続いている、ということ

昨日、ハセケンこと長谷川健一さんがレコ発のフライヤーを持ってきてくださいました。
ちょうど階下のlivehouse nanoの店長・土龍くんと話をしていたところでしたので、記念に一枚。

写真が小さくてアレですが、8月の午後の京都市中京区は、こんな感じです。


短い間ですが、二人の父親による育児トークを拝聴しました。ハセケンのお子さんは1歳半になろうというところ。対して土龍くんは二児の父。このふたり、同い年です。


ぼくより少し年上、いま京都の現場で音楽にかかわっているひとのなかで、一番古くからの知り合いかもしれません。ハセケンがギターに弦を二本だけ張ってライブをしていたところも、土龍君が「MC土龍」いう名前でメトロのステージに週3回出演していたところも、見ています。


あの頃に同世代で切磋琢磨し合ったバンドも、たとえば友人の所属していた大学のサークルから続々と出てきた年下のバンドたちも、気がつけば解散したり、就職してリスナーに専念するようになったり、狭い「音楽表現」のフィールド(この言い方は適切ではないですが、それ以外に見つかりませんので、あえてこう呼びます)から外の世界へ出て行ってしまったなあと、ふと思うことが多くなった今日この頃 。


それでも、自分の信じるように歌い続けた長谷川健一という人がここに居てまだ歌ってくれている、自分の周囲に流れる音楽を愛し続けた土龍(注:本名ではありません)という人がここに店を構えて場所を作ってくれている、そういう事実を体で感じると、まだまだぼくも行ける、行かなくては!と励まされた気になるのでした。


この日曜日、大阪は南堀江のカフェ&ギャラリー・チガーヌで共演させていただいたneruのお二人のライブもまた、信じたようにやればいいのだと、あらためて思わせてくれました。


neruは、ギューンカセットのサブレーベル「チャイルディッシュ・スープ」からリリースしていたバンド「スパロウズ・スクーター」(なんばベアーズの前・ブッキング担当、クロセさんも参加)イケガミさんとマツモトさんによるデュオです。


イケガミさんは、クロセさん、あらかじめ決められた恋人たちへの池永さんやキムと一緒に「mimi」というグループでも歌っていらっしゃいました。シグナレスがまだ頻繁にライブをしていた頃、最後に演奏していた「摩天楼」という曲は、もともとはこのmimiのレパートリーです。


その後、スパロウズスクーターやmimiでの活動が止まって、京都に居たぼくのところにはお二人の名前が聞こえてこなくなりました。が、2007年に突如リリースされた「眺めのいい場所」を、ほとんど予備知識のないまま(ジャケットがさかなの西脇さんによるものでした)当時のバイト先(某CD量販店)のデッキに入れて、その声に気付いたのでした。あ、イケガミさんだ、と。


それからさらに3年経って、先日はneruの生演奏を初めて体験しました。新しいCD-R音源も預かりました。どちらも、ファーストアルバムからもう一歩先に進んだ、確かな足取りの見て取れる音でした。


たとえばバンドが止まっても、それは「ひと」の創作が止まることではない。
何かを作って表現していた人間は、きっと「作る」ことから離れることは、ない。この点においては「どんな場所で」とか「誰を相手に」とか「何を作るのか」とかいうことは、あまり問題ではない気がします。


作り続けてきた人の、作り続けてきてここにある「いま」を目にするとき、ぼくはとてもうれしいです。


neruのライブ。音量が小さいので、ヴォリュームを大きめにすることをお勧めします。ちなみに、キラキラ鳴っているのは、おそらく天井から吊った風鈴の音です。


音源はこちら。おすすめですよ。

http://www.sunrain-records.com/catalog-2944.html