川端さん

昨日、春の情報処理試験情報セキュリティスペシャリスト」をネットで申し込みました。


本題です。
川端康成さんの「雪国」11日に、昨日書いた笙野 頼子さんの「タイムスリップ・コンビナート」に収録されている3作目の作品を後回しにして、読みました。

雪国 (新潮文庫)

雪国 (新潮文庫)

実家にあった蔵書なので、講談社文庫。
日曜の朝日・読書欄の「重松清さんと読む、100年読書会」の、1月の本になっています。
「中学生が読むのはチョット早い」という趣旨の投稿もあり、
重松さんも、

確かに本作は静かな官能の美に満ちています。

と書いています。
蔵書の発行日確認すると、私18〜20歳ぐらいに読んだようです。
ん〜当時どんな風に読んでいたのでしょう?
記憶が無い。
ただ、書き出しの有名な文書は感動していた記憶があります。
その後読んでいないので、今回2度目。
今回は、駒子さん生き生きと書かれているの感じました。
そして、書き出しだけでなく、閉めの文書も美しかった。
今回読んでいて、なぜか情景が頭に浮かびました。
何故?
今でも記憶が定かではないのですが、何年か前に、実家のCATVで映画の「雪国」見た気がします。

雪国 [DVD]

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それでかもしれません。


手持ちの講談社文庫、川端康成さんの「年譜」付いてました。
読んでビックリ。
ウィキペデアです。
川端康成 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E5%BA%B7%E6%88%90

1899年(明治32年) - 大阪市天満此花町で、開業医の家の長男として生まれる。
1901年(明治34年) - 父栄吉、結核で死去。
1902年(明治35年) - 母ゲン、結核で死去。祖父母と共に大阪府三島郡豊川村(現在の茨木市)へ転居。
1906年明治39年) - 祖母カネ死去。
1912年(明治45年) - 旧制茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)入学。
1914年(大正3年) - 祖父死去。大阪市の母の実家に引き取られるが、通学のため茨木中学校の寄宿舎に入る。

追加すると、姉がいたのですが、両親が亡くなったあと母方の伯母の家に預けられて、3歳で別々になっています。
その姉も、1909年(明治42年)に無くなっていて、離別後1度会っただけだそうです。
15歳で2親等以内の親族が誰もいない。
そんな状況のようです。


昨日「タイムスリップ。コンビナート」図書館に返しに行きました。
閉まっていましたが、返却ポストに入れました。
もう一つの目的、
伊豆の踊り子

伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 (新潮文庫)

読もうと思っていたのですが残念。
家の近所の地区センターで、川端康成さんの全集あったので読みました。
横浜市、地区センターという施設が区内に何ヶ所かあって、平日は21時まで開いています。
便利です。
伊豆の踊り子」5章の終わりの方引用します。

二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に耐え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。


帰宅後、最近の読書傾向に影響を与えている。
2009-12-21 プロを目指す文章術 - なんやかんや
の、「伊豆の踊り子」について書かれた分部読みました。
踊り子一行と別れて、東京へ向かって帰る船の中で主人公が泣くのですが、
川端さんの事実は年譜で知る事はできても、
この文章の深い意味は私読み込めていませんでした。(^_^;)
確かに、その深い意味を作品中に書いてしまうと良くない感じ。
感じないとね。
いまさら遅いかもしれませんが、感受性を養うこと大切ですね。
あまりに繊細すぎると、それはそれで辛いのでしょうが、
様々な機微を感じ取る感性は大切だと思います。
「雪国」や「伊豆の踊り子」は、そんな機微のある小説ですね。
作品の書かれている時代もそういう時代なのでしょう。
そして現在も、その時代につながっていますし、私たちもその時代の人たちの末裔ですね。