートして,1927年若槻禮次郎内閣が崩壊して田中義一内閣に至るまでを分析対象としている。端的にまとめると,「政党内閣制」が成立するに至るこの時期の政治改革は,「個人に依存するシステムから制度に依存するシステムへの改革」であると位置づけられ,それまで藩閥政府や元老が担ってきた「明治立憲国家の宿命である分立的諸機関の統合」をなぜ政党が果たすことになったのかを分析するものになっている。イギリスのように選挙の結果によって二大政党の間で政権交代が起こり,各政党が有権者の信任を受けて統治を行うことを理想的なモデルと考える西園寺公望が,元老として首相選定に大きな影響力を持つものの,当初は憲政会(=加藤高明)への不信から,政権を担える唯一の政党であるとするところの政友会を中心として,政友会と貴族院(研究会)との連合で政権を継承していくことを目指しつつ,1924年には総選挙の結果を受けて加藤高明をしぶしぶ指名し,加藤の憲政会内閣が統治能力を示したことでその後1932年までの「政党内閣期」が生まれたという分析は読み応えがあった。加藤が首相に就くに当たって「選挙」が極めて重要な要素であり,またその観点からして1926年に政局が混乱する状況において若槻が選挙による審判,選挙による問題解決を避けて妥協に走り,次の田中内閣が「選挙」の結果生まれなかったことがその後の民主制の崩壊・軍部の台頭に繋がる決定的なポイントだったという仮説は(もちろん歴史にifはないので)検証できないとしても,非常に魅力的な仮説だと思える。
この分析では,首相の選定というのが最も大きなポイントとなっていて,だからこそ,首相選定において最も大きな役割を果たす元老・西園寺公望に関する分析が多くの部分を占める。西園寺はその出自や履歴からイギリス・モデルへの理想を持ち,元老のような個人による選定に頼らず,ルールによって実質的な選定が行われることを漸進的に実現させるようなかたちで行動していたことについて資料的に裏付けられていく。もちろん他の多くのアクターが絡む政治過程が分析されているわけですが,その中心となるのは西園寺であり,彼の個人的な特質を抜き分析が行われることはありえないわけで,前に某先生から聞いた「政治学は平均的なものを,歴史学は英雄的なものを記述する」というまさにその通りの話だなぁ,と。しかし,問題意識は政治学のものとかなり重なってくる。それは,選挙によって信任を得た政党によって統治が行われるべきか,それとも政党(選挙の結果)に関わらず統治が行われるべきかという政治システムをめぐる競争(闘争)と,政党内閣制を所与とした政権をめぐる競争(闘争)とが並立して存在するという問題意識であり,論文でもこのバランスを取るために西園寺がいかに努力し,そして若槻のときにいかに失望したか,ということが描かれている。
同じような問題意識に立つ研究として,竹中[2002]がある。しかしこちらにはあまり英雄的な要素は出てこないわけで,社会経済的な変化やエリートの政治的正統性に対する意識などを中心として,民主体制に向けた改革(民主化途上体制)とその挫折が描かれる。政権をめぐる競争が激しすぎたことで政治システムをめぐる競争において政党内閣による統治への正統性が傷つけられ,民主化途上体制が崩壊に向かったという分析がなされており,やはり若槻内閣のころの混乱が民主体制の正統性を傷つけることになったとしているところでは共通するが,民主体制に向けた改革において重要視されるのは西園寺のような「個人」ではなく,社会経済的な変化やエリートの政治的正統性に対する意識などになる。もちろん両方とも揃ったことで民主体制への途が拓けた,ということなのだろうけど,専門外の第三者としては,このような「西園寺がなくても」という議論に対して著者がどう応えていたのかをちょっと読んでみたかったような気もする。
それから,次に読むもののための備忘として。村井[2005]では,西園寺が強調されることもあって,ふたつの競争の中で相対的に弱い憲政会(→民政党)がどのように行動したかについては比較的分析が薄かったような印象がある。憲政会は政権を奪うために泥仕合をかけるインセンティブを持つが,それは同時に民主体制への信頼を傷つけるというリスクがあると考えられる。そのような二律背反に直面する政党がどのように行動するかというのは興味深いのではないかと。これについてはそのうち奈良岡[2006]を読みながら考えてみる,ということで(まあひょっとするとぜんぜん違う話なのかもしれませんが…)。

政党内閣制の成立 一九一八~二七年

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戦前日本における民主化の挫折―民主化途上体制崩壊の分析

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加藤高明と政党政治―二大政党制への道

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