徒然なる備忘録

2006-07-25 岡真史『ぼくは12歳』書評

新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫)

新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫)

勢古浩爾が『自分をつくるための読書術』(ちくま新書)の中で、「なにも言えない」というコメントだけ添えて紹介していたこの本。著者の岡真史君は、『生きることの意味』(ちくま文庫)の著者・高史明氏の一人息子で、12歳だった1975年に「近所の団地にて大空に投身、自死」した。この本は真史君が残した詩集である。とても12歳の少年が書いたとは思えないほど、鋭く現実を抉って言葉にしている。この書評の最後に、自分の印象に強く残ったものをいくつか抜粋しておく。


また文庫版では、巻末に若い読者たちと著者の父母(高史明・岡百合子夫妻)との手紙のやり取りが載せられている。この詩集が出たあと、とても多くの読者から両親のもとに手紙が届いたのだという。そして二人を驚かせたのが、圧倒的に多い若い読者からの手紙のほとんどが、真史君の自殺を肯定的にとらえていたことだったという。

私たちを驚かせたのは、その中の多くの方が、死んだ真史の気持を、よくわかる、と云い、あなたと同じように、自分も、死のうとしたことがある、と書いていらしたことです。(229〜230頁)

それらの手紙に対して、二人が寄り添うような優しさと感謝の念を相手に示しながらも、冷静に「いかにそれが生について真剣に考え抜いた結果であったとしても、自死は認められない」理由を切々と説く様子は感動的であった。高は「真実でない生き方を知らない者が、どうして自分の生が真実であるといいうるでしょうか。」(235頁)と言い、岡は以下のように言う。

生きていれば、楽しいことがあるだろう、とは云いません。この世に生きることは、勿論、楽しいこともあるかわり、悲しいことも、もっとあります。今の世の中では、あるいは、辛いことの方が、多いかも知れません。でも私は、それらのことを、味わいつくし、考えつくしもしないで、いってしまったことが、認められないのです。苦しみはしたでしょうが、しかし、それはごく短い期間で、結局、未だきれいな子供時代の思い出だけ持って、サッサといってしまったあの子。苦しみにのたうち廻り、生き恥さらしてからの死ではないということに対して、一抹の、よかった、という思いも、ないではありませんが、やはり、許せない、という思いの方が強いのです。いや、許せない、というより、充分、格闘もせずにいってしまったあの子が、いたましく、かわいそうで、どうしようもないのです。(231頁)

さらに、死ぬ側とは別に、大切な人を失ったあとも生きていかなければならない残された者として、両親は「なぜ、悲しみを背負いながら、生き続けるのか」の理由について、「この世から去ってしまいそうになりながら、なんとか踏みとどまっている若い人たち」の聞き役になりたいと言っている。きれいごとではない、「人間の知恵」がもたらす深い孤独を癒す対話の姿がここにあるように思われた。


この本は生きることの意味がわからなくなってしまった若い人たちにぜひ読んでほしい。そういう年頃の子供がいる親にもぜひ読んでほしい。死なんて自分とは無縁であるかのように生きている大多数の現代人にとって、「死もまた、日々を生きている」(194頁)ということがよくわかる本である。


*   *   *   *   *


時間

ひえたコーヒーをぐいと

のみほす

さとうを

入れていないことがわかった

角ざとうはもうない

時間がすぎさったから


かみをとかそうとする

くしが

おれていることがわかった

あたらしいくしはもうない

時間がすぎさったから


たびに行こうとする

でもいっしょにいく友が

いないことがわかった


アアあの人がいたならば

さとうはいつも用意して

おれたくしもかいなおす

たびもいっしょに

いけたのに

でもあの人はもういない

時間がすぎさったから



ごめんなさい

一つぶのなみだは

一てきの雨にあたいする

思いちがいのなみだは

雨上がりの葉からほとばしる

一てきの雨にあたいする

ごめんなさいというほほえみは

雨上がりのにじにあたいする



ちっこい家

ぼくは

でっかあ〜い家より

ちっこ〜い家の方が

スキだ

しょうじやガラス

たたみなどに

なんとなく

人間のアイが

人じょうが

こもっている

でっかい家の

こおりのような

つめたさがない……



つばき

つばき

おちてしまうとみんなは

「ワアきたない」という

はじめの

美しさもわすれてしまって



ためいき

ためいきばかりついている

自分がおかしい

ためいき たいくつ

おもしろくない

雨の日の午後

体に

カビがはえるときって

どういうとき?

こういうとき……



自分

たくさん人がいると

自分がきちがいになる

そして人は

自分だけがきちがいと

思っている

つまり

みんなが自分のことを

きちがいと

思っているのだ



ひとり

ひとり

ただくずれさるのを

まつだけ



じぶん

じぶんじしんの

のうより

他人ののうの方が

わかりやすい

みんな

しんじられない

それは

じぶんが

しんじられないから

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