時の混沌、針のない時計

二週間ぶり、長いか短いか、カルガモの水面下の水かきのように、バタバタと動き回る日が続いていた。いくら自分で自信があったとしても、人に見えなければ何にもならないということを、いやという程味わった半月だったが、何とか格好が付きそうになってきた。新勤務先の指定する朝早くの健診を受けて、九時過ぎには時間があいた。平日の東京駅近辺は何年振りだろう。

思い立って、先日空中から眺めた東京駅ドームの工事を思い出して、周辺を歩いてみることにした。耐震工事中だった八重洲側も構内はほぼ工事が終わって落ちついたようだ。北側の自由通路を抜けて旧本社の前に出る。工事の養生がドーム下を被い、工事の真っ盛り、南口を見るとまだ三角屋根が残っていた。工事囲いを通して見える、中央郵便局の大時計に針がないのは、人目を引く。

張り付け保存という、あまり綺麗ではない方式がそこここで目につくが、丸の内の顔であった中央郵便局まで、経済効率という錦の御旗によってこの体たらくである。仲通も大名小路も、一階部分は、軒並みブランドショップの看板建築当世風に様変わりしている。オフィスビルだけでは成り立たないご時世だから、都心部も事務所ビルの立て替えは高層の住宅と化しているのだが、あの、バブル期の狂乱を目の当たりにしてきた身としては、これがいつまで持つのだろうかと思う。
明治の遺産の復興もよろしいが、戦後建てられた時代の証人が次々と消えていくのは仕方がないのか。たとえば、こんな入り口があって、中庭にこんな柱がある。確かに百年前のいい趣味にはちがいないが、今これを欧風と喜ぶのは、ちょっと違う気がする。

道一つ渡った新東京ビルはまだ健在だが、果たしてこれもいつまで持つかと裏に回って驚いた。ビルの外壁を取り払って、浮き彫り装飾を施すという、大英断である。幸い中央通路のパッサージュ空間はまだ生きていたのに一安心だった。
 

なんだか落ち着かないロートルは、うろうろと鍛冶橋の方へ歩き始める。

目的はヤミ市時代の生き残り、鳥藤の〈ミルクワンタン+ミニ炒飯〉だ。某営業時代、東銀座から斜めに横切って有楽町のガード下を通った頃があった。仲通のお得意と、線路脇のビルに入っていたある代理店に出入りがあった関係である。通りすがりで見かけた、店の前で野菜の皮むきをしていたあんちゃんが、今ではオヤジになっているが、まだ健在だ。十一時半ではちょっと早かったが、店内で待たせて貰い、出てきた頃には、何時も通り満席になっていた。平日の昼休みという今ではなかなか出会えない、普通の勤め人生活をちょっと思い出して、昭和通の向こうの新生堂奥村書店を目指す。途中、松屋の裏で、意外な人物とひょっこり、前の職場で唯一口を聞きあったUさんと立ち話。近況をすこし。昼で立て込む通りを抜けて、奥村書店でいつもの長話。帰宅。こんな贅沢はこれが最後かな。