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2015-09-28

暁の空

11:21

 暗いうちに目が覚めて東の空にかなり明るい星を見る。

益田柿本神社参拝

11:21

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 ホテルの無料モーニングサービスをいただき、部屋を片付けてチェックアウト。フロントに預かってもらっておいて、身軽な状態で益田柿本神社に向かう。
 益田の街ほど方向感覚を狂わさせられる街はない。何か磁場が逆転しているかのように反対方向に走って行っていたりする。おそらく広い平野の中でランドマークがなく、川が蛇行して流れていたりするためではないかと思われる。Google mapのおかげで何とかたどりつく。神さびた神社で、縁起によれば、鴨島にあった人丸寺の仏像が、その後の津波で流されて松崎の浜に漂着したのを祀ったことを創建とし、その後江戸時代に藩主が津波のこない丘の上に移築したのだという。参道の石段が天国に続くかのように伸びていて、それが登り切ったところに本殿があるのだが、ほぼ東向きに建てられており、南南西向きに登ってくる参道とは直行している。本殿脇には人麿公の銅像あり。参拝後社務所で女性の方と挨拶する。御朱印帳は売っておられないようである。
 今回の訪問で人麿ゆかりの神社の御朱印だけを集めたご朱印帳を作るという目標があったが、これは難しそうである。神社を辞してホテルに戻ろうとしてまた道に迷い、さらにどこかで帽子を失くしたことに気がつく。迷いついでにナフコに行って調達。風は涼しいが、快晴で日差しが強いので帽子なしでは本日の予定はこなせない。
 ホテルに戻って荷物を受け取り、背中に背負って益田駅前まで走り、アンフォールドして特急券の発券を受けるまで13分間であった。

江津市

| 11:21

 益田駅1031時発のおき2号に乗車。指定席車1両、自由席車1両の2両運転である。自由席車の真ん中寄りに元々車掌室であったとみられるスペースがあって、ここに豆御殿号をおいて、車窓の風景を眺める。1118時に江津駅到着。TNF BCダッフル(13.8 kg)とキャリーカート(3.6 kg)はコインロッカーに預けて身軽に出発する。
 駅の西側の崖の上に、吊り橋のような設計の江津市役所がある。
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 そこから南に緩やかな坂を上がり、島ノ星山中腹の高津柿本神社をめざす。矢富熊一郎氏の昭和30年代の頃の紀行文を《柿本人麻呂と鴨山》で読んだのが、今回の旅のヒントになったのである。ただし、矢富氏はご子息と都野津の水尻川を遡行し、高角山に登った後、「開拓道路」を通って江津駅に下りて来られたようであるが、水尻川源流域は地形図で見ると現在でも迷いやすそうな道が交錯しているため、筆者は江津駅から国道9号線の島の星橋の下をくぐり、椿の里へと続く「開拓道路」を往還するルートをとる。最初はローギアでゆっくり進んだが、途中から押して登る。つくづく荷物をロッカーに預けて来てよかったと思った。島星山は、大変わかりやすくロゴマークの植樹あり。Google mapを意識されたのであろうか。
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 約30分で高角山公園に到着。柿本人麻呂の「石見野や高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」に歌われた高津柿本神社は戦後この地に開拓団が入った時に公民館(現コミュニティセンター)とともに建てられたものであるらしい。人麻呂と依羅娘子の彫刻が設置され、隣接してグランドゴルフ場がある。今後高齢化が進むとだんだん上がって来られる方が減ってくるのではないかと心配になる。
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 田中俊晞《な思ひ》2006.4 万葉銅像建立委員会
 神社を辞し、さらに進んで冷昌寺を目指す。途中で車で通りかかったおじさまに道を尋ねたら、ご親切に「椿の里」の奥にあると教えてくださる。しばらく進み椿の里の入り口に到達。おじさまは椿の里の事務所のところで待っていてくださった。毎日来られているのだそうだ。山腹一帯に椿の木が植えられており、季節になれば山全体が椿色になるのであろう。

冷昌寺

| 11:22

 坂道を上がっていくと、衝突クレーターが池として残っており、今の時期は干上がって形状を確認できる。NEX-5Tをパノラマモードにして撮影するが、引きが足りないのでなかなかうまくいかず。目測で7 m×20 mの楕円のクレーターが残っているようである。
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 令昌寺はそのすぐ上である。本殿脇に隕石堂が見える。
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 お寺の縁起によれば、隕石落下は貞観十二年九月八日(西暦870年10月20日前後?)とのことである。10月20日前後となると、かのHalley彗星を起源天体とするオリオン流星群が極大となる時期であるが、オリオン座の輻射点が上る頃に「東天より飛来」したのであれば、理にかなっているように思われるが、果たしてこの隕石はハレー彗星と関連するのであろうか。
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 隕石堂に祀られている隕石は、手で触れることのできる、世界的にも珍しいものである。ここまでやってきた甲斐があったというものだ。全体としてティアドロップ形をしているが、表面に空力加熱を受けて溶融したような痕跡はなく、衝突時に粉砕された破片の一部分のようにも見えない印象である。《柿本人麻呂と鴨山》によれば、昭和30年代にはさびれたお堂の「厨子の傍に置いてあ」るくらいぞんざいな扱いを受けて身近に体験できる形に展示されていたらしい。
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 世界最古の落下を目撃された隕石は直方市の須賀神社にある重量472gのL6-コンドライトの石質隕石とされている。「翌日、深くえぐられた土中から黒く焦げた石が掘出され桐箱に納めて保存したという地元の伝承が残っている。桐箱の蓋の裏には「貞観三年四月七日ニ納ム」という墨書がある。」とのことだ。島の星隕石より9年前ということになる。
 今回の旅の主要な目標が達成できてホッとしたところで、風のように坂を降りる。最高速度51.3 km/hを記録。
 江の川の河口付近の堤防で潮風に吹かれて命の洗濯。駅前にあまり食事できるお店が見つからず、かなり疲れもたまっている感じなので、温泉津に足を伸ばすのは取りやめにして、本日の宿泊地である浜田市に移動。

浜田市

| 11:22

 駅前で自転車を組み立て、TNF BCダッフルを背負って2ブロック先の宿舎まで移動。シャワーを浴びて、汗まみれの衣類をコインランドリーで洗っておこうと考える。検索してみると、駅前にもいくつかコインランドリーが見つかったので自転車で向かっているうちに、チェーン外れが多発するようになる。一旦宿舎に戻り、破損していたチェーンカバーを取り外すが、高速側にギアを入れた途端にチェーンが外れてしまう状態は変わらず。どうも輪行中に転倒させた時にクランクギアを曲げてしまったようである。
 近隣にコインランドリーを見つけ、洗濯している間に向かいの大阪王将でワサビ豚カツ丼を夕食とする。
 低速ギアなら安定して走れることを確認して、明日の旅程をどう変更しようかと考えながら寝てしまう。