2012-02-23
11年間ありがとう!
長男が夕食前にいいました。
「明日のお弁当はいいや。試験は午前中に終わるし、家で食べるから」
「うん。わかった」
「今日でお弁当最後だったね。」
「えっ?あ、っそうか〜」
というわけで、幼稚園から始まり、小学校こそは給食でしたが、中学はお弁当(津市は当時給食がありませんでした)そして高専の5年間、計11年間のお弁当作りは今日が卒業式になりました。
この11年間、お弁当を残してきたのは両手で間に合う、というくらいいつも綺麗に食べてくれました。
ひじきや、切り干し大根の煮物、煮豆、定番の玉子焼きのバリエーション、鮭、牛のしぐれ煮、鶏肉の照り焼き、などなど、和風中心のお弁当です。だんだん大きなお弁当箱になると、冷凍食品で隙間も埋めることも度々でした。
高専に通いだしてからは、学食で食べたこともありましたけれど、「やっぱり弁当は飽きない」「弁当は素晴らしい」と作り手にとって嬉しい事を言ってくれることもありました。
「弁当うまそうだね」と友だちに言われた、といわれたというので、なんて答えたの?ときいたら、「うまいよ」と答えた、と報告してくれたこともありました。
母をノセルのがうまいだけかもしれませんが、残さずに食べてきてくれるのは何より私にとっては勇気づけられていました。
長い間、お弁当を食べてくれてありがとう!今はそんな気持ちです。
幼稚園に持っていった、青い小さいお弁当箱、冬にはアルミのお弁当箱だと温めてくれる、というので、アンパンマンのお弁当箱もありましたっけ。
私のお弁当作りはまだまだ続きます。
が、今日はひとつの区切りだなあ、私のお役目がまたひとつ終わったなあ、と思うのです。
2012-02-18
おばあちゃんになったら
このところ、音楽づいているのですが、今日はコーラスの伴奏でした。
この「コーラスてらやま」さんとは、かれこれ7年近いお付き合いになるでしょうか。
私が三重に越してきてから夫の職場の奥様でやはりピアノを弾かれる方に紹介して頂きました。
「コーラスてらやま」さんは、津市のおとなりの美里村の合唱団です。
今は平成の大合併で津市になりましたが、村から市に変わるとき、村民歌もこのコーラスが歌ったのを今懐かしく思い出します。
そして今日は津市の回りの新市内の合唱団が毎年交流のために開いている「音楽の集い」とでもいう小さな音楽会です。
そして「コーラスてらやま」が平均年齢が一番低いグループで、他の合唱グループは老人クラブ連合会がやっているような、高齢の方ばかりです。
毎年この時期に開かれるので、開会の挨拶では「今年もお会い出来ました」から始まり、閉会は「来年も元気でお会いしましょう」で終わります。
歌をうたうことを楽しんでいる方々です。
御多分にもれず、圧倒的に女性が多いのですが、着飾って歌っている姿をみながら、私はこの年令くらいになったらどんな生活をしてどんなお年寄りになっているのかな、と考えてしまいました。
あと数年後にやってくる50代の私はまだ何かと忙しそうです。でも60代の私、70代の私、80代〜(まだこの世にいるのか?)と想像するけれど想像できないのです。どこに住んでいるのか。孫のひとりでもいるのか?何をしてくらしているのか?
どんな歳の重ね方をしたいのかくらいぼんやりと考えておくべきなのでしょうかね?
10代の頃は元気なおばあちゃんでいたい、とそれだけを思っていましたが、人生の折り返し点を過ぎた今はそれだけではしっくりと来なくなってしまいました。
人生の先輩方を大勢見ながら私のこれから、、、を少しイメージしてみようかな、などと思ったのでした。
2012-02-15
「みちくさ」
昨日、音楽仲間のひとり、バスサックスくんの地元の保育園で演奏会をしてきました。音楽仲間
1時間の持ち時間で保育園から提示された私達にとっては新曲も数曲演奏させて頂きました。
そのひとつ「みちくさ」(作詞作曲:新沢としひこ)のメロディが今日も時折頭の中で流れています。
歌詞の付いている曲は一人で練習するときもだいたい歌いながらピアノを弾いてみるのですが、歌っているうちに涙がでてきてしまって、何度も練習を中断した曲です。
3拍子のリズムにのって、長調なのに泣かせるのです。
リズムもメロディも歌詞の内容も大好きになりました。
一人で気持ちよく練習をするのですが、フルートやサックスとあわせてみると、私の中でなんだかスッキリしない感じがしてきました。
「この曲どんな感じの曲だと思う?どんなイメージを持って演奏している?どういう路線で弾くか迷っているのだけれど。」と二人に聞いてみました。
と、フルートの彼女が「意外にしっとり系かな。三拍子だけどね。私この曲泣けてくるんさ」というではありませんか。
おお、私だけでなかった。
「そうだよね、そうだよね。歌詞の内容ぐっとくるよね。私も練習しながら泣けてきたよ」
その後彼女が一拍目に重みをかけてみては、というのでそのように弾いてみました。
「あ〜、なんだか泣けてきちゃった。」と彼女が目をこすりながら言います。
今回の曲の中でもお気に入りの曲になりました。
が、本番、前奏を弾きだしたら途中で止まってしまって、弾き直すはめになってしまいました。
思い入れが強すぎたのかもしれません。
その後は無難に演奏を終えましたが、今考えてもどうしてあんなミスをしてしまったのかわかりません。
でもこの曲、またいつか絶対演奏したい曲です。
どんな歌詞?どんな曲?なのかって?
それは聞いてみてのお楽しみ!
YouTubeにあげてみようか、なんてサックスの彼が冗談半分に言っていましたが、どうなりますか?
2012-02-08
インフルエンザ流行中
週明けの月曜日の朝、幼稚園の2本の電話は鳴りっぱなしでした。
欠席します、という電話が次々と入ったからです。
それが一段落すると、10時過ぎからは「お医者さんに行ったらインフルエンザでした」という電話が何本も入りました。
そして10クラスのうち、3クラスが40%以上の欠席者がでて3日間の学級閉鎖になりました。
年中さんは3クラスのうち2クラスが学級閉鎖で、今日もひっそりとしていました。
1月の末に幼稚園最大の(?)イベント、生活発表会がありました。
その頃は胃腸風邪が流行っていて、ホールで保育室で嘔吐する子も多く、欠席もぼちぼちおりました。
私も嘔吐物の処理をすると、先生方に「貰わないでね」と念を押され、手洗いなどに気を遣いました。
発表会前日のリハーサルの日は、楽屋で嘔吐する子、発熱して途中で帰宅する子もありました。
その一人の園児がインフルエンザでしたから、狭い空間に密着していましたし、当然といえば当然のかもしれませんが、発表会が終わった途端にあちらこちらでインフルエンザにかかった園児が出てきました。
クラスで熱が出たことが確認されると親御さんのお迎えがくるまで園児は職員室で過ごすことになります。
それこそ狭い空間と乾燥した室内、いつもらってもおかしくない、という状況です。
その中で園児の切れ目があると窓を開けて換気をし、「絶対大丈夫、インフルエンザにはならない」と事務局長が大きな声を出して宣言をし、私もそれにならいます^^:。
そんなことを言ってもウィルスなのだからもらうときはもらうのでしょうけれど、この声に出して宣言するの、というのは原始的な(?)方法ではあるけれど、今のところ大丈夫なようです。
ただ、少々風邪っぽい症状もない事はないのですが、絶対に熱は出さない、寝こまない、とかなりの気迫をもってこの1週間くらい体調管理に気を配って生活しています。
昨日から学級閉鎖になったクラスの担任の先生もインフルエンザでお休みです。
3クラスの学級閉鎖は明日までですし、幸い他のクラスではそう増えてはいないようです。
私は今夜は(も?)早めに寝ます。
また明日家族のお弁当を作って、朝ご飯を美味しく食べて、出勤できるように。
来週は伴奏の本番が2つあります。病気になっていられません。
2012-01-30
厳寒と酷暑
今朝、ラジオから流れる気象情報から、「岩手県盛岡市玉山区薮川で、氷点下25.8度〜」というのが聞こえてきました。
平成の大合併で盛岡市になりましたが、以前は岩手郡玉山村で、石川啄木のふるさとです。
岩手の中でもかなり気温が下がる所です。
(あ〜市内(旧市内)でもかなり下がったのだろうな。父母は慣れているとはいえ、こたえるだろうな)と思いながら、後で調べてみると盛岡気象台の観測ではマイナス12.2度だったようです。
今更ながら、厳しい寒さの中で育ったなあ、と思います。
実家の台所は北側にあるので、寝る前になると冷蔵庫に入れないような、例えばじゃがいものはいった籠が居間にお引越し(避難?)をしていました。
お味噌汁の残りなどは凍らないようにと、冷蔵庫に入れたものでした。
そして寝る前には家中の水道の元栓を締めるのも大切なお仕事。
我が家では不凍栓と呼んでいました。
高校生や大学生になり、母よりも寝るのが遅くなると、トイレやお風呂の不凍栓を締めるのは私のお仕事になったものでした。
盛岡で結婚して三階建ての鉄筋の宿舎に入ったときは、この元栓がなくてずいぶんと楽だな、と感じたものでした。
今は住宅もどんどん変わってきて元栓を閉めなくてもいいようになっているのかもしれませんね。
盛岡生まれ盛岡育ちの私が夫の仕事の関係で石垣島に住むことになった時、暑さはやはり過酷、でした。
夏は気温が高すぎて野菜、特に葉物は育ちません。野菜にとっても過酷な暑さなのですね。
農業関係の仕事をしている夫が、石垣に行ったころ職場の業務課の方たちのことをこんな風にいっていました。
「ここの業務課の人たちは仕事に工夫があるなあ。岩手でもそう思ったなあ。やはり自然が厳しいからそうならざるを得ないのかな。」
(なるほど、そういうものかも)と思ったのと同時に、自分が育った地域の人達が評価されているようでとても嬉しく思ったものでした。
今日ラジオを聞きながら、厳しい寒さの中で暮らしている方たちの強さを思いながら聞いていました。
私は?といえば、すっかり寒さには弱くなって寒さに対しては根性なしになってしまいました。