レオナルドを視る

平日の夕方。という現在の状況としては最良の観覧条件をK氏の尽力でつくることができた。社会現象にまでなった「モナリザ展」の狂乱振りを冷ややかに傍見してきた、レオナルド・フリークの素天堂である。今回もさぞやと思ってはいたものの、外出のたびに見かける〈幼さの残るマリア〉の当惑した表情を見るにつけ、やっぱり会いに行きたいと思うようになった。フィレンツェに行けば逢えるとはいえ、かかる費用は千三百円ではすまない。表にでる機会の多いK氏にチケットを用意してもらい、時間の設定もしてもらっての、マリアさまとのご対面なのだ。十五時過ぎに、上野駅の公園口で待ち合わせ。国立博物館での行列を覚悟していたのだが、なんと、待ち時間0分。
確かに本展示『受胎告知』の前にはそこそこ人だかりはあるけれど、展観ルートに工夫があって直近のルートこそ例の「立ち止まらないでください」攻撃だったけれど、それでもゆっくり鑑賞することができるように構成されていた。もっとも、大行列ができるほどなら、それも問題外かもしれないが。若いレオナルドの筆遣いが生々しく残る画面は、今描いたようにみずみずしく、顔や着衣のドレープの美しく緻密な描写は、冷酷なポスターでの拡大画像でも、破綻を来すことがない。だから「こんなに小さいのか!」というのが、期待はずれの反面、ある意味こういった著名な作品にとっては讃辞でもある。
列に並び初めてから(とはいえ、既に、列についている状態で作品は充分鑑賞できるように通路に段差ができている)、ゆっくりと嘗めるように三十分。絵の前に佇んで、幼いマリアを見つめることができた。この状態なら、多分、ご実家の『ウフィッツィ』であってもこんなものだろうから、それで十分だ。
後は、印象が薄まるばかりになるだろう。いかにもレオナルドらしい、お品のいい、マリアさまのちょっとあっけにとられた表情の背景に描かれた、小さな街の風景や、左側のガブリエルさまの後にある、奇妙な山岳風景に後の『モナリザ』のモチーフと共通する描写を見付けて、喜んだりはできたのだから。
第二会場での手稿(ファクシミリ)の展示とその解説はざっと流して、その日は通常展観は遠慮。公園下の古本市(常設)でちょっと買い物して、御徒町で夕食、というか、レオナルド鑑賞記念宴会。最初にいった某大手食堂がK氏のお気に召さず、河岸を買えることに。歩き始めて物色している二人の前に現れたのが名前もゆかしい「大統領」ここでまったりと騒がしく、夜も更けてゆくのであった。