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LoS (Locus of Scent)

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sunasand

人生を少し豊かにするための実験室。

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2014-02-25

兆し

| 07:26

昨日の朝、「あ、春だ」と思った。
まだ雪の残る寒い空気の中に、やわらかいものを感じた。
それはその日わたしの感覚器とつながったものであって、それは実はもっと前から訪れていて、気づいていたひともいたのかもしれない。

去年買ったアイパッド・ミニが、すこぶるわたしごのみにカスタマイズされてきている。まるで産まれたばかりの子どもを溺愛する父親のように、勝手に盛り上がって何度もこの話をしてしまう。「いやー、あとはGoogle Keepのアプリがあればなあ」なんて不満を漏らしながら、確実にハマっている証拠。

去年から目に見えて動き始めた学ぶ場のこと、それらとの関わりとこれからのことをけっこうな頻度で考えている。じっくりと1人で考えることはどうしようもなく必要で、いまはそれが足りてなくて、でも手を動かしてみたり、人とそれについて話してみたりすることもすごく大切でうあることがわかってきている。具体的に、具体的にしていくんだ。

そして、そういったものとおそらくは関連しつつ、生活のいろいろなものが変わりつつあり、変わろうとしている。その動きのはやさにはちょっととまどうこともあるのだけど、そのとまどいとは比べ物にならないほど、楽しみに満ちている。
すべてはつながっていて、だからこそとぎれてしまうものも限りなくあり、だから、ありがとう、なのだ。

2013-09-19

黄金の月の光に照らされて

| 08:16

ぎこちないメール文通がしばしばそうなりがちのように、短冊で書き出します。

・自然物の話。満月は今晩らしいけど、月曜と、水曜の月は、それはそれで綺麗だった。火曜日は、仕事でぐったりしていて空を見上げなかったか、月が出ていなかったかで、覚えていない。

・アマチュア心理士の話。心理学と一言に行ってもかなり広い範囲があって、僕が関心や親しみがあるのは、まず子どもの発達障害に対する行動分析的アプローチ、そこから転じて大人(青年)の発達障害や就職支援に興味がある。実習では緩い精神分析の先生に師事していた。特に防衛機制の考え方が気になった。学部生のときは認知心理学よりだったので、認知機能を切り出しつつ、ソフトウェアの個人差に焦点化して自己分析に使っていた。ロジャーズ系はピンとこない印象があるがフォーカシングは面白い。個人を越えた場のアセスメントや集団精神療法は、現実的には他のアプローチを補う重要なポイントだと思っている。

・時間休を頂いて生活における大事な書類を完成させてみる。夜のすごくおもしろそうなセミナーは予約がいっぱいになってしまったので、祖母に連絡を取ってこないだ渡しそびれた敬老の日のプレゼントを届けに行く。

・こういうことをなぜ書きたくなるのか。偏ってしまっているときに、整理をしたいという思いに駆られるのは前向きではあるが、生産性はあまりない。現実に働きかける前にまず整理したくなるくせは強固にある。そのものについては書けなさそうなので、周辺を周辺と理解した上で焦点を当ててみる。

・仕事は覚束ないんだけど、歯車が噛み合った手応えはあり、空回りしてもがき続けてたときよりはいい状態にいると思う。ここにエネルギーを注ぎ、現実にどれだけ介入できるかが、当たり前だけど働くということ。濱口桂一郎さんの「若者と労働」を読んでいる。

・学生のときに芝居を一緒にやったことのある立蔵というおもろい女優さんが、10月の2週目くらいに「梨はにばんめ、茄子はごばんめ」という催しものをやるそうなので、ぜひいこうと思っている。あとスガシカオの新曲とライブも気になっている。柴田淳はむりそう。

2013-05-18

ホワイトキャンバス

| 10:26

私には、「演劇」「心理」「行政」の3つの足を突っ込んでるフィールドがあると思っている。最近、それらの境界が以前よりもあやふやになっているのを感じる。
前から、わたしの感覚としては繋がっているものだという思いは強かった(特に演劇と心理は)。しかし、どうやらそれは外の世界においてもそうなのだと思うようなことがちらほら見られる。
たとえば「劇場法」や「助成金」といった行政制度に規定される演劇業界。児童や若者への心理的支援について関心を持つ行政職員。劇団の代表が政府の相談役に就く。引きこもりや心理療法をテーマにした演劇作品。

現象が複雑になってくると、捉えるのは難しくなる。どのような枠をこしらえて、日々進化する現実を解釈するかが重要になってくる。乱暴な単純化や、更新を諦めて埃の被った枠組みに対して説得力を持つような、現実の理解を補助する枠組みが専門性を大きく規定すると思う。

どれも中途半端な私は、だからそれぞれの分野に専門家がいることを強く意識した上で、拡大した世界での専門家を目指したい。


19日には何も確たる予定は入れてないのだけど、やりたいことはたくさん頭に浮かんでいる。コンタクト作成。デザインフェスタ。うさぎの読書会。仕事の準備もしたい。お茶と散歩、部屋の掃除も。

2013-04-23

池ノ上ポンポンド

| 07:43

ファミレスで隣に座った若い女性の片方が仕事の愚痴を言っていた。新しい上司がものを知らなすぎて嫌になったので仕事を辞めるという。耳が痛い。忘れたくて堪らない衝動に駆られたのでブログに書いて残そうと思う。

院時代の恩師の講義を受けに行く。集団力動の話。数年前と同じような話を聞いても受け取るものは変わる。職場のことや漫画「鈴木先生」のことを連想した。私に生じたこの表象を、拾って跳ねて展開させて、大きな池まで繋げてやるまでの作業が大事。

「Digital Gene」というアプリケーション開発会社が無料で配布している地理を覚えるパズルが秀逸すぎて感動する。使い心地への気配りがよく伝わってくる。こういうものを教育者が引き出しにして、有効な子には届けてあげられたらといいなと思う。

2011-10-10

共感する能力

| 00:52

先日、久しぶりに会った知人が興味深い話をしてくれた。
その人は、最近よく企業の人事担当者相手にセミナーを頼まれるのだという。テーマは採用面接の精度を上げる方法について。自己愛が強かったり、共感性の欠如している人物をきちんと不採用にできるためのコツを教えるらしい。
わたしはその話を聞いて、正直「おそろしい」と思ってしまった。わたしは自己愛が強く、共感性が低い人間だからだ。

心理臨床の仕事をしていたときの、否応なくそれに向き合わざるを得ない生活と、それが色濃く影響は及ぼしつつも、仕事への影響はだいぶ薄くなった今の生活との違い。わたしの迷いは、そんなあたりから糸を生やしている。仕事を自分の治療に流用していたことの持つ不健康さから脱したことを喜ぶべきなのか、向き合う機会を失うことで、一生固定してしまう可能性が高まったことを嘆くべきなのか。
おそらく正解はどちらでもなく、だからわたしはこれからも模索する。