アウェイ感バリバリ

友人に教えてもらって、社会課題の解決に向けて考える学生向けのイベントに参加した。

内容については、それなりに面白いところもあったけれど、何よりしんどかったのが言語障壁。
海外からのゲストスピーカーのスピーチは基本的に英語。質疑応答も英語を奨められる。一応大学院まで出てはいるものの、リアルタイムのコミュニケーションで使えるスキルは皆無と言っていい私にとっては手も足も出ない。視覚的な資料があればまだ理解はしやすかったのだろうが、それもほとんどない。結局、半分以上の時間を何もわからず過ごし、のみならず、周りがそれなりに反応(爆笑したり)している様子にただただ消耗していくばかりだった。
その時に思ったのは、聴覚障害など、情報保障に関する配慮が必要な人たちも、こんなことをしょっちゅう味わっているんじゃないかってこと。みんなが何を話しているかわからない。何が面白いのかわからない。全然ついていけない。聴力がめっきり落ちた祖母も、会食のときに同じことを感じているのかもしれない。聴覚刺激の複数同時処理が苦手な発達障害の傾向がある人も同様かもしれない。私の場合は、日本人学生の大半の人の英語の発音が生理的に受け付けなくて、余計に疲れてしまった。
単に自分がしんどかったのに加えて、企画する側がどういう意図でそういう設計にしたのかもとても気になった。英語の使用に問題のない人のみを参加者として想定していたのか。英語の能力が不十分な人が参加して、理解できなくても問題ないと考えていたのか。なぜ英語での質問を奨励したのか、気になった。もしかすると、そのような情報はホームページや案内メールに書いてあったのかもしれないが、見つけられなかった。

それから、見通しが持てなかったのも相当につらかった。
タイムスケジュールが元々の予定と大きく変わったり、事務局では詳細に決めてあっても、それが参加者には直前まで説明がなかったり、質問しないと説明がなかったり。これも、英語でアナウンスがあって、自分が聞き取れなかったんじゃないかと思うと、なかなか聞きづらい。状況に合わせて臨機応変に対応するのは、より良いイベントにするために必要だと思うけれど、それを共有することももっと力を入れてほしかった。

なかなか知る機会のないゲストと関わったり、似たような関心を持つ人たちが対話するとても面白そうな機会だっただけに、そのプラットフォームとなるイベントのデザインで消耗しきってしまったのは残念だった。自分の関わり方次第でもう少しよりよくその場にいることもできたのではないかと、今後のことを考えてみる。