日高義樹『アメリカ国粋主義―ジキルとハイドの論理を読め』書評

日高義樹氏の著作を読むのはこれが初めてである。かなり過激な見出しと派手な宣伝文句が並んでいることが多い氏の著作には、これまでほとんど見向きもしてこなかったのだが、アメリカのナショナリズムに対して自分の関心が強まっている時期に本書を手に取り、目次の中の「恐ろしく国粋主義的なクリントン世代」という見出しが決め手となって、読んでみる気になった。

見開きの紹介によると、氏はNHK外信部を経て、ワシントン支局長、ニューヨーク支局長、アメリカ総局長を歴任、NHK退社後はハーバード大学客員教授を務め、現在はワシントンにあるシンクタンク、ハドソン研究所主席研究員という肩書きを持っている。

さて肝心の本文であるが、日本経済がバブル崩壊で衰退を余儀なくされる以前の93年に出版された著作であるため、ますます勢力を強める日本経済に対して、不寛容になったアメリカ人のご都合主義(ダブル・スタンダード)、そして徹底的に実利に徹した国益中心主義の政策を中心に綴られている。

落合信彦もそうだが、この手の論は巷に溢れていて、そのような自己中心的なアメリカに対する評価において、それに対抗するには日本も同じ論理で行くしかないと考えるか、またはそれを脅威と考えて、別の方策で対処すべきと考えるかの違いはあっても、両者ともにそこに描かれるアメリカというのは、必ずマッチョでエネルギッシュ、かつ陰謀が渦巻いているイメージなのである。陳腐な言い方かも知れないが、やっぱりこれは一面的すぎると思う。スミソニアンの航空宇宙博物館元館長のマーティン・ハーウィット(近日書評アップ予定)のような「良識ある知性」は、たとえ政治力としては弱小であっても、決して少数派ではないと自分は信じている。

かつて氏の著作に見向きもしなかった時の自分の偏見のことを考えると、淡々とした語り口は意外に自分の興味を引いた。「アメリカの議員のほとんどは、国際的視野も感覚もない」と言い切るあたりは、本来日本を批判する言葉であるはずの「島国根性」がアメリカにもあてはまることを明かしていて面白い。

しかし、である。やはりこのような陰謀説に満ちたアメリカ像というのは、読んでいてそれなりに興味を引くものかも知れないが、反面生み出すものも少ない。その証拠に、アメリカの裏の顔をさんざん暴いたあとに出てくる結論が、以下のようなレベルの駄文に留まるのである。

日本とアメリカはいま二国間だけで、がっぷりと四つに組んでしまい、身動きならない状態になりつつあるが、日本もアメリカも、もっと国際世論に訴え判定を頼むことを考えてはどうか。コミュニケーションの近代化とともに、国際世論がきわめて重要になってきている。日本とアメリカだけでケリのつかない場合には、双方のいい分をガラス張りにし、国際世論、とくにヨーロッパの世論の前に公開して、評価をあおぐことも一つの道である。(205頁)