海の家

海の家の思い出なんて殆どない。
殆どないのに"海の家"って聞くとこころに針が刺さる。

思い当たる節はあるのだけれど。

ひとりじゃなにもできなくて、ふたりだとなにもしなくて。

平々凡々に生きるっていうことはそれなりに人並み程度には楽しいことも苦しいこともあるってことだろうってTwitterでフォローしてる人がつぶやいていて、あぁそうだよなあ。って納得した。

有名になんてなりたくもない、お金持ちにもならなくてもいい、ただ平々凡々で生きていきたいなんてよくいったもんだよ。

有名になんてはならなくてもいいけど、お金はほしい。だから働いてる。

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昔、友達と写真展に行った。写真があって、それに言葉を添えてる作品があって友達と「言葉を添えなくても伝わる写真が撮りたいよね」って話したことを思い出した。

それがいかに難しく、そして不可能に近いということを。

言葉に出したって相手に伝わることなんて早々ないことを写真だけで伝えるってわたしにはできない。

言葉を添えることである程度の思考の誘導ができる。
それが言葉だろうがタイトルだろうが。

そして相手に伝えたいことがあるのかないのか。
ある場合はそれをどれだけ伝えたいのか。
(伝える=理解ではないことは大前提)

ただ単純にあたまでっかちになるのはいやだから綺麗な作品をみて「綺麗だな」って思える程度でもいいんじゃないの。